09.絶望の二択

義姉あね上!?」

「ジェニファー様!?」


 王宮侍女たちが恭しく開けたその扉から小食事室に入ってきたのはなんと王太子妃、つまり王太子レオナールの妃となったジェニファーだった。海を挟んだ隣国アルヴァイオン大公国の公太子こうたいしの末の姫であり、先ごろ大々的にガリオンへと輿入れしてきた、正真正銘本物の“お姫様”である。


「シャルル殿下、そして皆様ご機嫌よう。本日はわたくしをもてなして頂けるとのこと、楽しみにして参りましたわ」


 花がほころぶような可憐な笑みを見せるジェニファー妃18歳。生まれついてのお姫様は、公爵家令嬢ブランディーヌをも上回る“淑女のなかの淑女”である。

 そして彼女は同時に“隣国のお姫様”でもある。彼女に対して粗相でもあろうものなら、冗談抜きで国際問題になりかねない。


 想定もしていなかった至尊の御方の登場に、コリンヌは卒倒してシャルルに抱き止められ、ブランディーヌはかろうじて表情を保ち、臣下に過ぎないオーギュストとベルナールは大慌てでその場に跪く。

 平然としているのは彼女がこの国に来てから王太子妃教育の“確認”を担当しているロッチンマイヤー女史と、予め登場を聞かされていたエドモンだけだ。そのエドモンにしたって自身でセッティングしたわけではなくロッチンマイヤー女史から話を通したと聞かされていただけなので、オーギュストらと同じく臣下の礼を取りつつも内心穏やかではない。


(先生ホントに御出まし願ったのかぁ……)


 冗談だったら良かったのに、と思いつつ、彼女がそんな冗談など言わない人だとエドモンは嫌というほど知っている。


「あらあら、ふふ。皆様そんなに畏まらないで。この場は公式の場・・・・ではない・・・・のだから、少しくらいは大目に見て差し上げますわよ?」


 少しくらい、ってどのくらいなんですか!?

 ロッチンマイヤー以外の全員の心の声が綺麗にハモった。だが当然ながらそれを口に出す度胸のある者などひとりもいない。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「久しぶりに、楽しい昼食になりましたわ。皆様に御礼を申し上げます」


 結論から言えば、王太子妃を迎えての“昼食”はつつがなく終えることができた。シャルルとブランディーヌが持てる教養と作法を総動員して、失礼のないよう彼女をもてなしたからだ。

 ジェニファーにとっては気を張ることもない、気楽な食事になったのかも知れないが、ぶっちゃけそう思っているのは彼女だけだろう。

 ちなみにコリンヌは、末席で小さくなって無礼な振る舞いが出ないよう、とにかく縮こまっていることしか出来なかった。何を食べたかも、その味も何も記憶に残ってはいない。


「ですが、これでは“教育”の目的を達成したとは言いがたいのではありませんか、夫人?」


 ジェニファーがロッチンマイヤーに声をかける。ロッチンマイヤーは肩書としては伯爵夫人の身分を持っている。


「妃殿下の仰せの通りでございます」


 ロッチンマイヤーが恭しく頭を下げる。ジェニファーが『昼食』と発言した時点で“昼餐”とは認められないのだから当然である。というか率先して饗さなくてはならなかったコリンヌが何もやって・・・・・いない・・・のだから、そもそも合格のしようがなかった。


