08.すいませんでしたーっ!

「身の程も弁えずにシャルル様のお妃なんか目指してすいませんでしたーっ!」


 コリンヌは無知で愚かだがバカではなかった。王子妃なんて自分には無理だ、と分かったからには全力で逃げを打つだけだ。彼女のその決断は早かった。


「え、今さら何言ってるの?」


 だがエドモンがそれを許さなかった。


「今日この日のために講師陣の先生方には全員予定を空けてもらっているんだよ?今さら取り消しアニュレなんてできるわけないだろう?」


 王子教育、王子妃教育を受け持つような識者といえば、国内でも最高峰の教養と能力を持つ者たちばかりである。彼らは当然、王子や王子妃の教育だけでなく他にも様々な仕事を持っていて、多忙な生活を送っているのだ。

 それを『コリンヌに王子妃教育を体験させるため』だけに1日押さえてあるのだ。

 その調整にたっぷり7日もかかったのだ。宰相の子であり将来はシャルルの側近として国の中枢で働くことが決まっているエドモンをもってしても、それは大変なことだったのだ。


 しかもコリンヌに受けさせる教育は、お試しとはいえれっきとした国の事業・・・・である。講師陣も慈善活動ではないから報酬を出さねばならないが、その報酬は国庫から・・・・出される・・・・のだ。

 つまりこれは伊達や酔狂ではなく、文字通り国家・・承認した・・・・正式な教育・・・・・である。それを途中で辞めるなど許される・・・・はずがない・・・・・のだ。


「言ったでしょ、『セッティングするのに苦労した』って。関係各所にどれだけ無理言ったと思ってるの?」


「そ、そんな……!」

「だからほら、続きやるよ?もうこれ受けるのは君の義務・・だからね?」

「ヒィィ!」


 逃げられないと知って、もはや涙目でガクガク震えるしかないコリンヌ。

 もう彼女には耐えられないだろうと分かりながらも、付けられた予算とかかった人の手を思えば心を鬼にするしかないエドモン。

 まあ正直言えば彼だって彼女がここまで出来ないとは思っても見なかったから同情を禁じえないが、だからといって裏で動く多くの物事やそれを調整した自身の労力を無にするつもりもない。


 それを見ながら、ブランディーヌがロッチンマイヤーに近付いてひっそりと声をかける。


「……ロッチンマイヤー先生」

「どうなさいました、ブランディーヌ様」


 ロッチンマイヤーとブランディーヌは王子妃教育が始まって以来10年目の師弟関係である。ロッチンマイヤーにとって彼女は自身の教師生活で一、二を争うほど優秀な、自慢の生徒であった。

 だから厳しい教育で知られる女史も、彼女には幾分と甘い。彼女が第二王子妃になることを信じて疑っていないため、すでに王族と見做して敬称で呼ぶのもそのためだ。


「コリンヌ様は地方の男爵家のご令嬢です。ですからその、それなりの・・・・・手心・・をお願い出来ないでしょうか」

「なんとまあ。男爵家の娘でしたか」


 それならばこの娘がこんなにも・・・・・粗野である・・・・・のも納得がいく。ロッチンマイヤーにとって、男爵家の娘など平民も同然である。

 だがそれだけに、ロッチンマイヤーはブランディーヌを追い落として王子妃になろうとしたコリンヌを赦すつもりはなかった。


「であるならば、尚更厳しく躾けないとなりますまい。こんな愚かなたくらみを企てる者が二度と現れないように、きっちりと見せ・・しめ・・なければなりません」

「えっ、そ、そこを何とか」

「なりません。そもそも御身おんみの地位を、今まで費やしてきた膨大な時間と労力とをむざむざ奪われかけているというのに、ブランディーヌ様はお優しすぎましょう。貴女様は我が国にとって唯一無二。もっとご自身の価値を正しくご理解下さいませ」

「そ、そんなことは……」


 思いがけず絶賛されて思わず俯くブランディーヌ。今まで褒めたことなどほとんどないロッチンマイヤーの言葉なだけに、思いの外破壊力が半端なかった。


 そして、そんなブランディーヌの向こうでは、今度はコリンヌがシャルルに縋りついていた。


「殿下ぁ〜!殿下からも言ってやって下さいよ〜!もうあたしには無理ですう!お願いですから助けて下さぁ〜い!」

「うん……いや、あのなコリンヌ?」


 シャルルは苦笑するしかない。可愛らしいとばかり思っていたコリンヌの言動が、今となっては浅はかで打算にまみれた、無責任で愚かな姿にしか見えなくなっている。


「今日のこれは『無料』だと聞いているだろう?」

「えっ……、はい」

「だが今止めるとなると、違約金が発生するはずだ」

「…………は!?」

「今日のこれにかかった費用が概ねこのくらいのはずで…………講師陣と場所と急な依頼での加算分、それにキャンセルアニュレの違約金も含めるとだな…………だいたいこれくらいか」

「ヒィ!?そんなに!?」


 シャルルが苦笑しつつ、コリンヌが持ったままのブランディーヌの時間割の裏に数字を書き込んでゆく。それを見たコリンヌの顔が蒼白を通り越して土気色になった。

 シャルルは今日この日の正確な予算など聞かされていなかったが、場所と講義内容と講師陣の顔ぶれから、ある程度正確に類推できていた。


「今やめるとなると、この額を賠償としてそなたに払ってもらわなくてはならなくなる」

「ゲェッ!?」


 そもそもが“お試し”として、コリンヌにさせて・・・やっている・・・・・に過ぎない。それも無理を言って組まれたものだ。しかも受けさせてやるのは王家なのである。

 それを受けさせてもらう側のワガママで・・・・・する・・というのなら、それ相応の賠償を払わなくてはならないのは当然のことである。特にコリンヌはすでに成人しているのだから、『子供のワガママ』などでは済まされない。

 そしてシャルルが概算してコリンヌに伝えた額は、コリンヌどころか男爵家が逆立ちしたって出せないような金額であった。


 つまり、もうコリンヌに逃げ場などない。諦めて最後までやり切るしかない・・・・・・・・のだ。



「さて、ではそろそろ再開しましょう。よろしいですわね、コリンヌ嬢」


 そして、無情にもロッチンマイヤー女史の宣告がコリンヌを絶望に突き落とした。


「そ、そんな……!」

「時間も押しております。本来ならばとうに昼餐が始まっている時間ですからね、さっさと席に着くように。淀み無く進ませますから、そのつもりで」

「まっ、待って!あたしもう無理ですう!」

「……その言葉遣いも一人称も度し難いですが、本日の“来賓”の前でもそのような話し方ができますか?」


 そう言って女史が小食事室の扉を見る。

 いつの間にか室内にいた王宮侍女たちが恭しく開けたその扉から入ってきた人物を見て、コリンヌだけでなくシャルルもブランディーヌも驚きで思わず目をみはった。

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