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「試験内容は至ってシンプル。新東京第七廃棄区画中野を違法占拠している過激宗教団体シビュラをぶっ殺してもらいます! この成果を持って皆さんの合否を判定しまぁす!」


 一瞬の沈黙の後、生徒たちのざわめきが波及していく。〈ソルダット〉の影からルナリアは顔を出して、訳も分からず視線をきょろきょろとさまよわせた。


「シビュラってあの、人体実験とかもしてるっていうテロ組織だろ。どうすんだよ」

「今日だって何人も死んだんだ。これじゃ」

「明日って何考えてんの。昨日の夜から夜通し進軍してるのに、戦えるわけないじゃん」

「おいっ! 今の誰だ!」


 途端に水を打ったように静まりかえった。生徒たちの視線が声の発信源に注がれる。激高したリッカルドがそこにいた。


「何だその態度は。自分ばかりが辛そうにしやがって。先生たちだって、昨日から夜通しお前らの授業に付き合ってんだぞ。こっちも疲れてんだよ!」


 セムアークの課外授業とはつまり外部組織から受けた戦闘依頼だ。正規隊は、教師たちはその全てを生徒たちに丸投げして、発生した対価をかすめ取っている。


 リッカルドはゆっくりとした威圧的な足取りで、発言者であるその女子の前に立った。


「ち、ちが」


 怯える少女を前に、リッカルドはいやらしく口角をつり上げた。


「おい、セックスしろよ」

「や、やだ」


 身を引いた少女に、リッカルドは前に踏み込むと平手を放った。


「誰がお前なんか汚え観測者のガキとやるっつったよ。おい、そこのお前」


 リッカルドは近くにいた少年を顎でしゃくった。少年はおそるおそる自分を指した。


「そうだ。お前だよ。こいつとやれ」

「いやでも」


 立ちすくむ少年を無理矢理引き寄せると、リッカルドは少女の前に突きつける。いつの間にか他の正規隊の大人たちも取り囲み、少女を押さえつけた。リッカルドはためらう少年の横顔に下卑た笑みを近づける。


「何いい子ぶってる。内心ラッキーだと思ってんだろ。どうせ。お前くらいのガキなんかやることしか考えてねえんだ。ほら、動物の交尾を見せてくれよ。何が観測者だ。人以下の家畜が人間ぶるな」


 品のない笑い声が辺りに反響する。生徒たちの中には怒りを湛えた目つきの者や、物陰に隠れる者、目をぎゅっと瞑って視線を外す者など様々な感情がそこには渦巻いたが、誰も止めることはできなかった。何人かの生徒は悔しそうに巻き付けられた首輪を握りしめていた。


 ルナリアは呆然と立ち尽くしていた。次第に肩が震える。その足が前に踏み出そうとしたとき、夕星の手が伸びて、ルナリアを後ろに押し飛ばした。


 笑い声が止み、いよいよ行われる一瞬の間。だから、よく音が通った。


「ふごっ」


 リッカルドの苦悶の声と、拳を振り抜いた鈍い音が辺りに響いた。周りにいた誰もが唖然とし、特に生徒たちは一様に青ざめていた。その中でただ一人、拳を振り抜いた夕星本人だけが無感情な表情でそこに立っていた。


 リッカルドは血の滴る口元を拭いながら、地面に手をつき、驚愕した目で夕星を見上げた。


「お前、自分が何したのか分かっているのか」


 夕星はわずかに小首を傾げ、自分の拳に目を落とした。


「パンチ」


 リッカルドは愕然としながら口を開く。


「何でこんなことした?」

「長そうだから」

「長い?」

「長い」

「ふざけんな」


 リッカルドは地面を蹴り上げると、夕星を殴りつけた。夕星は地面に倒れ込み、先ほどと様相が逆転する。他の正規隊の面々もその後に続き、暴力が降り注いだ。


「いいか。てめえら観測者は人の形をした道具だ。大人しく兵器のパーツになっていればそれでいいんだよ。十年前の事件だってな」


 血しぶきが飛び、夕星の体が青紫に腫れ上がっていく。当の夕星はやり返しもせず、無表情でそこにうずくまっていた。


 ルナリアは周りを見回す。生徒たちはそれぞれ思うところはありそうなものの、誰一人夕星を助けようとしない。拳が自然と硬く結ばれる。少年に暴力を振るう大人、それを目の前で見過ごす仲間たち。


 違う。一瞬でも彼らに怒りの原因を求め、動こうとしない自分に一番腹が立った。けれども怒りとは別にもう一つ感情があった。酩酊のような高揚感。何だこれは。


 リッカルドが着用しているジャケットのポケットに乱暴に手を突っ込んだ。


「もういい! くそ、手元にねえ。誰か! スイッチ持ってこい!」


 スイッチを持ってくれば何が起こるか分からなかったが、ルナリアは阻止すべきだと直感した。怒りとは別の感情のことを気にしつつも、愛用の大きすぎる杖を振りかざし、前に躍り出た。


「やめなさい!」


 一瞬リッカルドは、見慣れない派手な赤い袴姿のルナリアに面食らうが、すぐに声を荒らげた。


「うるせえ! 何だお前は!」

「ルナリアです! 特技は視力2.0!」

「訳の分かんねえこと言いやがって。お前も痛めつけてやろうか」

「待ちなさあぁい!」


 突如、響いた大声が場を支配する。その場にいた全員の視線がゴールドに集まった。ゴールドはルナリアを値踏みするように眺めた。


「金! 金の匂いがしますねえ。さてはあなた、お客様では?」


 ゴールドの意図は分からなかったが、現状合わせる方が得策だとルナリアは判断し、胸を張った。


「そうです。お客様です」

「やはりやはり。して我が校にはいったいどのようなご用件で? うちは庭の草むしりから、ジジイの尻拭き、果ては戦争までご用命とあれば何でもお引き受けいたしますよ」

「しかし、理事長」


 食い下がるリッカルドに、ゴールドはルナリアに対する猫なで声とは一転として沈着とした態度で応じる。


「お客様の前で野蛮なことはやめなさい。彼女に免じて許してあげなさい」

「けど」

「許せって言ってんだろ、このバカチンがぁ!」


 ゴールドは腰を回し、全体重を拳に乗せてリッカルドを殴り飛ばした。


「暴力とか最低の行為だぞ。恥を知りなさい。恥を。さ、生徒諸君。出発は明朝です。早く準備を始めなさい。先生な。みんなが合格できるの祈ってるからな。これにさえ合格すれば、色んな企業に推薦がもらえるからな。辛いのもこれで最後だから頑張れよー。ささ、お客様。ご依頼は道すがらお伺いしましょう」


 ゴールドは野暮ったい長髪を振り払い、〈ソルダット〉へと踵を返す。リッカルドは不服そうに立ち上がると、正規隊の群に視線を飛ばした。


「家畜の調教はてめえの仕事だぞ。ドミニク!」

「は、はい!」


 ドミニクと呼ばれた男のひ弱な声が一つ飛ぶと、リッカルドは舌打ちしてその場から立ち去ろうとする。少年の声が一つ上がった。


「あの。明朝出発って補給は? ここからセムアークに戻ってたら間に合わないんじゃ」


「んなもんあるわけねえだろ! 頭使え! せっかく朝まで時間やったんだから、それで何とかしろよ!」


 それだけ吐き捨てると、リッカルドをはじめとした正規隊のうち半数がゴールド共に帰還の支度を始めた。残りの半数はこれから始まる試験の監督に愚痴をこぼしていた。

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