「コリンヌさん、と仰ったかしら?」

「は、はひぃ!?」


 唐突に王太子妃から御言葉を下され、コリンヌが掠れた悲鳴をこぼす。その様子にロッチンマイヤーのこめかみがブルブル震えているが、コリンヌはもちろん気付かない。

 コリンヌは大慌てで椅子から崩れ落ち、そのまま土下座して額を床にこすりつけた。


「貴女への“罰”としてはもう充分かと思うのだけれど、残念ながら貴女にはまだまだ思い知ってもらわなくてはならないの」

「ヒ……!」


 王太子妃直々に『罰』と言われて、コリンヌは本日何度味わったかしれない絶望にまたしても叩き落とされる。

 もういっそ死を賜りたい。その方が絶対に楽になれる。


「だって、貴女がこのまま王子妃の地位を奪うことになれば、こちらのブランディーヌ様は死を賜ることになるのですから」


「…………えっ?」


 意外な事を言い出した王太子妃に、コリンヌは不敬になるのも忘れて思わずその尊顔を見上げてしまう。


「義姉上?なぜブランディーヌが死を賜らねばならないのですか?」


 彼女の言葉がよほど意外だったのだろう、シャルルも発言を許されていないのに思わず声を出していた。


「だって、彼女は優秀だからもう王太子妃・・・・入っている・・・・・のだもの」


「本当か、ブランディーヌ」

「はい、妃殿下の仰せの通りにございます。わたくしはもう、“国秘教育”が始まっておりますわ」



 王子妃教育とは、最高峰の高度な教育ではあるものの内容としては上位貴族の受けるそれと大差はない。それは誰にでも施せるものに過ぎず、きちんと修了できればどこに出し・・・・・ても・・恥ずかしくない・・・・・・・淑女の完成・・・・・だ。

 だが、“王太子妃教育”となると話が違う。

 王太子妃とは即ち、将来の王妃である。その教育ともなると国家の機密、そして王家の秘事までも受け継ぐことになる。真の意味で国の中枢に在るために、王妃は国家の全て・・・・・知らねば・・・・ならない・・・・のだ。


 そして、そればかりはロッチンマイヤーなど識者たちでは教育出来ない。臣下に過ぎない彼女らが知り得ない内容だからだ。

 故に、王太子妃教育を担当するのは王妃となる。ジェニファー王太子妃はまだ輿入れしたばかりでロッチンマイヤーが教養の確認を行っている段階だが、それが済み次第、現王妃アレクサンドリーヌによる王太子妃教育が始められる予定だ。

 そして、もう10年にわたって王子妃教育を受けてきているブランディーヌには、それに先立って王太子妃教育が始まっていた。


 つまり、もうブランディーヌは王家の一員・・・・・になる・・・しかない・・・・のだ。それはシャルルの婚約者として、彼と婚姻する事を前提にブランディーヌ自身の了承を得て始まっていることなので、関係者全員に周知が済んでいることだ。

 そして彼女がもしも王子妃にならないのであれば、王家の秘事を外に漏らさないために彼女を・・・始末する・・・・しかない・・・・のだ。


「そんな……!」


 婚約破棄こそ考えていたものの、ブランディーヌの命まで取ろうと考えていなかったシャルルは、自らの認識の甘さに目が眩む。

 コリンヌに至っては、想像力のキャパシティを遥かにオーバーして茫然自失だ。


 そして、そんな未来を想定することなくコリンヌがシャルルを唆し、まだ王子教育を修了しておらず王家の秘事を含む王太子教育にまで進んでいないシャルルが、独断でブランディーヌに婚約破棄を突きつけたのが7日前。

 だから今、実のところ王宮内では上を下への大騒ぎである。今回のコリンヌに対する“お試し”の王子妃教育も、発案こそブランディーヌだったが王宮内では本当にコリンヌに王子妃そして王太子妃が務まるものか、多くの人々がその結果に密かに注目していたのだった。


 まあ、昼餐に至るまでの体たらくでとっくに“不適格”の烙印を押されてしまっていたのだが、そんなことはコリンヌは知る由もない。


「そういうわけでね、貴女が自分の仕出かした事の罪を受け入れて死を賜るか、ブランディーヌ様が王家の秘事を守るために死を賜るか、どちらかの道しか残っていないの」


 困ったような顔でジェニファーが告げる。

 その声を、絶望に包まれつつもどこか安堵するような気持ちで、コリンヌは聞いていた。


「では…………私に死罰を、どうか……」


「そう」


 青褪めた顔で震えながら、それでも掠れた声でそう口にしたコリンヌに、いともあっけなく、一言だけジェニファーは返したのだった。

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