第7話 炒飯再び

 クラスメイトの多くが購買になだれ込んでいったことで、ようやく重圧から解放された気分になった俺は、椅子の背もたれに体重を預けてただ宙を仰いでいた。


「疲れた……今日一日で三日分ぐらい疲れた気がする……」


 思わず呟いていた言葉にも覇気がない。

 だけどそれもそうだろう。

 公衆の面前で「クラスで三番目に可愛い女の子」が「俺のことが好き」と事実上告白をぶちまけたようなものなんだ。


 悲喜交々なんて言葉じゃ表せない、阿鼻叫喚の地獄になることなんて千歌も予想はできてただろう。

 というかあいつの場合、わかっていてやった節があるからな。

 そういうところは昔から全く変わってねえ。


「三つ子の魂百までって本当なんだな」

「三つ子がどしたのさ」


 噂をすればなんとやらだ。ぐだぐだしていた俺の頭上から無遠慮に顔を覗き込んできた千歌が、小首を傾げてそう問いかけてくる。


「いや、別に。双子までは見たことあるけど三つ子って見たことないなって」

「よくもまあそこまですらすらと真顔で嘘つけるよね空も」


 適当にでっち上げた話題であしらおうとしたら、呆れた表情で千歌は溜息をつく。

 というか、聞こえてたのかよ。そこまで大きな声で喋っていたつもりはないんだけどな。


「聞こえてたんなら最初から言えよ」

「そこを会話で繋いでこその恋人でしょーが、ロマンとかムードとかさ、空はほんっとそういうの欠けてるよね」

「クソッ、事実だから反論のしようがねえ」


 ひどい言われようだ。

 クソゲーのレビューでもそうそう見ない直球のボロクソな意見だったけど、実際事実だからぐうの音も出ない。

 実際、ロマンだのムードだの言われてもわからないものはわからないんだから仕方あるまい。アロマキャンドルでも炊けばいいのか?


 教室に限らず、学校は火気厳禁なんだけどな。

 そんな、ない知恵を振り絞って出した答えを千歌は鼻で笑い飛ばす。


「いやさぁ、アロマキャンドルはないって」

「ないか」

「でも空らしくて安心した。それこそ三つ子の魂百までってやつだよね」

「お前に言われたくねえよ」


 俺を道連れにして針山地獄に紐なしバンジーダイブした女は、そんな投げやりな返答にけらけら笑いながら、更なる煽りをぶつけてきた。


「昔と変わらない美少女でしょ」

「昔から外面のよさと内面の綺麗さって比例しないんだなって」

「お、喧嘩売ってる?」


 しゅっしゅっ、と虚空に向けてシャドーボクシングを始めた幼馴染に生温かい視線を送りつつ、そういえば昼飯を食べていなかったことを思い出す。


 とはいえ、今はなんも食べる気にならないんだよな。

 腹が減ってないかと聞かれて首を横に振ったら嘘にはなるけど、なにかを口に入れて飲み込むための気力が足りない。

 いっそ近くのコンビニに行ってゼリー飲料でも買ってこようか。実に不健全極まる食生活だ。


「そういえば空ってお弁当持ってきてるの?」

「藪から棒にどうした、持ってきてるわけないだろ」


 シャドーボクシングに飽きた千歌が、今度はなんの脈絡もなく、弁当の話題を投げつけてくる。


 我が家は共働きなのもあって基本的に忙しい。朝食だって、今朝は千歌が炒飯を作ってくれたけど、それまでは食パンとかシリアルとかで適当に済ませていたのが実情だ。


 早い話が父さんにも母さんにも弁当を作る余裕などないから、昼飯代も兼ねて多めに金を持たせてもらっているということだった。


 というかその辺りの事情なら千歌も知ってたんじゃなかろうか。

 朝飯係兼必要のないモーニングコール役を買って出たとき、母さんに知らされてなかったのか?

