11.最後は甘い恋の話

 そしてコリンヌだが、本来死を賜るところをブランディーヌの嘆願で一命だけは安堵された。


 当初、死一等を減ぜられた彼女は王城地下の罪人牢に収監され、いれずみを刻まれた上でイェルゲイル神教の神殿へと預けられる予定だった。これでも処分が甘すぎるのではないかとの批判もあったが、彼女があの『お試し教育』で自身の愚かさをこれでもかと思い知ったこと、その直後に自ら死罪を願い出たこと、さらに自身の一命をもって父と男爵家の赦免を願い、自身の身勝手な言動で婚約破棄に至った全ての貴族家に謝罪して回りたいと述べたことなどから、ブランディーヌ自身が彼女の助命と身柄の引き取りを願い出て、結局それが赦されたのだ。

 そして、そのコリンヌは今、ローラン第二・・王子・・の婚約者となったブランディーヌの侍女として仕えている。


 無知がどれほど愚かなことか、学ぶことがどれほど重要なことかをあの一件で嫌というほど思い知ったコリンヌは、自らロッチンマイヤー女史に教育指導を受けたいと願い出て女史を驚かせた。そして現在、多忙な女史の代わりに女史の教え子のひとりを紹介され、10日に二度のペースで授業を付けてもらっている。そしてその授業料は、彼女がブランディーヌの元で働いた給金から全て捻出している。

 というのも、父のリュシオ男爵が娘の責任を取って爵位を返上し、それとともにコリンヌも平民に落ちたからである。実家にも迷惑をかけたからと彼女は自ら離籍し、今は姓なきただの“コリンヌ”だ。平民が貴族の講義を務められる教師に師事することは容易ではないし、迷惑をかけた多くの貴族家にも賠償を支払うことで合意していることも含めて到底平民に払える金額ではなかったが、そこはブランディーヌが貸し付けることで補ってやった。

 無論、コリンヌは何年かかろうとも働き続けて全て返済する覚悟である。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 よく晴れた日の昼下がり。アクイタニア公爵家のテラスで側にコリンヌを従えて、ブランディーヌは優雅にお茶を楽しんでいる。


「ブランディーヌ様にはいくら感謝してもし足りません。あのような無礼を働いた私をお許しくださり、あまつさえ取り立ててくださって、本当になんとお礼を申し上げてよいやら」

「いいのよ。貴女が教養を身につけ汚名を返上することで、わたくしの評価も上がるのですからね」


 実際、多くの貴族子息を誑かしブランディーヌ自身の命をも脅かしたコリンヌを見事に矯正させたということで、ただでさえ評価の高かったブランディーヌの名声はいや増すばかりだ。


「ですが、やはりジェニファー様には及びません。それに我が国にはノルマンド公爵家のレティシア様もおられますから、わたくしももっともっと上を目指さなければ」


 コリンヌからすれば遙か高みの存在であるブランディーヌにも、まだ目指すべき“上”がいるという。それも少なくとも二人も。その事実に目眩がしそうになる。


「でしたら、私などは本当にまだまだですね」

「それでも努力と研鑽を積んでいれば、いつかは望む高みへとたどり着ける時がきっと来るものよ。それまでお互い、気を緩めないようにしなくてはね」

「はい!」


 公爵家のテラスに、朗らかな主従の笑い声が拡がっていった。



「何やら楽しそうですね」


 不意に声をかけられてブランディーヌが振り返ると、そこにはやや暗めの赤みがかったブロンドの、穏やかな紺碧の瞳の少年が立っていた。少年と言っても体型はすでに大人とほとんど変わりなく、上背もブランディーヌより少し高いほどだ。

 その姿を見て、ブランディーヌともあろう者が慌てて立ち上がる。


「ローラン様!先触れを頂けたらお迎えに上がりましたのに!」


 そう。そこにいたのは、新たにブランディーヌと婚約を結んだローラン第二王子だ。


「いいんです。僕が急に貴女に会いたくなって、学園の帰りに立ち寄っただけですから」

「……っ!」


 そう言って輝くような笑顔を見せるローランを直視できなくなって、思わずブランディーヌは顔を逸らしてしまう。歳下だとばかり思っていた少年は、シャルルと婚約していた6年の間にすっかり見目麗しい美丈夫イケメンになっていて、おかげでまだまともに顔も合わせられない。何というか、心臓に悪い。


