第13話 水上さんは不機嫌

「例によってそれで登校するのな」

「カレカノなんだし当たり前じゃん?」


 昨日と変わらず俺の左腕に体重を預けて色々と柔らかいものを押しつけてきた千歌は、当然の権利のようにそんなことを言ってのける。


 まだ正式じゃないけどな、と言ったところでそれはこいつもよくわかっているだろうし、何回同じことを言っているんだという話になるから、黙っておくけど。


 朝っぱらから千歌は俺の二の腕に頬を擦り寄せてご満悦だ。

 そして、その様子を目撃したのであろう同じ高校の男子生徒から送られた視線には呆れと殺意が入り混じっていた。

 その、なんだ。気持ちはわかる。


 つい一昨日まで俺もそっち側だったからな。

 なんてことを宣ったところで今度は嫌味か貴様と、物理的に刺されかねないから、迷わず沈黙を選んでおくけどさ。


「昨日の反省も兼ねて聞くけどさ、今日の放課後どこに行きたい?」

「これといって……いやまあ無難なとこならカラオケとか?」

「おおー、いいじゃんいいじゃん二人カラオケ。なにも起きないはずはなく……うひひ」

「お前はなにを期待してるんだ……」


 意味ありげな謎の含み笑いにちょっとした悪寒を感じながらも、俺は相変わらず浮かれ調子な千歌の問いにそう答えた。


 確かに高校生の男女が二人でカラオケボックス、と聞いたら確かに大人は眉をひそめるかもしれないけども。


 安心してほしい、俺は風紀委員会やら生徒指導やら警察のお世話になるようなことに手を出すつもりはない。

 全部千歌の妄想癖というか暴走癖が先走っているだけだ。

 昔から加減というものを知らないんだよ、鏑木千歌という女は。


「そういえばさ、今朝のお味噌汁どうだった?」


 千歌は相も変わらず俺の腕に頬を押し付けながら、そんなことを問いかけてくる。

 頑張ったんだろうな、とは思ってたけど、千歌は思った以上に言葉で褒めてもらいたかったようだ。

 思っているだけじゃ伝わらない、か。少しだけ考えさせられる。


「美味かったよ、めちゃくちゃ頑張ったんだな」

「本当? うひひ、そっかぁ……これで毎日作って、って言われても安心だ」

「今のところその予定はないけどな」

「脛蹴るぞ」

「ごめん」


 冷え切ったテンションでの警告に、俺は即座に服従の証として右手を挙げる。

 とはいってもそんなふた昔前ぐらいの求婚宣言をこの歳で宣ったり宣われたりするのはどうなんだ、千歌よ。


「……ん、空」

「なんだよ、千歌」

「……ん」


 千歌は背伸びをして、小さくそう言った。

 一応、なにかをしてほしいことだけはわかったけど、それがなんなのかはわからない。

 だけど直接聞くのは野暮なんだろうな、ということだけはなんとかわかる。


 こういうときはどうすればいい。

 考えるんだ、土方空。

 なんとなくわかることから、要素を拾って答えに近づいていく。それぐらいなら俺にだってできるはずだ。


 少なくとも、千歌は俺になにかを委ねている。

 なにかを委ねるということは、同様に自分になにかしらのアクションを起こすことを許しているのとほぼ同意義であるだろう。

 そして、千歌はより強くしなだれかかってきた。そう考えると。


「……これでいいのか?」

「うひひ、正解。空にしては珍しいじゃん」


 悩み抜いた末に俺が辿り着いた結論は、あまりにも短絡的で実に幼稚なものだったけど、千歌にとって、どうやらそれは正解だったらしい。

 癖も枝毛さえも見当たらない、絹糸のような千歌のプラチナブロンドを俺は、そっと、壊れ物を扱うような調子で撫でていた。


 まるで猫みたいだ。

 そのうち耳とか尻尾とかが生えてきそうだな、と、そんな他愛もないことを、すっかりご満悦な千歌を撫でながらぼんやり思う。


 しかし、基本的に女の子の頭を男が撫でる行為は恋愛において地雷の代表格だ。

 無知な俺でも知っているというのに、千歌はそれですっかり満足した様子なんだからさっぱりわからない。


「なんで正解なのかわかんないって顔してる」

「それは……そうだろ」

「うひひ、内緒」


 そうやってはにかみながら、どこか澄ました顔をするのも気まぐれな猫そっくりだ。

 二軒ぐらい隣の家が飼っているクリーム色の毛並みをした飼い猫に千歌の表情を重ね合わせて、俺はそっと肩を竦めた。


「あれ、雪菜じゃん」


 正解を引いた割に釈然としない俺を置き去りにして、千歌は次に興味を惹かれたものに視線を移す。

 つられて俺もそっちを見れば、そこにいたのは相も変わらず、凛とした姿勢で校舎までの通学路を辿っている、水上さんの姿があった。


「水上さん、家はこっちの方だったのか」

「みたいだね」

「知らなかったのかよ」


 前に友達だって言ってたから、てっきり知ってるもんだと思ってたよ。


「いやー、雪菜ってば恥ずかしがり屋さんだし? さすがの私でも知らないことの一つや二つ、ザラにあるって」

「それは友達って言えるのか……?」

「言える言える。なんなら本人に直接聞けばいいしー。おーい、雪菜ー!」


 千歌はそんなことを宣うなり、俺の左腕から離れて水上さんのところに駆け出していく。

 追いかけるかどうか迷ったけど、話題に出した以上は俺にも責任の一端があるだろう。

 千歌のあとを追って、俺もまた水上さんのところへと駆け出していく。


「……ああ、千歌ですか。イヤホンをしていたから気づきませんでした」


 水上さんは至近距離まで千歌が接近してきたことでようやくその存在に気づいたらしく、耳に挿したイヤホンを外して、小首を傾げていた。


「そんな冷たいこと言わないでってばー! ほら、私たち友達じゃん!」

「ええ、私もそう認識していますが、音楽を聴いているときに遠くからの声に気づかないのは仕方ないでしょう」


 どうやら、水上さんと千歌の見解は一致していたようだ。

 よかった、と胸を撫で下ろす。

 いや、俺は一切関係ないんだけど、千歌が一方的に友達だと思い込んでいて、水上さんは全くそんなことなかったら、あまりにも悲しすぎるからさ。


「ほらほら、私たち友達だって! ちゃんと友情で結ばれてるよ、空!」

「そうみたいだな」

「……」


 めちゃくちゃ嬉しそうに満面の笑みを浮かべている千歌とは対照的に、水上さんはなぜか俺を見るなり、憮然とした雰囲気を纏い始める。

 なんでだ? いきなり告ったようなやつだから軽蔑されているとかでも納得はするけど、前に話したときはここまで機嫌が悪くなかったはずだ。


「……それでは失礼します、千歌。また教室で」


 そう言い残して、水上さんはすたすたと早足で歩き去っていく。

 うーん、さっぱりわからない。

 とりあえず、嫌われたことだけはなんとなく理解できるけどさ。

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