04.コリンヌという娘

 コリンヌは男爵家のひとり娘である。

 男爵とは五等級ある爵位の最下位で、いわゆる下位貴族にあたる。


 ガリオン王国では男爵は領地を与えられない。その代わり出仕して何らかの役職を国から与えられ、その俸禄を貰って家族を養い生活している。法衣貴族というやつだ。

 コリンヌの父であるリュシオ男爵はひなびた地方都市で、その地の財務官僚を務めている。首都ルテティアからは遠すぎず近すぎず、だから首都まで行って日帰りで遊ぶためには朝早く出立し夜更けに戻るなどして、少し頑張らねばならない。余裕を持たせたいなら首都で一泊するのが望ましい。

 だが男爵家の財政にそんな余裕などない。そのためコリンヌも首都には行った記憶がほとんどなく、彼女にとってルテティアは憧れの大都会であった。


 だから、彼女は勉強を頑張った。

 頑張って、首都にあるルテティア国立学園に合格できれば、憧れの首都での寮生活が待っているからだ。


 首都にはお洒落な喫茶店サロン・ド・テも、美味しいと評判の料亭リストランテも、流行最先端の菓子スイーツが話題の菓子工房パティスリーも、それどころか煌びやかなドレスの並ぶ服飾店ブティックも、最先端の美術品が鑑賞できる美術館ミュゼェも、新作の歌劇が楽しめる劇場テアトルも、なんだってあるのだ。

 年頃の女子として、憧れずにおれようか。

 そんなものの何ひとつない、野暮ったくて田舎臭い地元など、彼女は1日も早く出て行きたかった。


 そのために彼女は父男爵に無理を言って家庭教師を付けてもらい、9歳から12歳まで通う中等教育学校を卒業してからの1年間で必死に学力を高め、晴れてルテティア国立学園への入学を勝ち取ったのだ。



 だが、そうして憧れのルテティアに出てきた彼女の心を鷲掴みにしたのは、喫茶店でも料亭でも菓子工房でもなく、ましてや服飾店でも美術館でも劇場でもなかった。

 彼女が夢中になったのは、高位貴族のキラキラしい美丈夫イケメンたちとの“恋愛”である。


 侯爵家の三男で温和ドゥスールなイケメンのエドモン。

 伯爵家の次男で鍛え上げた野性的ソヴァージュな体躯が魅力のベルナール。

 同じく伯爵家の長男で、冷静クゥルな魔術の秀才オーギュスト。

 いずれもひとつ上の先輩で、ひと目姿を見られるだけでも尊死とうとししてしまいそうな破壊力満点のイケメンたち。


 しかも知り合えたのはそれだけではない。

 彼らと同じ、ひとつ上の学年には第二王子シャルルがいたのだ。彼のキラキラしさといったらもう、まさに王子様プランス。初めてその姿を見かけた時には本気で目が潰れるかと思ったくらいだ。


 何を大袈裟な、と思うかも知れない。

 でも嘘偽りのない、コリンヌの本心である。


 シャルルをはじめ彼らは全員、すでに決まった婚約者を持っていた。高位貴族ともなれば政略で伴侶を決めるのが当然で、それは小さな頃から家同士の談合で、本人たちの頭ごなしに決められるものだ。

 そんな事はコリンヌにだって分かっている。貴族に生まれて、学園の入学年齢13歳にもなって婚約者のひとりもいないコリンヌのほうが珍しい・・・のだ。

 だけど婚約者がいないものだから、勝手に恋慕するくらいいいだろうと、彼女は気にしなかった。



 そんなコリンヌは、入学してすぐ大人気になった。少し濃いめの飴色の髪に珍しい白銀の瞳の彼女は、自分では全く自覚していなかったが、首都ルテティアにおいてもそれなりに人目を引く程度には整った容貌をしていた。それに目を付けたクラスメイトコピーヌの子爵家の令嬢が行きつけの美容室サロン・ド・ブーテを彼女に紹介し、彼女の髪はゆるふわカールの見違えるような愛らしさを手に入れた。

 それ以外にも多くのクラスメイトコピーヌたちから化粧マキアージュのやり方や話術、話題、愛嬌のある仕草や立ち居振る舞いなどを仕込まれ、あっという間に彼女は男女問わず多くの学生たちを虜にしていった。その中には、コリンヌがひと目で恋に落ちた第二王子シャルルまでも含まれていた。