 そんなブランディーヌにクスッと笑みを漏らしながら、ローランは歩み寄ると跪いて彼女の右手を取り、その甲にそっと唇を落とす。


「……っぃ!」

「そうやって照れる貴女も可愛らしいですが、そろそろ慣れて頂けないでしょうか?」

「っぜ、善処いたしますっ……!」


 学園に通っていた頃、ブランディーヌが3年生でローランは1年生だった。その頃にも何度も顔を合わせていたし、その時はこんなに顔も見られないほど気恥ずかしくなることはなかったはずなのだが。

 全くどうして、婚約した今こんなことになっているのか、ブランディーヌには不思議でならない。義弟おとうとだったはず・・・・・、なのに。


(照れてるブランディーヌ様って、本当にお可愛らしいわね……)


 そして、そんな主人とその婚約者の甘すぎるやり取りをうっとりして見つめるコリンヌである。


(思えば、あの時からずうっとブランディーヌ様はローラン殿下にメロメロなのよねえ)



 そう、あれはあのお試し教育の数日後。改めて主だった当事者が集められ、それぞれに正式な“処分”を申し渡された時のこと。

 玉座の脇に控えていたローランは、シャルルとブランディーヌの婚約の破棄が成立した直後に彼女に駆け寄って、今みたいに跪いて彼女の右手にキスを落としてこう言ったのだ。『兄の婚約者として紹介された貴女を見て、ひと目で恋に落ちました』と。

 それからずっと彼女が忘れられず、さりとて兄の婚約者を奪うわけにもいかず、その想いを一生心に秘めて生きていかねばならないと覚悟していた。それが思いがけず兄の失態によって自分にもチャンスが生まれた。ならばもう我慢することもない、貴女に愛を囁いてもいいだろうか、貴女はそれを受けてくださるだろうか、私を弟のように思って下さっているのは知っているが、どうか願わくば弟ではなく良人おっととして見て欲しい。


 やや早口でそう熱烈にかき口説いて、鉄壁の淑女の微笑アルカイックスマイルを誇るブランディーヌを赤面させタジタジにしてしまったのがこのローランなのだ。

 そしてそれ以来ずっと、ローランを見るたびにその時のことが思い出されるようで、ブランディーヌはなす術なく“敗北”を重ねている。おかげで彼と出る夜会のたびに『ブランディーヌ様は随分とお可愛らしくなられた』『より魅力が増したのではないか』と囁かれまくって、もはや今となっては夜会だろうが茶会だろうがからかわれイジられまくっている。


「本当に、今からそれでは婚姻を結んでから身が保ちませんよ?」

「よっ、余計なお世話ですわっ!」


 現在14歳のローランは、婚姻が可能になる成人の儀までまだ1年近く残している。その間ずっとこうして蕩かされていては、婚姻式の頃には原形を留めていないかも知れない。

 仮にローランが学園を卒業するまで待つのであれば、婚約期間は丸2年ほどになる。ますますもって耐えられるのか、ブランディーヌには甚だ自信がない。


 というか、まだ14歳なのに色気ありすぎではないのですかこの王子は。本当にわたくしの2歳歳下なのかしら?

 とは思うものの、シャルルはこんなに熱烈に口説いてくれなかったし、これまでの人生で恋をしたこともないブランディーヌには完全に未知の経験で、もうどうしていいものやら見当もつかない。


「まあ、だからといって蕩かすのを止めるつもりはありませんけどね?」

「……っひぃ!」


 最後の悲鳴はローランが立ち上がってブランディーヌを抱きしめ、その頬にキスを落としたせいだ。そのまま額と言わず髪と言わずキスの雨を降らされ、「愛しています、私のブランディーヌ」と囁かれ、もはや彼女は息も絶え絶えである。

 なす術なく立ち尽くして、首から上が茹で上がったように真っ赤なブランディーヌは、確かに“完璧な淑女”と呼ばれていた以前よりも魅力的だなあ、としみじみ思うコリンヌであった。

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