第111話「努めて心穏やかに」

 エアラが言うには、急な用事で天狗は今朝からトザシブを離れているらしい。


「『僕に急ぎの用があったら、エスード商会に来る様に』って。なんでエスード商会なのかは知らないけど」


 カシロウとオーヤが顔を見合わせる。


 エスード商会とはクィントラの実家だが、特別に罰を与えられた訳でもなく普通に営業を続けている。

 調査の結果はまだ出ていないが、この間のクィントラ事件は十中八九クィントラの単独犯だとの見解が主であり、ここ魔王国には連座の仕組みもないためである。



「どうしてエスード商会なのかしら?」

「恐らくは転送術式があるからだろう。天狗殿ならば大型の方も使いこなされるし」


「あぁ、噂の。ならヤマノ様、どうします?」

「それほど急ぐ用でもない。二、三日で戻られるならそれからで良いだろう。エアラ、天狗殿が戻られたらよろしくお伝えしてくれ」



 

 

 オーヤを伴い王城自室に戻ったカシロウをハルさんとユーコーが迎えてくれた。


「どうでやしたか? 柿渋についてなんぞ分かりそうでやすか?」

「いや、そっちについてはサッパリだった。ハルにも面倒かけてすまなかった」


 カシロウはオーヤへの言伝を頼んだハルさんの一走ひとっぱしりが無駄になった事を詫びた。


「いやそんな事は全然構わねぇんでやすが、『そっち』ってぇと他にも何かありやしたか?」



 カシロウはハルさんとユーコーに、ハコロクがオーヤを見て『ハコミ姉やん』と口走った事を語ってみせた。

 それを聞いて色めき立つハルさんとユーコーに対し、どこか他人事の様に微笑んで聞くオーヤ。


「オーヤ! もしかしたらお前の親兄弟が分かるかも知れねぇな!?」

「……オーヤちゃん? 嬉しくないの?」


 二人がそうは言うが、至って冷静にオーヤが言う。


「わたくしに過去はもう要りませんの。ハル様との未来があれば、それだけでもう、私は幸せでございますわ」

「――オーヤ!」


 手を取り合って見つめ合うハルさんとオーヤ。

 二人のイチャイチャ感に呆れつつも生暖かい目を向けるヤマノ夫妻。


 そこへ――


「ただいまでござるーっ!」


 ――バァンと扉を開いてヨウジロウが帰宅した。


 わたわたと手を離し、わざとらしく前髪を直したりスカートの裾を整えたりするハルさんとオーヤは真っ赤な顔で、「おかえりなさい!」と元気よくヨウジロウを迎え入れた。




 いつもよりも早いが、ヨウジロウの帰宅に合わせてカシロウはハルさんを上がらせた。となると当然オーヤもハルさんと共に帰って行った。



「父上、昼は残念でござったな」

「ま、しょうがあるまい。どちらにせよ柿渋の行方はそう容易たやすく知れようもないしな」


 カシロウは努めて明るくそう言い放つ。


 残念なのはもちろんだが、ハルさんとオーヤの様子に癒された事もあり、トノと約束した通りに心穏やかに過ごさねばならぬと改めて己れを戒めていた。



「あんまり悩むとまた頭痛が酷くなりそうだしな。今夜はもう何も考えずに過ごす事にするよ」


「それが良いですよ。さ、お夕飯の準備しますわね」

「ハルもいないし私も手伝うよ」

「ではそれがしも!」



 久しぶりにのんびりと、親子三人でゆったりとした夜を過ごしたヤマノ一家。


 期待した成果を得られはしなかったが、カシロウの心も傍目はためには、波立っておらぬ様に感じられた夜だった。





⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 ベッドに入ったカシロウは、そうは言ったがついぼんやりと、脈絡なく色々と考えてしまう。


 ――天狗殿はどこへ行ってしまったのか。急な用事とはなんなのか。


 ――エスード商会から遠くへ飛んでいるのだとしたら、クィントラ絡みだろうか。


 ――そう言えば……、細切れにしてしまったクィントラはどこに葬られたのか。


 ――もしオーヤ嬢がハコミ姉やんだったとしたら、ハコロクの姉にあたる訳だから、ハルはハコロクの義兄になるわけか。


 ――オーヤ嬢は『お嬢様口調』だが、元々はあっち、民王国ダグリズルの言葉を使っていたのかも知れぬな。


 ――明々後日しあさってにはトノが元通りに復活する。

 トノの存在を僅かにしか感じられない今、己の心が弱っている事が実感できる。


 ――それにしてもユーコーの料理は一向に上達しない。ハルはもちろん、なんなら私の料理の方が旨い。

 今度ビショップ倶楽くら――、いやヒルスタに連れて行ってみるか。





 ――努めて、努めて心穏やかに……。



 



⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 翌朝目覚めたカシロウの腹の上に、トノは姿を見せなかった。


 ――一昨日おとといも現れなかったし、そういうものなのだろう。


 とカシロウは特に気に留めず、恐らくトノは、少しでも早い復活を心掛けてくれているのだろうと考えた。


 実際にそれは当たっていた。

 トノは己の出番が近くある様な、そんな気がしていたから。




「ヨウジロウ、今朝も一緒に行こう」

「何か用事でござるか?」


「現場に出る前にな、昨日ビスツグ様には全くお声掛けせずに出てしまったから一言謝りに、な」


「ビスツグ様は全然気にしてなかったでござるよ?」

「そうだろうとは思うが一応な」



 リストルもそうだった。


 臣下が礼もせずに出て行ったとて怒るような事はなかったが、逆に『怒らせたかな?』とドキドキしてしまう様な人だった。


 もしかしたらビスツグもそうかも知れぬと、カシロウはそう考えた。そしてヨウジロウにくっついて魔王の間へと向かうと、扉の向こうがなんだか騒がしい。


「もう誰か来てるでござるか?」 


 ヨウジロウが警護の人影じんえいへ声をかけると、今朝はまだ誰も中へは通していないと答えが返る。



 ならばここより先に住むのは王族の者のみ、ビスツグかキリコ、それか護衛のハコロクあたりが騒いでいるらしい。



「入っても良いでござるか?」


 マズければ即座にハコロクがそれを伝える筈なので平気だろうと言う。


 人影の者はカシロウとヨウジロウが訪れた事を部屋内にしらせ、そして扉を開く。

 案の定、魔王の間にはビスツグとキリコ、加えてハコロクまでもがワタワタと騒いでいた。



わたくしとミスドルはやはりこの城を出ます! きっと今度は私たちの番ですもの!」



 二歳のミスドルの手を引いたキリコが、ハコロクとビスツグを真っ直ぐに見てそう言った瞬間だった。

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