09.公爵家侍女は襲われる

 ひとしきり街をブラブラ散歩し、そろそろ帰ろうかと思って馬車停まりへと足を向ける。ちょうどそこへ、向かいから女がひとり、歩いてきた。


 女、だと思った。自分ほどではないけど小柄で、やや華奢な体格をしていたから。

 確信を持って言えないのは、その人物が外衣ローブを身にまとい、フードを目深に被って顔を見せていなかったからだ。

 まだ季節はそこまで寒いというわけでもない。なので少しだけ不審に思って、それで印象に残った。


 念のために少しだけ離れて、充分な距離を取った上ですれ違ってやり過ごそうと考えた。

 なのに、行き違う際にその人物は急に向きを変えてぶつかってきたのだ。



 あまりに急なことで、避ける間もなかった。

 身体同士が触れ合った瞬間、右の脇腹に猛烈な痛みを感じた。


「〜〜〜〜!?」


 思わず痛んだ脇腹に目を向けた。

 そこに、半分ほど刺さり込んだ短剣が目に入って驚いた。


 服がみるみる真っ赤に染まってゆく。

 血だ。

 そう思った瞬間、脚から力が抜けてその場にへたり込んだ。


「あっははは!」


 フードの人物が急に嗤い声を上げた。

 聞いたことのある声だった。

 見上げたら、憎悪の炎を両眼に宿した先輩・・が立っていた。


「いい気味!」


「せん……ぱい……?」


「先輩、だなんて呼ばないで頂戴!貴女のせいで私は何もかも失ったというのに、貴女だけのうのうと公爵家の人間の顔をして!罪人の分際で!貴女も全部失えばいいんだわ!」


 先輩、いやシュザンヌが勝ち誇ったように傲然と胸を張る。フードの下の顔が醜く歪んで見えた。

 外衣の隙間から見える服は庶民の着ているような粗末な仕立てで、へたり込んだ状態から見上げることで何とか見えた髪はパサパサで艶も失っていて、顔も手も薄汚れて陽に焼けていたけれど、今のあたし・・・にはそんなのに気付けるだけの余裕はなかった。


「どう?少しは思い知ったかしら!?」


 勝ち誇ったように見下ろしながら、シュザンヌが言う。

 一体何を思い知れと言うのだろう。貴女が全てを・・・失った・・・のは、貴女自身のせいなのに。

 震える手で、とりあえず短剣を抜こうと柄を握った。

 痛い。とにかく痛い。早く抜かないと。


「ああ、それ抜かない方がいいわよ」

「………えっ?」

「抜けばそこから血が吹き出して止まらなくなって、貴女きっとそのまま死ぬわね!」


 言われたことを飲み込むまで数瞬かかった。

 死ぬ、抜けば死ぬ。

 あたし……死ぬの…………?


 すでに猛烈な痛みが全身を支配して、思考も感情も痛みそれに塗り潰されている。抜かなければ死ぬと全身が警告しているというのに、それを抜けば死ぬ?


 じゃあ、どうすればいいの?

 誰か、誰か、助け⸺


「助けなんて来ないわ」


 フードを被ったまま見下ろしてくるシュザンヌの後ろに、いつの間にか男たちが集まってきている。いずれも粗末な身なりで、誰もが下卑た笑みを顔に浮かべていた。


「そら、あんたたちにあげる・・・わ。好きになさい」


 シュザンヌの言葉を理解するのに、またしても数瞬遅れた。

 あげる?好きにする?何を?


 ……………………あたしを?


「ハッ。アンタも趣味が悪い・・・・・な」

「刺されて死にそうな女を犯したがるあんたたちに言われたくないわね」

「ハハッ、違ぇねえ!」


 犯す。

 いくら痛みに頭が回らなくなっていても、その言葉の意味するところくらい分かる。


 つまりシュザンヌこの女は、あたしを刺して殺そうとしただけでなく、死ぬまでにこの男たちに犯させて、身も心も尊厳も、そして命も、あたしの何もかもを奪おうとしているのだ。


 なんで、なんであたしがそんな目に遭わなくちゃならないの?

 冗談じゃないわ、逆恨みにも程がある。


 だけどオーレリア先輩は今一緒じゃないし、公爵家の馬車が待っているはずの馬車停まりはまだもう少し先にあって、馭者さんも今のこの状況にはきっと気付いていないはず。

 周りの通行人たちが気付いているかは分からないけど、この状況で声をかけて来ないということは、きっと見てみぬふりをされている。

 助けを呼ぼうにも、痛みと恐怖で身体が震えて、上手く声が出せない。どうにかして助けを呼ばないと、あたし、このままこいつらに蹂躙される。


 と、そこでオーレリア先輩の顔が脳裏を過ぎった。


 そうだ、通信鏡。


 あれどこ入れたっけ?……ああ、そうだ。腰のポーチの中。


 震える右手をポーチの中に突っ込んで手探りで手鏡を探して、手当り次第に接続器アンテルプタを押しまくった。

 繋がれ、どこか。どこでもいいから。


「さあ、さっさとその娘を連れて行きなさい!」


 その声とともに、右腕を捕まれ無理矢理に身体を引き上げられた。その反動でポーチから手が離れてしまう。


「〜〜〜っっっ!」


 あまりの痛みに声さえ出ない。

 耐えるので精一杯。

 すでに全身から脂汗が噴き出ていて、顔から血の気が引いているのが自分でも分かる。歯の根も噛み合わない。傷口が熱く、それ以外から急速に熱が奪われ始めている。


「そら、自分でしっかり立ちな!」


 そう言いながら、男のひとりがフード付きの外衣ローブを被せてきた。男たちに囲まれ、こんなものを被せられたら短剣で刺されてるなんてぱっと見には分からなくなってしまう。


「いた……、いたい…………!」

「知るか」

「ヘヘッ、姉ちゃんも災難だねえ」

「俺たちゃあんたに恨みはねえが、あんたの・・・・身体は・・・ありがたく・・・・・使ってやる・・・・・からよ」

「いや……!」


 精一杯抗ってみても、力の入らない身体はほとんど無抵抗で、あっという間に近付いてきた脚竜きゃくりゅう車に押し込まれてしまった。

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