 普通ならありえないと思いたいところだったけど、よくよく考えたら「明日から千歌が朝の諸々を担当することになった」って話を俺が父さんからも母さんからも聞かされてなかった辺り、さもありなんといったところだ。


 我が家は「出されたものは食え」を家訓としてこそいても、よくいえば個性を尊重する家庭で、悪くいえば割と放任主義だからな。


 別に家族仲が悪いとかそういうわけじゃないんだけども、あんまり理解されないから他人には喋ったことがそうそうないけど。


「やー、よかったよかった。お義母さんにも確認取ってたけど一応というか念のため、ね?」

「ね? と言われてもなにがなにやら俺からすればさっぱりなんだけど」

「鈍いなあ、わざわざこの千歌ちゃんがお弁当まで作ってきてあげたというのに」


 美少女の手弁当だぞ、泣いて感謝しろー?

 などと自ら宣う姿勢はどうなんだというのは置いておいて、千歌が弁当を作ってきてくれたというのは素直に助かる。


 コンビニ飯っていうのは原価に加えて人件費その他が上乗せされてるから、どうしても量の割に割高になってしまうんだよな。


 その昼飯代が浮くっていうのは素直にありがたい──と、そう思った瞬間だった。

 同時に、俺の中で一つの懸念がよぎる。


 ……こいつ、朝飯作ったときなんて言ってた?


 朝から食べるには少しばかり重たいカニカマ炒飯を作った理由が、確か記憶が正しければ「それしかレパートリーがないから」だったような気がしたんだけど、多分気のせいじゃないよな。


「なあ、千歌」

「ふんふふふーん♪」

「おい、露骨に目を逸らすんじゃない。お前まさかその弁当箱の中身って」


 もう俺から目を逸らした時点で答え合わせは完了したようなものだったけど、千歌は鼻歌を歌いながら、誤魔化すように、先ほどの自信が嘘のように頼りない手つきで弁当箱を開封する。


 そこに入っていたのは、やはり当然のように。


 炒飯だった。今朝食ったのと同じカニカマ炒飯がぎっしりと弁当箱の中に敷き詰められていた。

 付け合わせの類も全くない、いっそ剛毅さすら、清々しさすら感じるほどに炒飯一色だ。

 なんか一周回って拍手したくなってきたな。


 確かに俺も夜中に炒飯作りに来てくれる美少女がいてくれたらなあとは、それがありえないことだとわかっているとはいえ、ぼんやり思っていたさ。

 でも朝も昼も炒飯をお出しされるとこう、なんだ。今は食欲がないのもあって正直、千歌には大変申し訳ないけどげんなりする。


「……うぅ、ごめんって! 埋め合わせは今度するから、食べてくれないかなぁ?」


 うるうると大きな赤い瞳を潤ませて、千歌はそう迫ってきた。


「……わかったよ」

「空……!」

「出されたものは食え、が我が家の家訓だからな」

「うっわ、すっごい複雑な理由……まあでも、ありがと」


 机に置かれた弁当箱と使い捨てのプラスチックスプーンを片手に俺は千歌が作ってくれた炒飯に口をつける。

 うーん、冷えてもご家庭の味だ。ぱらぱらになる前のもそもそした感じが、冷えたことで余計に強調されている気がした。


「どうかな、美味しい?」

「ご家庭の味」

「またそれかー、じゃあさ」


 千歌は自分が食べていた分をプラスチックスプーンで一口分掬い取ると、それを俺へと突きつけてくる。


「はい、あーん」

「なんだそれは」

「あーん」


 いいから口を開けろ、という無言の圧力に屈した俺は、大人しく口を開けて匙が運ばれてくるのを待った。


「どう? 美味しくなる魔法つき」

「……美味いよ」


 圧力に負けた感はあれど、これで俺も恋人同士でやることの一つ、「あーん」なる儀式を終わらせたことになる。

 その相手が千歌だっていうのはなんというか非常に複雑な気持ちではあるけども。


「な、なんだよぅ……私を見たってなんも出てこないよ?」

「そんなに恥ずかしがるくらいなら最初からやらなきゃよかったんじゃないのか」

「……」

「痛ってえ!?」


 頬を赤らめてしおらしくしていたかと思えば、その表情を一ミリも変えずに脛を蹴ってくる辺り侮れない。

 いや、確かに野暮なこと言ったけどさ。

 正直なところ、気恥ずかしいのは俺も同じなんだよな。

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