灰は灰に

柳川麻衣

1

 マンハッタンにそびえるモダンな高層コンドミニアムの一室には似つかわしくない不穏な沈黙が、子ども部屋にたちこめていた。木と銀の十字架、ロザリオ、聖水の小壜が置かれた学習机を洋燈が聖壇のように照らし、キャラクターでいっぱいの、壁紙と揃いのポップな柄のシーツがかけられたベッドに横たわる少年はまるで生贄だった。

 デジタル・ヴィデオ・カメラが正常に動作しているのを確認し、ケイはOKのサインに小さく頷いてみせた。

「マイケル・エヴァンズの悪魔祓いを行います。同席者は私、クリストファー・オキーフ、ミズ・メアリー・エヴァンズ、そしてケイ・アッシュ教授」

 黒衣の上に袖口に十字模様のレースをあしらったサープリスを纏い、紫の頸垂帯ストラをかけたクリスは穏やかに宣言し、小壜を手にとって空に大きく十字を切るように聖水を振り撒いた。それまで身動ぎひとつしなかったベッドの上のマイケルが身をよじり、苦しそうに呻いた。

「父と子と聖霊の御名において。アーメン」

 ベッドの傍らに立つクリスがマイケルの額にふれた。少年が苦痛の声をあげる。

「やめてよ、僕にさわらないで」

 クリスは右手に開いた祈禱書を持ち、逃れようともがくマイケルの頭に左手をおいたまま祈りを紡ぐ。

「天にましますわれらの父よ、御名が聖とされますように。御国が来ますように。御心が天に行われるとおり地にも行われますように。……わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください。……」

 時刻は真夜中の零時をまわった頃だろうか。外では風が強く吹き荒れ、雲が猛スピードで流れていたが、強化硝子の窓は揺れることも鳴ることもない。ケイは撮影している映像がぶれないよう固定することに注意を払っていた。気を抜くとカメラを持つ手が震えそうになるのだった。悪魔祓いに立ち会うのは初めてではないが、慣れられるものではない。少年の母親のメアリー・エヴァンズは蒼白な面を引き攣らせ、自分の腕で自分を抱きながら、必死に平静を保とうと努めている。

 中世のヨーロッパでもなく、ハリウッドのスタジオでもなく、二十一世紀の今、〈世界の中心ハート・オブ・ザ・ワールド〉と呼ばれる大都市ニューヨークのど真ん中で悪魔祓いエクソシズムが行われようとしていた。

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