10.命と貞操の危機

 狭い車内に転がされて、そのまま一体どれくらい揺られていただろうか。ずいぶん遠くまで連れ去られたと、朦朧とする頭でもそのくらいは理解できた。

 脚竜きゃくりゅうは馬より大きくて力も強く脚も速いから、その脚竜の曳く車なら馬車よりも長距離を短時間で移動できる。そんなのは子供でも知っていること。

 だけどきっと、首都の城門は抜けてはいないはず。抜ける時には脚竜車の中を改められるはずだし、そもそも停まることも役人が車内を覗き込むこともなかったから。


 だけど、それなら、どこに運ばれているのだろう。

 あんまり遠いと、助けが来たとしても時間がかかり過ぎてしまう。間に合わ・・・・なければ・・・・終わり・・・だ。


 脚竜車がやがて、スピードを落として停まった。あたしを足元に転がしておいて座席を独占していた男たちが次々と車外に出て行く。

 最後に残った下っ端らしきふたりに乱暴に立たされて、ふらつく足であたしも車外へと引きずり出された。



 そこには、家とも呼べないボロ小屋が建ち並んでいた。

 いや正確には、小屋・・だったもの・・・・・が。


 スラム街ビドゥンヴィルだ。そう理解した瞬間、自分の運命までも理解した。

 スラム街・・・・なんかに・・・・入り込んだ・・・・・日には・・・死体・・すら・・見つから・・・・なくても・・・・不思議・・・はない・・・


「おら、さっさと入れ」


 男のひとりがボロ小屋の扉を開け、後ろから別のひとりに背中を小突かれて押し込まれる。


「いや……っ」


 抵抗したのは声だけで、身体の方はすでに抵抗する力さえ失っていた。

 いっそ意識も失えればどんなに良かったことだろうか。だが痛みに苛まれる身体も頭も、意識を手放そうとはしてくれなかった。



 小屋は文字通りの“小屋”で、中は屋根と壁と床だけで間取りも何もなかった。だがそれでも、大人の男が10人ほどは寝られる程度の広さがあった。

 その床の壁際にボロボロのテーブルが置いてあって、両側にこれまたボロボロのソファが二脚据えてある。テーブルとソファが端に寄っているせいで、それ以外の場所が広く使えるようになっている。


 広く使えるということは、つまり⸺


 ドン、と背中を押されてその広い床に倒れ込んだ。咄嗟についた手の平が痛んで思わず手をどける。床がささくれていて手に刺さったのだ。


 うそ、やだ。

 こんな所で!?


 だけどそう思う間もなく、数人が早くもベルトのバックルを外し始めている。


「まあ待て、お前ら」


 真っ先に脚竜車を降りて小屋に入っていった男が、ソファのひとつを独占してふんぞり返りながら声を出した。


「んだよ兄貴、俺たちゃ後回しか?」


「そうじゃねえ。お楽しみはもうひとり・・・・・来て・・から・・だ」


 兄貴、と呼ばれた男がいっそう下卑た笑みを浮かべた。

 きっとこの男がリーダー格なのだろう。その証拠に、周りの男たちは文句も言わずにその言葉に従う姿勢を見せている。


 もうひとり?……まさか、オーレリア先輩まで!?


「なあ嬢ちゃんよ。それまでちっとお話し・・・しようじゃねえか」


 あたしは話すことなんてないんだけど。

 だけど、今ここで時間を稼がないと助けが間に合わないかも。


「はなしって、なに……?」


「なあに、簡単なことよ。嬢ちゃんがもっと・・・金を・・積めば・・・、あんたを助けてやって代わりに復讐まで請け負ってやろう、ってな話だよ」


 リーダー格の“兄貴”がとんでもない事を言い出した。その目がどこまでも欲と金だけを映しているように見えて、空恐ろしさに思わず喉が鳴った。


「あ、あたしが誰だか解ってるの?」

「話は聞いてるよ。公爵家の侍女なんだろう?」

「分かってるなら、す、すぐに解放しなさいよ。さもないとあんたたち全員、命はないわよ」

「心配いらねえよ。この仕事・・・・が終われば俺たちゃ全員首都から散り散りに逃げる算段なんでね」


「に、逃げられるわけないじゃない。あ、アクイタニア公爵家の力を甘く見たら、ほ、本当に死ぬわよ」


 ダメだ。声が震えて、ちっとも脅しにならない。

 相変わらず脇腹が痛いままで、でも熱はあまり感じられなくなっていて、何故か少し眠い。

 疲れた。ちょっと眠りたい。


「おおっと、眠っちまったらそのまま死ぬぜ、嬢ちゃんよ」


「うそ……」


 短剣を抜いても死んで、眠っても死ぬの……?

 じゃあどうすればいいのよ……


 その時、急に腰からポーチを引ったくられた。


 ポーチを引ったくった男は無遠慮に手を突っ込んで中身を物色する。止める間もなく男は財布を見つけ出した。


「おほっ、金貨入ってんじゃねぇか!」


 ちょっと待ちなさいよ、それあたしの全財産なのよ!金貨ポレンが3枚、銀貨リブラが3枚で、それ以外に残ってるお金なんて無いんだから!

 だけど精一杯伸ばした腕は、虚しく宙を掴んだだけで終わる。瀕死の娘の伸ばした腕ごときに捕まるような間抜けはいなかった。


「ちっ、このガキあんま持ってねえな」

「あっ兄貴、手鏡もありやすぜ」


 それはホントにダメ。それは公爵家の財産だし、それを奪われたらもう助けなんて呼べなくなっちゃう!


「ん?この手鏡、なんか光って⸺」


『全員、抵抗を止めて外へ出てこい』


 不意に聞こえたその声は、何故か複数同時に耳へと届いて変な臨場感があった。

 そう、それはまるで手鏡と小屋の外から時に・・聞こえてきた・・・・・・ような⸺


「なっ!?」

「兄貴!外に騎士がいる!」

「なんだと!?」

『速やかに投降すれば命ばかりは助けてやろう。ああ、すでに包囲しているから逃げ場などないと思え』

「やべえぞ兄貴、裏にもいやがる!」


 あれ、この声。聞いたことあるような⸺


「ちっ、なんでこんなに早く見つかってんだよ!?」

「わかんねえ!けどマジでやべえぞ!」

「どうすんだよ兄貴!」

「うるせえ!とりあえずてめえら、表の奴らに突っ込んで道を切り開きやがれ!」

「無茶言うなよ兄貴!外に何人いやがると思ってんだよ!?」


『返答は、なしか』


「いっ、いや!待ってく」


 リーダーの男が叫び終える前に、扉が蹴り開けられた。

 次の瞬間、騎士たちがなだれ込んで来て、男たちは全員が剣を突き付けられ組み伏せられた。


「無事ですか!?」


 真っ先にあたしの元へ駆けつけて来てくれたのは。


「ら、るふ、さま」

「気を確かに!今青の術師も来ますから!」


 良かった。

 助けに来て、くれた。

 助かっ……た。


 そう思って安堵した瞬間、あたしの意識は手からこぼれ落ちるように途切れた。



 ー ー ー ー ー ー ー ー ー



【註】

※金貨は1枚で約1万円相当、銀貨は約2千円相当の価値。

※「青の術師」は治癒系の魔術を習得している青加護の魔術師のこと。本職の魔術師でなくとも治癒系の魔術を使えれば術師として扱われます。つまりこの場のセリフは、突入してきた騎士たちの中に青加護の人物がいることを示唆しています。

ちなみに加護の色は瞳の色に反映されるので、青色系の瞳なら大抵は治癒系魔術を習い覚えているとみなされます。

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