7


 大人たちが散ったのを見計らって、ルナリアは杖を振って、夕星の元に駆けよった。


「大丈夫ですか」

「ちょっと邪魔」


 救急箱を持ったアスタが後ろからルナリアを突き飛ばし、前に躍り出る。その後にユリウスが続いて、夕星の前でおたおたし始めた。


「うわ、どうしよう。夕星さん、死んじゃう」

「死なない!」


 アスタに怒鳴られたユリウスはぴたりと大人しくなった。ルナリアはしゃがみ込み、アスタから手当を受ける夕星の頬に触れた。未だに溢れる鮮血が目を逸らしたくなるほどに痛々しかった。


「何であんなことしたのですか?」

「俺は殴られてもどうでもいいから。だったら気にしない奴が殴られた方がいいよ」


 そう言う夕星の目はルナリアとは交わらない。


「あなたは優しいのですね」

「別に」


 夕星は自分の頬に触れるルナリアの手をそっと払った。辺りでは明日のシビュラ討伐について交わされる声がどこからも聞こえてくる。ルナリアはおずおずと声を上げた。


「あの、やめませんか」


 周囲の視線がルナリアに集まった。いくつもの懐疑的な双眸がたちまち取り囲んだ。


「その、シビュラという方々は悪いのかも知れません。でも、その人たちにも大事な人がいていなくなれば傷つきます。そうしたら、今度は残された人たちが復讐して、たぶん関係のない人まで巻き込まれます。何より戦えばあなたたちも」

「は?」


 ルナリアのすぐ側でアスタの手から包帯が落ちた。鋭利な刃のような、冷たい声だった。


「じゃあ、私たちはこのままいつまでもこんな目に遭ってろってこと? 折角卒業できるチャンスが来たのに。ていうかあなた、うちに依頼に来たんでしょ。じゃあ、私たちを戦わせる気満々だったってことじゃん。その口が何言ってんの?」


 咄嗟に声を返そうとするも一瞬詰まった。


「私は何も知らなくて、考えてなくて、だから決してそんなつもりは。でも、でも、あなたたちはいいように利用されているだけですよ。どうして分からないのですか。こうなったら私が通報して」

「そんなの分かってるよ! 私たちがそんなことも分からない馬鹿だと思ったの?」

「決してそのような。ただ私は、あなたたちを助けたいと」

「助けたら?」

「え?」

「助けたその後はって聞いてんの。たまにあなたみたいな人がいるんだよ。何も考えずに私たちを助けようとする人が。でも、そうやって助けられても私たちは救われないんだよ。身寄りのいない子供なんて、観測者の子供なんて、どこにも行く当てなんかないんだから」

「観測者って何ですか?」


 恐る恐る発せられた問いかけにどこからか失笑交じりのため息が漏れた。アスタは半ば呆れて目を見開いた。


「そんなことも知らないの? あなたたちみたいな普通の人たちの下らない争いは全部私たちみたいな兵器の部品代わりになる子供がやさられてんの」

「そんな。でも私は」

「じゃあどうすんの? ここから連れ出して一生私たちの面倒見てくれるの? できないよね。女の子は好きでもない男に体売るか、男の子は壊れるまで働かさせられて使える部分だけ取り出されるくらいしか生きてく方法なんてないんだから。まだ寝床があって、食事があって、自分の意思で戦えるだけここにいた方がマシ。あなたさ、さっき自分がどんな顔してたか分かる?」

「え?」

「にやけてたんだよ」


 全く予想だにしていなかった言葉にルナリアは狼狽えた。しかし、それはあのとき、悪の大人を糾弾しようとしたときの気持ちの答えとして、胸を抉った。


「悪い奴、やっつけられるチャンスですごい楽しそうだったよね! あなたは私たちそのものを助けたいんじゃなくて、“弱者”を助けたいの。世間から弱者を見捨てない善人にカテゴライズされたいか、単にクズをぶちのめしたいだけ。私たちのこと何も知らないくせに!」


 違うと否定して逃れようとも、糾弾する手はどこまで伸びてくる。彼らを助けたいという気持ちに嘘偽りはないはずだ。けれども自分の中に支配欲と虚栄心を自覚した。そこに彼らはいなかった。ルナリアの目から涙が溢れた。


「前にもさ、子供のためのそういう団体の人たちが来て、何人か連れ出したけど、結局生活できなくて、盗みとかして捕まって、結局最後は。それで、私たちが文句言ったら、悪いのは子供を虐げる連中で、自分たちは関係ないとか言い出して。私たちからしたらどっちも一緒だよ」