 都会に出てきて学生デビューを果たしただけの田舎娘が、それで舞い上がらないはずがない。チヤホヤしてくれる多くの学友たち、見違えるように可愛くなった自分。そして王子たちイケメンに囲まれて、すっかり彼女は有頂天になっていた。

 そう、周りに集う子息たちの大半が婚約者持ちだという事実さえ忘れてしまうほどに。


 コリンヌが男子生徒たちと仲良くなればなるほど、女子生徒の友人たちは少しずつ減っていった。美容室サロン・ド・ブーテを紹介してくれた子爵家令嬢も、化粧マキアージュのテクニックを授けてくれた男爵家令嬢も、男子に媚びる話術を鍛えてくれた男爵家令嬢も、いつの間にか離れて行った。コリンヌはそれに全く気付かなかった。

 気にしなかった、と言うべきかも知れない。だって彼女自身が同性よりも異性の友人たちと過ごすことを選んだのだから。


 少し長くなったが、要するにこういうことだ。


 コリンヌは、『お姫様扱い』に舞い上がったのだ。舞い上がって、あろうことか『本物のお姫様』を目指してしまったのである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「えー、古代ロマヌム帝国の末裔たる“八裔国”ですが、どの国々かお分かりですね?」

「んーと、我がガリオンはもちろん入ってるとして、」

「違います」

ビシン!

「痛ったぁ!」

「我がガリオン王国は確かに古代ロマヌム帝国時代のユーグ大公家の系譜ですが、帝国滅亡から程なくして大公位を失って一度滅びています。その後、ユーグ家の最後に残った姫がアルヴァイオン大公家とリュクサンブール大公家の後ろ盾を得て新たに興したのがガリオン王国の祖ロベール王家であり、故に我がガリオン王国は帝国の直接の末裔とは認められていません」

「し、知らないわよそんなこと!」


 ちょっともう何なのよ!なんであの逆三角眼鏡のオバサンだけじゃなくてこの歴史講師のオッサンまでムチ持ってるのよ!?帝国の滅亡が約千年前ですって?そんな昔のこと知るわけないじゃない!あたしの生まれる前の話なんて覚える意味ある!?


 コリンヌあたしは叩かれた左肩をさする。もう体中何回叩かれたか分かんないわよ!

 なんなのもう!なんでいちいちそんなもので叩くのよ!


「さて、そろそろ時間ですから残念ですが終わりにしましょう。次は休憩・・を取ります。時間は中一10分です」


 オッサンはそう言って、手早く教材をまとめると応接室を出て行った。その後ろ姿に顔をしかめてベロ出してやる。イーだ!


「コリンヌ、君も手洗いに行った方がいいぞ」


 シャルル殿下に言われて振り返ると、殿下だけでなく全員が立ち上がって出て行こうとしている。

 えっ、え?あたしまだ別に行きたくないんですけど?


「早くなさい。貴女は場所も行き方も知らないでしょう?」


 いけ好かない完璧令嬢サマが済ました顔でこちらを見ている。えー、アンタについてかないといけないの?


「あたしは別に行きたくないんで、いいですう」

「貴女ね。この時間も“王子妃教育”の一環なのだと解らないの?」


「………は?」

「いいからほら、立ちなさい」


 わけも分からず、手を引かれてあっという間に応接室を出された。


 って、速っ!

 完璧令嬢歩くの速っ!

 ちょっと待ちなさいよ!あたしを連れてってくれるんじゃなかったの!?


 ああもう!走ればいいんでしょ走れば!


「王宮内では走らない!」

バシン!

「ぎゃあ!」

「何ですかそのはしたない悲鳴は!」


 いきなり物陰から現れた逆三眼鏡オバサンにムチで叩かれた!しかも意地の悪いことに向う脛を叩かれたせいで転んじゃったじゃない!


「移動中は常に微笑みで!背筋をしっかり伸ばし、上半身を動かしてはなりません!スカートジュップの中の脚の動きを悟られないように、あくまでも優雅に、廊下を滑るように移動するのです!」

「いや怖っわ!そんなの絶対人間の動きじゃないでしょ!?」

「口答えしない!」

ビシィッ!

「へぶっ!」


 ホントなんなの!?移動時のマナーとか知らんっつうの!


 転んで脛さすってる間に完璧令嬢サマはとっとと行っちゃうし、オバサンはオバサンで「もういいです。応接室にお戻りなさい」とか言ってどっか行っちゃうし!もうマジむかつく!

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