03.地獄のRBC
「ではまず、こちらに目を通して下さい」
ロッチンマイヤー女史は表向きは何も言わずに、6人に一枚ずつ紙を配った。
「………時間割か?」
「時間割ですね」
「だが今日の分しか書いてないぞ」
「1日だけのお試し体験なんだから当たり前だろベルナール」
「え〜なにこれ〜」
その紙、時間割には上から順に、
朝三『マナー講習』
朝四『世界史講習』
『休憩』
朝五『語学講習』
朝六『ダンスレッスン』
『昼餐』
昼一『武術講習』
昼二『王族講習』
昼三『茶会講習』
昼四『政治学講習(国内)』
昼五『政治学講習(国際)』
昼六『魔術講習』
昼七『毒物講習』
夜『夜会講習』
『試験』
とある。時間は各講習ともおよそ
ちなみに「特大一」とは、この世界で時計の役割を果たす“砂振り子”という魔道具のことで、特大、大、中、小、微小と五種類ある中のもっとも大きなものが特大砂振り子である。ひっくり返してから中の砂が落ちきるまでおよそ1時間かかる。ちなみに微小が1分で、小が5分、中が10分、大が30分を計時する。
最初のマナー講習は朝三からとなっていて、この場の集合時間が朝三だったからこのあとすぐ始まる計算になる。
朝、
砂振り子は魔道具だから、量産品であっても朝鳴鳥の鳴き声か陽神の出を感知して、毎朝正確に時を刻み始める。色砂の入った、真ん中の細くくびれた筒状のガラス容器がひっくり返り、上半分に移った色砂が下に落ち始めるのだ。その色砂が落ちきる時間が、砂振り子の計時できる時間ということになる。
季節にもよるが朝六から朝七を数えたあたりで陽神が中天にさしかかり、そこからは昼一、昼ニと続く。昼七から昼八のあたりで陽が沈み、それから先は「夜」である。夜は1日には含まれないため、通常は計時は行われない。なお陽が沈む前後の、昼とも夜ともつかない微妙な時間帯のことを特に「晩」と呼ぶ。その時間に摂る食事が「
「え、待って。これ1日でやるの?」
時間割に書かれた内容がやっと理解できたようで、コリンヌがドン引きした声を出す。
「もちろんやって頂きます。本日は『お試し』ですから、基礎カリキュラムを一通り取り入れました」
ロッチンマイヤー女史がさも当然と言わんばかりに頷いて、コリンヌの顔が軽く絶望を帯びる。
「い、いやいや!無理でしょこんなの!」
「無理なものですか。確かに通常の王子妃教育は本来は昼からですので多少詰め込んだ形にはなっていますが、
「当然じゃないわよ!無理だっつってんでしょ!」
「さて、最初のマナー講習はわたくしロッチンマイヤーが担当致します」
「聞けよ!!」
「さ、全員お立ちなさい。窓際に一列に並ぶのです」
女史はもうコリンヌを相手にせずに、有無を言わさず6人に指示を出す。すでに『マナー講習』が始まっていると理解しているシャルル以下5人はそれに従いそそくさと並ぶ。
コリンヌはなおも女史に食ってかかろうとしていたが、いつの間にか女史の手に握られていた乗馬鞭を見て小さく悲鳴を漏らし、シャルルに窘められたこともあり渋々列に並んだ。
「そう心配するなコリンヌ。そなたはれっきとした淑女なのだから、しっかりした所を見せてやれば女史もきっと絶賛してくださるであろう」
「でも殿下ぁ……」
「そこ!私語は慎みなさい!」
第二王子であっても一切容赦しないロッチンマイヤー女史である。
「申し訳ありません先生」
「……っ、す、すみません……」
流麗な仕草でシャルルがサッと謝り、渋々それに倣ったコリンヌだが、そのコリンヌの右肩に乗馬鞭が飛んできて、思わず彼女は悲鳴を上げた。
「いったぁ!?なんで叩くんですか!?」
「黙らっしゃい!」
「ヒッ!?」
「貴女、お幾つにおなりになるのかしら?」
女史の冷ややかな目がコリンヌを貫く。
「え……15歳ですけど」
コリンヌが答えると、あからさまに落胆された。
「それで
貴女、ブランディーヌ嬢のお手本をよく見ておきなさい」
唐突に名指しされたブランディーヌは、だが慌てることもなく一歩前に進み出る。
踵を揃え真っ直ぐ背を伸ばし、肘を軽く曲げて骨盤の前で軽く両手を重ね、彼女はスッと腰を折り背を伸ばしたまま頭を下げた。だがそれでいて頭は下げすぎず、頭部で胸元を上手く相手の視線から隠しつつ、なおかつ後頭部も見せない絶妙な角度の美しいお辞儀である。
その動作に一切の淀み無く、立ち位置も姿勢も腰を折る角度も何もかも完璧な所作に、女史も満足げに頷く。
そしてブランディーヌは一言だけ発する。「大変、申し訳ございませんでした」と。
「これが、淑女の謝罪というものです。だというのに何ですか先程の貴女の態度は。所作も言葉遣いも表情も、何ひとつ出来ていないではありませんか」
「そ、そんな事言ったって──」
「口答えしない!」
「コリンヌ、今のブランディーヌの所作を見ただろう?そなたもきちんとやればあの程度造作もないはずだ」
「えっ……?」
隣に立っているシャルルにまでそう言われて、コリンヌの目が不安げに泳ぐ。
「淑女たるもの、感情をみだりに
ビシッ!
「痛ったぁ!」
「痛くない!」
バシッ!
「ぎゃあ!」
(なるほど、これはブートキャンプだ)
エドモンは心の底から納得していた。
これはまさしく、できるまで
(騎士団の
ベルナールが内心で冷や汗をかく。
ガリオンの騎士団は、新人の最初の訓練は甘やかす所から入る。初っ端から厳しくして逃げられては元も子もないからだ。
(反抗しても怒られるだけなんだから、コリンヌ嬢もさっさと所作を整えて合格を貰えばいいのに。何をやっているんだ)
鞭で何度も叩かれて早くも涙目になっているコリンヌを見て、ちょっと呆れるオーギュスト。
「殿下ぁ〜!助けて下さいよぉ〜!」
「大丈夫だ、君ならできる!」
「えっ、そ、そんなぁ〜!」
「つべこべ言わずさっさとなさい!」
ピシッ!
「痛っ!もうやだぁ〜!」
(ですからわたくし、事前に『受けてみますか?』と
そしてそれを、ブランディーヌが冷ややかに見ていた。
そう。ブランディーヌはコリンヌに、王子妃教育を「受けろ」と言ったのではない。受けてみるか確認しただけだ。そしてシャルルが勝手に請け負ってしまったとはいえ、コリンヌは拒否の姿勢を示さなかった。
その結果がこれである。まあブランディーヌには予想がついていたことではあったが、早くも結果が見えてきたような気がしないでもなかった。
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