第8話 炒飯と水上さん
「うひひ、恋人から食べさせてもらう炒飯は美味いか? 空ー?」
脛を蹴られた痛みで悶絶している間になんだかすっかり上機嫌になっていた千歌は、矢継ぎ早に二口目を用意して俺に差し出してくる。
こっちは脛に結構鋭い蹴りが直撃してそれどころじゃないんだぞ。
千歌は帰宅部でこそあるけど、他の運動部から助っ人として引っ張りだこになるぐらいには運動神経がいい。
そんな女の遠慮を捨て去った蹴りが脛に直撃したんだ。弁慶だって泣くんだから、俺が悶絶しないわけがあるまい。
「お前な、少しは加減してくれよ……」
「ムード台無しにする空が悪いんだよ、私は無罪」
「暴行は立派な犯罪なんだけどなあ!」
法治国家の原則をゴミ箱に放り捨ててきたような調子で千歌は唇を尖らせる。
乙女心とやらは法律より優先されるものなのか? おかしい、公民の授業で習った日本国憲法にそんなことは書いてなかったはずだけどな。
どっちにしても、このまま二口目を拒否したら二撃目が飛んできそうな予感がしたから、素直に口を開けて、俺はすっかり舞い上がっている千歌からの給餌を受ける。
「……あーん」
「うひひ、なんだよぉ、空も意外と素直なとこあるじゃん」
「……満足かこれで」
その理由が蹴られそうだったからというのは黙っておこう。
そして、相変わらずめっちゃご家庭の味だ。
素朴な醤油と塩胡椒と中華風調味料の味が染み込んだ米とカニカマを噛み締めながら、ぼんやりとそんなことを頭の片隅に思い浮かべる。
「空には今の私がどう見える?」
俺の質問に質問を重ねる形で千歌が言った。
質問に質問を返すのはいいとしても、その手の曖昧な問いかけが一番対応に困るんだよなあ。
仕事と私のどっちが大事なの、的な。
いや、それは少し違うか。
どう見えると言われても今の千歌は上機嫌そうにしか見えないし、実際多少浮かれているんだろう。
そうでもなければ公衆の面前で「あーん」なんてやらないだろうよ。
結構、というかめちゃくちゃ恥ずかしいんだぞ、これ。俺を裏切りやがった非リア同盟の二人もよくやれたもんだ。
教室の真ん中で今日もバカップルぶりを晒している元親友を一瞥して、頭を抱える。
でも、こういうことをしたいから彼女がほしかったんだろ? と聞かれると、なにも言えない。
実際のところ、そういうベタベタした甘ったるい恋に憧れていた部分は多分にあるし、その相手が美少女だったら天にも昇る気持ちだろうなあとも思っていたさ。
でも今、仮初とはいえ彼女がいて、しかも美少女で、夢のようなシチュエーションを叶えてくれているんだから、それこそ俺は千歌に舞い上がって感謝を伝えなければいけないのだろう。
だけど、千歌はあくまで俺の中では幼馴染なんだよなあ。
千歌のことが嫌いなわけじゃない。というか、嫌いだったら普段から言葉を交わしてもいないはずだ。
小さい頃はよくお互いの家に泊まったり、一緒に風呂に入ったりしたもんだけど、そういう記憶があるからこそなんというのか、ある種の気まずさを感じているんだよな。
そんな益体もない話は一旦脇に置いておくとして、俺は前に読んだ漫画かなにかに、「女子が自分のことについてなにか聞いてくるときは、大概なにかしてほしいときだ」という台詞があったのを思い出す。
賞賛。激励。慰撫。
なんでもいいけど、自分に対してアクションを起こしてほしいから、求めるものを満たしてほしいから問いかけるのだと。
そして、今は俺が一方的に「あーん」をしてもらっている状況。この状況から千歌の気持ちを考えるなら。
「……あーん」
「ん、あーんっ」
俺もまたカニカマ炒飯を弁当箱から一口分掬い取って、千歌へと差し出す。
ぱあっと、これ以上明るくなりようがあるのかというぐらい明るい表情が輝きを帯びたのには驚いたけど、どうやら正解を引き当てられたようだった。
「んむ……ごくんっ、っぷぁー! 空にしては珍しく大正解のパーフェクトコミュニケーションじゃん? もしかして、心通じ合ってきた?」
「そんなに珍しいのか……いや、珍しいな、うん」
頬を微かに赤く染めながら満面の笑みを浮かべている千歌の上機嫌っぷりといったら凄まじいの一言だったけど、俺の方は大分頭を使いすぎてげっそりしていた。
常にパーフェクトコミュニケーションを勝ち取っている世のリア充諸君はいつも難解な乙女心というパズルを解くために脳をフル回転させてるんだろうか。
だとしたらリア充もリア充で大変なんだな。
それはそれとして爆発しろとは思うけどさ。
「……なにをしているんですか、千歌?」
疲れた頭に他愛もない同情と恨みを浮かべていると、なにか珍しいものでも見たような調子で、俺の席までやってきた水上さんが千歌の顔を見て、小首を傾げている様子が目に止まった。
「んー? なにしてるって……彼氏とイチャイチャしてる」
「まだ正式な彼氏じゃねえだろ」
「おっとー? 今のはバッドコミュニケーションだぞー?」
「……なるほど、漫才をしているのですか」
この状況を眉一つ動かさずにさらっと流せる水上さんも大したもんだな。
それはいいとして、なんで水上さんがわざわざクラス中から敵視されている俺の席まできたんだろうか。
口ぶりからするに、俺じゃなくて千歌に用があるみたいだけど。
「そうそう、夫婦漫才! 雪菜は相変わらず勘がいいねぇ」
「……そうですか」
「相変わらずつれないなぁ、で、私になんか用?」
「いえ、聞きたいことは確認できましたので」
「ふーん?」
なんでそこで俺を見るんだよ、千歌。
なぜか俺を一瞥した水上さんも水上さんで一人で自己解決したみたいだし、なんだか置いてけぼりにされたような感覚だ。
それにしたって相手の中で自己解決したことをわざわざ聞きただすのは不毛だし野暮だからやらないけど、水上さんは一体なんの要件だったんだ?
そしてなんで俺の方をわざわざ見たんだ?
考えれば考えるほど疑問が湧いてくる。
まあ、なんだ。
それこそ「クラスで一番可愛い女の子」であり、「孤高の雪姫」とあだ名されている水上さんの乙女心を解読できる逸材がいたら、俺みたいに多くの男子がワンチャン狙って玉砕していないだろう。
まだ秋の空模様の方が読みやすそうだ、といったら多分気象予報士の方々に怒られるんだろうけどな。
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