「ご、ごめんなさい。私、何も、何も知らなくて。足の具合がずっと良くなくてあんまり外に出たことなかったから、本当に常識知らずで」


 辛うじて泣き声は上げず、取り乱さなかったものの、涙はいくら抑えようとも止まらない。その姿を前にしてアスタは、ばつが悪そうにルナリアから目を逸らした。


「そういう弱い部分持ち出されたら私が悪い感じになるじゃん。そうやって弱さを振りかざして黙らせるの暴力と変わんないよ」


 背後からヨシノが現れ、アスタの肩に手を置いた。


「アスたそー。そこまで言わなくていいんじゃない? その脳に染み渡るロリボイスでせっかく罵るんだったらどうかこの拙者めを」

「変態キモデブオタクは黙ってろ!」

「ぶぶぶひぃっ! ありがたき幸せ!」


 円を作って始終を眺めている生徒たちの間をかき分け、カササギが全員に向かって声を張った。


「お前ら。遊んでる暇はねえぞ。整備班は整備にかかれ。各班長は作戦会議だ。医療班は怪我人の面倒。戦闘要員は今のうちに休んでおけよ」


 カササギの声に、生徒たちははっとした面持ちになり、それぞれの持ち場へ戻っていく。そして、夕星を顎でしゃくってからルナリアに一瞥くれた。


「こいつが勝手にやったことだ。気にすんな」

「でも」

「俺たちも、あんたのことを気にしてる余裕はない」

「私はお邪魔ですね」

「悪いな」


 ヨシノを伴い、カササギは各班長たちを集めに行った。アスタもまた機体の整備に向かう。


「心配ないですよ。あと一回ですから」


 取り繕ったような明るい声のした方にルナリアが向くと、ユリウスが夕星の手当を続けていた。


「さっき先生が言っていたように、明日の試験に通ったら推薦がもらえるんです。そしたら俺たち、どこかの会社に就職して普通の暮らしができるんだ。どこがいいかな。ボチカ・ディフェンス・コンサルティングとか、あっ、鳳凰科技公司とかもいいなあ。とにかく、どこに行こうが俺の夢も叶います」


「夢、ですか?」


 涙を拭ってルナリアは問いかける。ユリウスは一瞬口を噤むと、何もなかったようにはにかんで答えた。


「俺、小っちゃい頃母ちゃんと離ればなれになっちゃって。だから自由になってちゃんと暮らせるようになったら迎えに行きたいなって」


「そうですか。叶うといいですね」

「はい。でもどうせなら夕星さんと同じとこ就職したいなー。今日も夕星さん凄かったですよ。一人であいつらやっつけちゃうんだもん。俺も夕星さんみたいになれたらなー」

「何で俺みたいになりたいの?」


 夕星の遮るような問いかけだった。ユリウスの瞳にたちまち憧憬の光が宿った。


「だって夕星さんは俺と違って、なんていうかその、役目? みたいな。とにかく自分だけのポジションみたいなの持ってるじゃないですか。この学校で、あれだけ敵に恐れず勇敢に戦えるの夕星さんだけじゃないですか。俺も夕星さんみたいに意味のある人間になりたい。そしたらみんなを守れたのかな」


 ユリウスは自分の胸に視線を落とした。夕星はしばらく眺めていたかと思うと、不意に視線を外した。


「俺はそんなことないよ」

「そんなことありますって」

「鼻血」


 夕星はユリウスの鼻から垂れる血を指す。


「ユリウスはタンザク使うのやめた方がいいよ。体が向いてない」

「でも、夕星さんみたいになりたいですから」


 ユリウスは鼻血を拭うと屈託なく笑った。


「明日が最後ですから。そしたら何もかも変わります。あと一回。あと一回だ」

 

 自分に言い聞かせるように、ユリウスはそう言った。ユリウスだけではない。ルナリアが辺りを見渡せば、同じような旨のことを言っている生徒たちが何人もいた。


 あと一回。あと一回頑張れば救われる。それがまるで唯一の救いのように彼らはそう唱えていた。それが目に見えない不確かな、存在しているか定かでもない幽かなものでも、そう唱えていれば現実になるかのように。彼らは祈っていた。


 ここは自分の居場所ではない。彼らにとって私は唾棄すべき異物だ。ルナリアはセムアーク行きの〈ソルダット〉に乗り込み、その場を後にした。

 

 機体の鉄板が遮る彼らの景色はどこまでも、遠い。

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