第14話「お父さんがいるから」

 カシロウは無事命を落とすこともなく、幸い五体満足で天狗山へと辿り着いた。


 が、ロクに飲まず食わずで休むことなくさらに丸二日ほど山中を駆け回ろうとも、が見つけられなかった。


「見つけられん! どこにもない! 誰かに尋ねたいが人っこ一人おらぬ!」


 などと叫んだところで出会ったのが――――




⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


「んで、こちらを目指す最中に山賊どもに襲われた、と」

「そうなんです……。ところであの山賊どもは……?」


「今朝もあそこまで見に行って来たけど、どうやら死んだのはあの狼の獣人だけ。それ以外は全部まるっと逃げたみたいだね」


 ここは恐らく、あれほど探しても見つからなかった天狗の里。


 こことあそこがどの程度離れているものか、気を失って運ばれたカシロウには解りかねた。

 けれど自分が丸二日の間彷徨さまよい歩いても里を見つけられなかった事から考えてそう近くはないであろうと当たりをつけた。


 ――やはり、この御仁ごじんは只者ではない。


 カシロウがそんな想いを抱いたその時、ほぎゃほぎゃと赤子の愚図ぐずる声が聞こえてきた。

 カシロウの顔が僅かに青くなる。


 どうしてもあの――理解の追いつかぬ表情で斬り刻まれていったヴォーグの顔が思い起こされてしまうから。



「ヤマノさんの話を聞かせて貰ってさ、目を覚ましたヨウジロウさんを里長の娘さんに預けっぱなしじゃあ、ちょっと危ないかな?」


「すぐこちらにヨウジロウを。やはり今のヨウジロウは危ない」

「そうだよね。どれ、僕が抱っこしてやろう」


 そう言って天狗は立ち上がり、障子を開いて奥の座敷へ行ってしまった。


 少し間が空き心配するカシロウを他所よそに、ヨウジロウをかかえ、ニコニコしたまま天狗が戻ってきた。


「里長の娘さんに怒られちゃった」

「何かありましたか?」


「それがあったのよ。ちょうどお乳あげようとした所で部屋に入ってっちゃったの。良いもんだよね、若い人妻のお乳」


 テヘ、と舌を出して片目を閉じてみせた天狗。

 カシロウは迂闊にも、ジジィの癖にちょっと可愛い、そんな思いを抱いてしまった。



「ヤマノさん、とりあえず肩の力を抜いて。いまヨウジロウさんからはくだんの刃は出ないと思うから」


 確かにカシロウの肩には力が入っていた。

 枕元の側に転がされた二本の兼定にいつでも手を伸ばせるように、と。


 しかし天狗は事もなげにそう言う。

 ヨウジロウの刃は出ないと。


「…………何かなさったのですか?」


「大した事はしてないんだよ。ちょっと魔力を込めた声で教えてあげただけさ」

「……教えて、ですか?」


「そう。『あなたのあ母さんとに任せれば大丈夫。お母さんもも、あなたの事を愛してるよ』ってね」


 ――そんな事で?

 カシロウはおいそれとは信じ難く、怪訝な目付きで天狗を見つめた。


「ヨウジロウさんはさ、いつも一緒にいたお母さんと離れて不安だっただけなんだよ」

「ええ、だから早く妻のもとへ連れて帰らなければと……」


 天狗はチッチッチッと舌を鳴らして指を振る。


「そこが違うのさ。お母さんとは離れたけど、、そう伝えるのが肝心なんだ」


 カシロウは項垂うなだれた。

 そんな事で解決するとは夢にも思わなかったし、実際そういう様なことを伝えた気もしたからだ。


「まっ、そうは言ってもまだ安心は出来ないんだよね。ちょっと普通のお子さんじゃあないみたいだから」


 再び青褪めるカシロウ。


「それは一体……」

「追々きちんと説明するよ。どれ、先ずは怪我の様子を見せてご覧」



 そう言われてカシロウはようやく、自らの体の傷が癒えている事に気がついた。


 ヨウジロウに斬り裂かれた体中の傷に加えて深く斬られた頬の傷、さらには骨まで達していたであろうヴォーグに噛みつかれた肩の傷まで。


「どこにも痛みはありません。治癒術ですか? 天狗様が?」

「様なんて要らないよ。僕ぁそんな大層なもんじゃあないよ」


「そうですか。では天狗殿、貴方が治癒術を?」


 まぁそんなようなもんだよ、傷痕はしっかり残っちゃうけどね、と事もなげに天狗が言い、部屋の隅の箪笥たんすから下帯を出してカシロウに差し出した。


「いつまでもスッポンポンじゃあ、お互い困るよね。里長の奥さんはそのままの方が喜ぶだろうけど」



 天狗が差し出した下帯を身につけたカシロウ、筒袖の服と着物とどっちが良いかと問われ、一も二もなく着物を選んだ。


 白の長襦袢(肌着)にセンスの良い素鼠すねず色の着物を着流しにしたカシロウを天狗が見詰め――


「ははぁ、男前が着るとこうも違うかね」


 ――そう声を漏らした。



「こちらは天狗殿の……?」

 カシロウと比べて天狗の背は15cm強五寸は小さい。

 なのに丈の長さがちょうど良かった。


「僕のじゃあないよ。だってここ僕んちじゃないもん。里長のだよ、服も家も」


 どうやら天狗、持ち主に断りもせずに勝手に出してきたらしい。


 いや、そんな事は自由にできる程に、この里で天狗は崇められているのかも知れない、カシロウはそう思い改めた。


 だぁだぁ、と天狗に抱っこされたヨウジロウも手を叩いてニコニコしている。

 どうやら父のお洒落な装いを喜んでいるらしかった。


 カシロウ、胸が詰まる。

 久しぶりに見た我が子の屈託ない笑顔だったから。


 その時、天狗が入ってきた障子が開き、やや肥えた年配の男と先程の中年女性が顔を見せた。


「あ、その服は手前のでは……」

「あらあら、まぁまぁ、主人より断然素敵♡」


「里長とその奥さん、後ろがその娘さん。昨夜から部屋を貸してくれてるんだ」


 二人に続いてハタチそこそこの女性が続き、三人が畳に膝を折って座り会釈した。


 ちなみに三人の服装は和装ではなく、この国の一般的な、筒袖のカジュアルな装いだった。



「この天狗の里で里長をやっております。昨夜は血塗ちまみれで運び込まれてどうなる事かと思いましたが、ずいぶんと顔色も良い様ですな」


「大変ご迷惑をお掛けいたしました。このお礼は必ずさせて頂きます」


 カシロウも慌てて膝を折り、深々と頭を下げた。


「滅相もない。天狗様のお客人にお礼など不要にございますよ」

「いや、しかしそれでは……」


「良いの良いの。こんな事も里長の仕事の内さ」


 ヒラヒラと掌を上下させて、天狗が簡単に話を終わらせる。

 にこやかな顔の里長の頬が僅かにヒクついたが、それを天狗が忖度そんたくする事はなかった。

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