21.お義母さまと、私(1)
その日は伯爵家に泊めて頂けることになった。公爵家の方にはロッチンマイヤー先生が連絡して下さって、私は客間を用意されて侍女まで付けられて、
いや
そういうのはせめて男爵夫人になってからでお願いします。
ちなみにラルフ様はおひとりで寂しく公爵家に戻られた。例によってしょげた大型犬の仔犬みたいになっていて、だらんと力なく垂れた尻尾が見えた気がする。可愛い。
「襲爵式を終えてからは、
晩食後、食後のお茶を頂きながらロッチンマイヤー先生にそう言われた。ということはつまり、公爵家の侍女のお仕事がお休みの日は全部“淑女教育”に取られるということだ。
まあ公爵家の侍女のお仕事をすぐに辞めるわけにもいかないし、ある意味仕方ないかな。
「お休みの日には先生に来て頂いているのですけれど、それはどう致しましょうか」
「わたくしの方で手配しておきますから貴女は何も心配いりません。公爵家と伯爵家との行き来もこちらで馬車と護衛を用意しておきますから、貴女はそれをお使いなさい」
うん、完全に逃げ場がなさそうです。
まあ逃げる意味も意思もないけどね!元々先生に教わりたかったんだし!
あ、でもそう言えば、お
「旦那様は普段は任地か領都の本邸におりますから、本日この邸にはおりません。ラルフの襲爵式までに顔合わせの機会を設けますから、そこでご挨拶なさい」
「はい、畏まりました」
お舅さまとの対決イベントはまた後日、と。
そのあと、先生とふたりきりでたくさんお話を聞かせてもらった。私には思いもよらない話ばかりで、夜が更けるのも気付かないほど話し込んでしまった。
「貴女は、わたくしのことをどう考えていますか?」
「どう、と仰いますと?」
「礼儀作法や教養に煩い、嫌な女とでも思っているのではありませんか?」
「いえ、とんでもありません!……それはまあ、確かにあの“お試し教育”の時はそのように思っていたことを否定はしませんが、知識や教養の大切さ、礼儀作法の重要性、淑女としての心構えや立ち居振る舞いなど、わたくしに無いものを、何が足らなくて何が必要なのかをお教えくださった御恩は忘れておりません!」
本心からそう思う。あれは確かに荒療治だったと思うけど、ああでもされなければ私は絶対に自分だけでは気付けなかったはず。
それに気付かないまま暴走を続けていたなら、間違いなくこの命は今頃この世から消えていたと、今なら分かる。それを気付かせてくださった先生と、やり直す機会を与えてくださったお嬢様には感謝してもし切れない。
「わたくしには、貴女のことが他人事には思えないのです」
「えっ?」
「わたくしもね、貴女くらいの娘時分には、礼儀作法など知りもせぬ田舎娘だったのですよ」
そうして、先生はご自身の生い立ちを語ってくださった。
それは今の先生しか知らない私にとって、にわかには信じがたい話だったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
先生はブロイス帝国の片田舎の貧乏男爵家の三女だったそうだ。ブロイスでは男爵家にも小さいながら領地が与えられるため、先生のご実家は先祖代々その地を守ってきたのだそうだ。
だけど先生のお父様には領地経営の才能がなかったそうで、家勢はどんどん衰え、ついには借金で首が回らないほどの事態にまで陥ったのだとか。
そこで、先生のお父様はやってはならない手段に手を出した。
当時14歳だった先生を使って、婚約詐欺を働いたのだ。
まだ未成年だった先生には拒否する手段などなかった。その日暮らしで貴族子弟の通う学舎にも通わせてもらえなかった先生は、言われるままに金持ちの伯爵家子息を
先生は15歳の誕生日に婚礼を挙げる手はずになっていたけれど、その前日夜に密かに家を出され、あらかじめ雇われていた冒険者上がりのゴロツキに引き渡された。
お父様の思惑としては、そのまま身を隠させて「不埒者どもに拐われた」とでも言い逃れ、ほとぼりが冷めた頃にこっそり家に戻すつもりだったのでしょう、と語った先生のお顔が、珍しく苦痛に歪んだのがはっきりと分かった。
先生はその男たちに手篭めにされたのだ。
当然、匿ってなどもらえず、そのまま地下市場の奴隷市場へと売り払われたのだそうだ。
先生はそこで奴隷商に買われ、図らずもその奴隷商に連れられて国境を越えさせられた。もちろん密出国だ。
だけど国境を越えたガリオン北部の街で、当時北方騎士団長を務めておられた先代のアルトマイヤー伯、つまりラルフ様のお祖父様に偶然救い出されたのだという。
捕まった奴隷商の供述から冒険者崩れのゴロツキたちの犯行も明らかになり、芋づる式にお父様の男爵の詐欺行為まで明らかにされた。お父様は犯罪者として捕縛され、詐欺被害の伯爵家からも賠償請求され破滅。
伯爵家は国境を越えてガリオン側にも先生の引き渡しを要求してきたのだそうだ。だが先生の身の上を哀れんだ先代アルトマイヤー伯爵が、分家のロッチンマイヤー子爵に養子として迎えさせることで守りきったのだという。
私は、自分の身の上を決して恵まれているとは思っていなかった。むしろ地方の貧乏男爵家に生まれて不幸だとさえ感じていた。
だけど先生の身に起きたことを聞かされた今となっては、とてもそんなことは言えなかった。世の中の不幸には底がないのだと、身震いすることしかできなかった。
「貴女も、わたくしを不幸な女だと思ったことでしょうね」
先生が、寂しそうに微笑う。
先生が笑うのは初めて見たけれど、こんな顔は見たくなかったと心の底から思ってしまった。
「けれど、わたくしは幸せだったのです」
でも先生の話には、まだ続きがあった。
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