22.お義母さまと、私(2)
先生の話には、まだ続きがあった。
養家となったロッチンマイヤー子爵家も決して裕福ではなかった。けれどもアルトマイヤー伯爵家の援助も得て、養父のロッチンマイヤー子爵は先生に出来うる限りの淑女教育を施してくださったのだそうだ。
下位貴族のそれではなく伯爵家令嬢としても恥ずかしくないほどの教育を施され、その過程でアルトマイヤー伯爵家子息、つまり現在のご主人である現アルトマイヤー伯爵と愛を育まれ、妻にと請われたのだという。
その時の先生の喜びはいかばかりだったろうか。話を聞いただけの私ですら思わずもらい泣きしそうで、けれどもそんな話をしながらも先生の表情はほとんど崩れることがない。
いや先生?そういう時くらい喜んでいいのでは?
「わたくしは本当に幸せ者でした。義父であるアルトマイヤー伯爵にも、養父であるロッチンマイヤー子爵にも、どれほど感謝しても足らないほどです」
あっ、声が喜色に満ちていた。
先生、ちゃんと喜んでらっしゃる。
「ですからわたくしは、私生活ではアルトマイヤー伯爵夫人を名乗り、公の仕事ではロッチンマイヤーを名乗るのです」
ただし本名である男爵家の姓名は捨てた、と冷めきった声で先生は語った。エーデルヴァイスという名も、ロッチンマイヤー家に養子に入ってから頂いた名なのだそうだ。
その後、アルトマイヤー伯爵家に嫁として迎えられた先生はお義父様の先代アルトマイヤー伯に願い出て、より高い教育を受けさせてもらったのだそうだ。教育さえきちんと受けられていたなら前半生の不幸はなかった、だから学びたいと強く願われたのだそう。
そして学ぶことに楽しさを覚えた先生は、より高い教育を求めて高名な教育者たちに次々と弟子入りして回ったのだそうだ。そうしてふたりの息子とひとりの娘を産み、伯爵夫人としての務めも果たしながら学び続け、いつしかガリオン国内でも並ぶもののないほどの教養を身に着けて、逆に弟子入りを志願されるほどになっていたのだそう。
その名声に目をつけたのが先代のガリオン王、ルイ40世陛下。陛下は王孫、つまり現在のレオナール王太子やシャルル殿下の教育係として先生を招き、それ以降先生は王子教育と王子妃教育、それに王子の側近教育を担当するようになったのだとか。
それが、今からおよそ15年前のこと。
そして今に至るのだそうだ。
「わたくしの出自は公的には明らかにしてはおりませんから、この話を知っているのは事実上、王家とアルトマイヤー伯爵家の者とロッチンマイヤー子爵家の者だけになります。公的にはわたくしは『ロッチンマイヤー子爵家の養子』であり、それ以前の経歴は全て抹消してあります」
うん、私もそれがいいと思う。
先生に残るのはガリオンに来てからの経歴だけでいい。
そして先生が私に包み隠さずお話しくださったのは、きっとラルフ様の妻として認めてくださったからだ。
「分かりました。わたくしも外では一切他言致しませんからご安心くださいませ」
だから、私は先生の目を見てしっかりと誓った。先生の、いえお
「……そう言って頂けて、わたくしも安心致しました。ブランディーヌ様の、そしてラルフの目はやはり間違っていなかったようですね」
そう言ってお義母様は
今度こそ穏やかな、安心したような笑みだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お義母様は私のことについても語ってくださった。
私のしでかしたことを初めて知った時、先生はご自身の婚約詐欺を思い出して震えが止まらなかったのだそうだ。形こそ違えど、教養も何もない下位貴族の小娘が自分より高位の貴族子息を
それに怒りを覚えると同時に、私の将来の破滅まで見えてしまって血の気が引いたのだそう。“あの子はあの時のわたくしだ”と、そう思ったらいても立っても居られず、アンリ41世陛下に私の再教育を願い出たところでお嬢様が私に“お試し教育”を提案なさったことを聞いたのだそうだ。
そしてお嬢様から講師役を打診され、当然のように引き受けたのだそう。
お義母様の身の上を聞いた今なら分かる。お義母様は誑かしたのが伯爵家子息に過ぎなかったから、国際問題に発展させてまで奪い返されることはなかった。けれども私は殿下を誑かしたのだ。当然、王家としては面子にかけても私を死罪にしなければ収まらない。
まさに王太子妃殿下の仰った通りだ。「私が死を賜るか、お嬢様が死を賜るか」しかなかったのだ。
無知なだけの小娘が、無知だというだけで死ななければならない。そんな未来は間違っている。
お嬢様とお義母様と、おふたりがともにそう考えてくださったからこそ、今私は生かされている。
それだけじゃない。私は本当に多くの人に見守られ、助けられ、機会を与えられて今ここにいる。
殿下、ベルナール様、オーギュスト様、エドモン様。それにアクイタニア公爵家の旦那様、奥様、オーレリア先輩。王太子妃殿下にレティシア様。さらにベルナール様のお父様やオーギュスト様のお父様、私のお父様。
そして何より、私に寄り添ってくださったラルフ様。
本当に、私は人に恵まれた。
なんと幸せなことだろう。
「お義母様、改めてありがとうございました。貴女をはじめ多くの皆様がいてくださったおかげで、私が今こうして生きていられるのだと、改めて実感できました」
「いいのですよ。わたくしのような不幸な女は、増えないに越したことはありませんからね」
それに無謀にも王子妃を狙うような愚かな娘をこれ以上出さないようにするためにも必要な措置でした、と語るお義母様は、すっかりいつもの教育者のお顔になっていた。
「そういう意味では、今後は貴女にも責任を取ってもらわなければなりません」
「えっ?」
「貴女が提議したのでしょう?例の“お試し教育”の継続公務化を」
「えっ、あれを提議なさったのはお嬢様では?」
「そのブランディーヌ様が貴女の名義で提議なさったものです。そしてすでに承認も下り、今後の開催こそ未定ですが予算も付いています」
うげ、マジか!?
お嬢様そんなこと、全然仰ってなかったのに!
ちょっといやマジで何してくれてんのお嬢様!?
「相変わらず驚きを隠せませんね貴女は。
⸺まあいいでしょう。そういうわけですので、わたくしが貴女に施すこれからの3年間の教育は、わたくしの“後継者教育”です。一切手を抜くつもりはありませんから、覚悟なさい」
「ぎゃあああああ!!」
「何ですいきなりはしたない!早速今から始めてもいいのですよ!?」
ゴメンナサイお義母様カンベンしてくださいマジで!
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