第110話「ハコミ姉やん」

「……ハ、ハコミ姉やん――!?」


 そう口走ったハコロクは固まっていたが、皆の視線を感じて口をつぐんだ。


「……ハコロク? 『ハコミネエヤン』とは何だ?」

「へ? ワイそんなん言うてまへんで?」


 ビスツグの問いにしらばっくれるハコロクを、この場の誰もが認めなかった。

 さらに視線に晒されたハコロクは諦めて口を開いた。


「……ワイ、実は兄弟が多くってな。二十年程も前の昔やけど、姉やんが一人おらんなったんや」


 皆の視線が今度はオーヤに向いた。


「その姉やんになんとなく面影が似てたんや……。でも、まぁさすがにそんな事ないやろ」

「……ごめんなさい。私には私がその『ハコミネエヤン』かどうかさえ分からないの」


 オーヤ嬢が自らのこれまでを簡単に説明した。

 かどわかされ売り飛ばされたこと、天狗に助けられて天狗の里へ連れてこられたこと、そしてそれより前の記憶がないことを。


 そして結局のところは誰にも分からなかった。

 ハコロクを見たオーヤが、突然記憶を蘇らせるでもない限り、それは判明しないのだから。



「……気にせんといてや。さすがにそないな偶然ないですやろ」



 オーヤ嬢=ハコミ姉やん説についてはそれでもうお蔵入り。一応は天狗に聞いてみるとオーヤが言うが、オーヤの話を聞く限りは天狗にさえ分からなそうだった。



 そして忍術について。


 結果は全く捗々はかばかしいものではなかった。

 ハコロクの回答もほとんどオーヤと変わらなかったのである。


「すんませんなヤマノはん。ワイも転生者の親父から習った忍術しか知りまへんのや」


 ハコロクは傍目に見てもすまなそうにそう言って続けた。


「せやからオーヤはんの忍術が柿渋に似てるっちゅうのも、この忍術しかこの世界にはなくて、ウチの親父の教えを受けた誰かになろうただけとちゃうやろか」


「そう、ですか……」



 落胆するカシロウとは裏腹に、ハコロクとビスツグは心の中でホッとひと息ついていた。

 リストルの死の真相には、どうやってもカシロウに辿り着かせる訳にはいかない。



「……もし。もしもですよ?」


 諦めのつかないカシロウは食い下がる。


「もしオーヤ嬢がその、『ハコミ姉やん』だとしたらどうでしょう?」

「どうもこうもない。ワイにとっては嬉しい話やけど、ただそれだけや。逃げた柿渋に繋がる事はないやろ」


 ビスツグも内心ハラハラとそのやり取りを見詰めているが、ハコロクはさらにハラハラしていた。


 ビスツグにとっては、リストル暗殺の実行犯がハコロクであること、故意ではないとは言えそれを示唆したのが自らであること、それが露見しない事が重要である。


 しかし、ハコロクにとっては、柿渋=ハコロクである事をも誰にも知られてはならない。


 天狗はただ一人それを知っているが、ビスツグさえもそれは知らない。


 カシロウに対しては、失敗に終わったビスツグ暗殺も、成功したリストル暗殺も、行方の知れぬ柿渋装束の男に全てかぶさねばならない。


 ビスツグに対しては、『柿渋がリストル暗殺を果たしたように見せ掛けた』としてはいるが、当然、柿渋=ハコロクを隠さねばならない。



 普段のハコロクならば、こんな綱渡りのようなややこしい事に首を突っ込む事はない。


 さらりと行方をくらまして、どこか他国へ逃れるのが常。

 しかしクィントラ依頼人の目から逃れる為にビスツグ護衛を始めた筈が、今ではすっかりこの仕事にやりがいを覚えていた。


 何故だか魔王ビスツグは己に懐き、共に護衛の任に就くウノら天影てんえいの者からも確かな信頼を得た。

 ハコロク自身も不思議だが、それらに愛着が湧いているよう。


 いつの間にかハコロクは、無意識に己を魔属と任じているらしい。

 だから絶対に露見する訳にはいかない。



「まぁ諦めなはれ。柿渋も忍術を使う言うたかて、それから辿るんは、ワイには難しいと思うで」


「…………分かりました。お時間とらせて申し訳なかった」


「……父上……」



 カシロウはオーヤにも、すまなかったね、とひとつ言葉を掛け、肩を落として魔王の間を後にする。


 オーヤもビスツグへ向けてがばりと頭を下げて、カシロウの後を追うように退出した。




 ふぅ、と誰にも分からぬ程度の吐息を漏らしたハコロクとビスツグ。


「本当になんともならんでござるか?」

「お父ちゃんに似てヨウジロウはんも諦めの悪いこっちゃ」


「けど――」

「もし仮にや。その柿渋がやで、ワイと同じ忍術を使う奴やったとして」


 ハコロクはひとつ指を立てて言う。


「さらにワイの知ってる奴やったとしようや」


 二つ目の指も立てて続ける。


「だからってワイにそいつの行方が分かると思うのん?」


 立てた二本の指をくるくる回してパッと掌を開いて見せた。



 ――勿論分かるんやけど。それワイやから。


 

 とは口が裂けても言えないハコロクである。


「……それもそうでござるか……」


 とりあえずは皆を納得させる事に成功したハコロクは、ひとつ肩の荷を下ろす。


 ――ピンときてもうた。ありゃ間違いなくハコミ姉やんや。ややこし事にならんとええけど……。


 けれどまた、肩の荷をひとつ増やしていた。





⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 カシロウは王城の自室へとは戻らずに、門を出て特に当てもなく歩いていた。


「ヤマノさま!」


 それを町娘スタイルのオーヤが可憐に駆けて呼ぶ。


「…………あぁ、オーヤさんか。悪かったね、わざわざ来てもらったのに」


 見るからに暗い表情のカシロウへ、オーヤが務めて明るく言う。


「これから天狗さまの所へ参りませんか? やはり何か相談するならあの方を置いて他にありませんもの」


 確かにそれは間違いないなと、カシロウも首肯する。

 あの『軽さ』でもって、時にひどい肩透かしを喰らいもするが、相談相手として最高の相手であるのは間違いないだろう。




「あらヤマノさまにオーヤちゃん。ごめんなさいね、あの人ったら急な用事で二、三日戻らないらしいのよ」


 訪れた二人に「お宿エアラ」の女将、エアラ・カワキーヌがそう言って謝った。

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