第9話「ビショップ倶楽部へ」

 結局、クィントラの耳が千切れた事件は『謎のカマイタチ現象』として処理された。


 何とか『知らぬ存ぜぬ』で乗り切ったカシロウとハルさんは無罪放免。四青天しせいてんの執務室を出て自室へと戻る道すがら、三朱天さんしゅてん筆頭のウナバラに呼び止められた。


「おうヤマノ。今夜はに来い。ヨウジロウ氏も連れてだぞ」


 それだけ言ったウナバラは背を向けたが、思い出した様に振り向き付け加えた。


「奢ってやるから晩飯食ってんなよ」


 ウナバラの言う『ウチ』、そして『奢ってやる』という言葉。

 これに喜ばない者はここ魔王国ディンバラにはまず居ない。


 それと言うのも、ウナバラの実家はこの国随一の名店『』なのだから!


 カシロウもハルさんも行って飯を食った事はある。目も眩むような旨さは間違いないが、なんと言っても高いのだ。おいそれと赴ける所ではない。


「…………あ、あっしは……?」

「すまんハル。お呼ばれしたのは私とヨウジロウだけの様だ……」





 城をグルリと囲むように広がる城下町。

 城下の中でも繁華な城下南町を抜け少し行けば、打って変わって瀟洒しょうしゃな邸宅が並ぶ区画となる。


 

「ヨウジロウ、お前はまだ離乳食のお粥程度しか食えんが安心しろ。ユウゾウさんの所で出るものは全て間違いなく美味い。ま、少々値が張るがな」


 カシロウは城下町をやや早歩きで進む。


 特別急いでいるわけではないが、旨いものに目がないカシロウ、逸る気持ちを抑えられないでいるのだ。



 なんと言ってもヴィショップ倶楽部。

 それはこの国で最も美味い店で知られる名店。

 十天の序列四位、ウナバラ・ユウゾウ海原 雄三の実家であるヴィショップ家が経営する店だ。


 かつては高位の聖職者を受け継ぐ家系だったが、ウナバラから遡って何代かは料理の才能と経営の才能に恵まれた。


 いや、ウナバラを除けば、その才にしか恵まれなかった。


 ウナバラの曽祖父は諦めて料理人になった。

 父の代には国内トップレベルの料理店になった。

 

 そしてウナバラ・ユウゾウは、優れた頭脳で十天まで登り詰め、さらに画期的な料理を作り出す国内一の料理人としての名声を欲しいままにしている。


 カシロウのフルネームは『ヤマノ・カシロウ・トクホルム』であるが、ウナバラのフルネームはさらに、この世界で両親に貰った名をミドルネームとし、『ウナバラ・ユウゾウ・ロサンジ・ビショップ』だ。


 長過ぎてもう誰もフルネームで呼ぶ事はないが、産まれた転生者はだいたい皆がそうである。



「ごめん。ユウゾウさんはいらっしゃるか?」


 ヨウジロウを負ぶったカシロウは、間口の広い建物の暖簾を潜り、顔見知りの番頭にそう声を掛けた。


「これはヤマノ様、いらっしゃいませ。主人あるじは来客中ですが、伺って参りますのでしばしお待ちを」


 ウナバラは序列で言えば四位であるが、実質この国の舵を取っているのはこの男である。


 序列一位、魔王リストル・ディンバラは最終決定権を。

 二白天である序列二位ブラドは立法を、序列三位グラスは司法を。


 そして三朱天の三名が行政を担当し、とりわけ三朱天筆頭であるウナバラの才覚による所が大きい。


 執務に家業に新作料理にと、この国で最も働き者の男であるのは間違いないと噂されるほどである。


「おぅ来たな。昼の事件についてあーだこーだと話してたとこだ」


 着流しに脇差一つを差したラフな姿のウナバラがそう言った。

 先ほど番頭が言った『来客中』の言葉を思い起こし、少し嫌な予感がカシロウの胸に去来する。


 けれどそれをあっさりウナバラが打ち消した。


「クィントラじゃねぇ。トミーだよ」

「あ、左様で。トミーオ殿がお見えでしたか」


 三朱天の一人、序列六位トミー・トミーオ。

 ウナバラとトミーオは幼馴染であり、親友と呼び合う仲。

 対してカシロウとトミーオは『割りと親しい』という程度である。


「まぁ上がれ。話は飯でも食いながらだ」


 雪駄を脱いで框を上がり、ウナバラの後を続いて廊下を進むカシロウ。


「ヨウジロウ氏は離乳食始めてるか?」

「ええ。ひと月ほど前からですが」


 顎に手をやり、ふむん、と考える素振りのウナバラ。


「なら三分粥さんぶがゆだな。ちょいと店の者に頼んでくるから先に行っててくれ。離れの座敷だ」


 ウナバラのヴィショップ倶楽部はこの世界では相当に珍しい、カシロウが前世で慣れ親しんだ純和風の木造建築である。


 板張りの廊下を抜けて中庭へと出、そのまま渡り廊下を通って離れへと向かう。


「中にがいるが、噛み付いたりはせぬ。騒ぐなよ」


 ヨウジロウにそう小さく声をかけて障子を引こうとしたカシロウに、部屋内から声が飛んだ。


とは言ってくれるでヤンスね。こう見えてワテクシ、オタクの上司でヤンスよ?」


 片目を閉じたカシロウがしかめっ面。


 ――しまった、相手はあのトミーオ殿、聞こえていたか……


「さ、流石はトミーオ殿、相変わらず良い耳をしておられる!」


 色々と諦めたカシロウはもう思い切って障子を引き開け、敢えて大声で笑いながら座敷に踏み入った。


「参った参った! 流石はトミーオ殿でござる!」


 そしてその勢いのまま障子近くの座布団に腰を下ろして徳利とっくりを取った。


「まぁ、別に? 怒ってる訳ではないんでヤンスよ?」


 トミーオもカシロウに併せて猪口を取り上げ、カシロウの持つ徳利に向ける。

 しかしその目はジッとカシロウの背、ヨウジロウに向けられて、その犬顔は蕩ける様に柔和であった。


「ヨウジロウ殿、初めましてでヤンスね~♪ でヤンスよ~♪」


 犬の獣人トミー・トミーオが大の子供好きであった事を思い出し、事なきを得たカシロウはホッと胸を撫で下ろした。




「おぅ、やってるか?」


 開いた障子から顔を覗かせたのは、ここの主人あるじウナバラ・ユウゾウ。


「遅いでヤンスよ。今日は倶楽部の方には出てないんダショ?」


「すまん、ヨウジロウ氏の三分粥を頼んだんだが、ちと口出しのつもりが長くなった」


 ウナバラがそう告げて座に加わり、トミーオを見詰めた。


「……またか」

「羨ましいでヤンスか?」


 キャッキャと楽しそうな声を上げるヨウジロウが、トミー・トミーオに抱かれ首の辺りの毛をモフモフモフモフと撫で回していた。


「いや、俺はオマエほど子供好きじゃない。羨ましくない」

「ふん、そういうことにしとくでヤンスよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る