第8話「左耳、再び」

 カシロウの執務室には、それぞれ二十歩ほど離れた位置に机が四つ、そしてそれぞれの机近くの壁には書架が並ぶ。


 下天の下位、若手で構成される四青天しせいてんの四人が使う部屋である。


 実はカシロウ、執務室に籠る日が最も居心地が悪い。


 各方面に事前に話を通し、『負んぶ下天』として仕事をする事について了解を得ているが、それでもチクチクと嫌味を言い続ける者が一人だけいる。


 カシロウよりも二歳下、けれども序列で言えば一つ上。序列九位クィントラ・エスードがそれだ。


 一方的にクィントラがカシロウを嫌っている様子ではあるのだが、クィントラとカシロウは元々あまり仲が良くない。

 五年前にカシロウとユーコーが所帯を持ってから、更にクィントラはカシロウにキツく当たる様になった。



「ユーコーさんが倒れたのって疲労のせいなんだろ?」

「ん? ああ、そうだ」


「はっ! 旦那失格だね。僕ならそんな事絶対にさせないね!」


 ――やはりコイツ……今でもなのか?

 そう思いつつもカシロウはそれには触れない。


「そうかも知れんな。ユーコーにはすまん事をした」

「ふん!」


 大きく鼻を鳴らしてきびすを返し、クィントラが自分の机へと戻って行く。

 カシロウの机から前方、こちらに背を向けて座ったクィントラ。


 魔王リストルの居室に対して尻を向けない様に机と椅子は配置されているのだが、『カシロウを視界に入れて仕事をしたくない』とのクィントラの要望を容れた結果の席順である。



「カシロウ様、クィントラ様って未だになんでやすか?」

「ハルもそう思うか……、どうもそうらしいな」


 クィントラ・エスード、幼い頃からユーコーにベタ惚れの男である。


 カシロウは思う。


 ユーコーは今年で二十九。美少女と持て囃された面影をそのままに、大人の美しさを遺憾無く発揮している。しかも魔人族ゆえその美しさが劣えるのはまだずいぶんと先。

 さらに頭も悪くない。加えて明るい性格に凛とした心根。


 岡惚れするのも分かる。


 しかし、今このややこしい時に我々にちょっかい出すのは止めてくれ、と。



 そんなカシロウの願いも虚しく、クィントラのは止まない。


「あぁ~、執務室が乳臭くて集中できないな~」

「ぶは~、赤子のクソが臭過ぎて仕事どころではないなー」

「うるさいぞヤマノ。少し黙らせろ」

「こんな糞みたいな亭主でユーコーさんも可哀想になー」


 チクチクチクチクネチネチネチネチずっと嫌味を言われた。


 乳臭さとオムツの匂いは確かにあるが、ヨウジロウはずっと静かにしている。明らかにクィントラの方がうるさい。


 不当な言われ様に対してか、やはり起こるべくして事は起こる。



 ――ハルさんは見た。


 カシロウの机の横に控えていたハルさんからは、つぶさに状況が見て取れた。


 ヨウジロウがブスっと頬を膨らましたかと思った刹那、ヨウジロウの眉間のあたり、そこから少し離れた一尺あたりの所から、掌サイズほどの煌めく何かが飛んだ。



 ――カシロウも見た。


 背に負ったヨウジロウから風を感じ、顔を上げるとキラリと光るいくつかの『剣刃に似た何か』が前方に飛んで行くのを。



「……ってぇ……あ? ぅぁ、ぁぁああああ!」


 を抑えて立ち上がったクィントラが痛みに堪えきれず体を捩る度に血が飛び散った。



「ハル! 治癒術士を!」

「へぃ――」


「アンタ達ってば、一体何やってるのよぉ?」

「…………」


 ハルさんの声を遮るように、四つある机のうち、うず高く本が積まれた残りの二つから二人が立ち上がってこちらを覗いた。


「居たのかヴェラ! リオ! クィントラに治癒術を頼む!」


 素早く状況を読み取ったヴェラとリオが治癒術を構成していく。


「あたしの名はヴェラ・クルス。精霊さんたち力を貸してぇ。傷を癒しなさぁい」

「……………………」



 序列七位ヴェラ・クルス、序列八位リオ・デパウロ・ヘリウス。

 カシロウと同い年の二人はカシロウと違って魔術が得意なタイプである。


 ちなみにリオは名前に似合わない巨体、そして生粋の無口。喋らなくても良い時には一切喋らない。

 すなわち魔術を使う際に詠唱はであるという事。

 ただし、十天の紅一点ヴェラの様に詠唱する方が何故だか一般的ではある。


「ねぇカシロウ? クィントラの千切れた耳がそこらにないかしらぁ?」


 治癒魔術を維持するヴェラにそう言われたものの、カシロウは飛んでいくを目撃している。

 一つ目の刃が耳を斬り飛ばし、続く刃が飛んだ耳を細切れにしたのをしっかりとその目で見た。


 ハルさんと共に賽の目状になった耳を拾い集めてヴェラに見せる。


「……これじゃ無理ねぇ。さすがの私ぃでもぉ、これは繋げられないわねぇ。リオぉ、貴方ならできるぅ?」

「…………」


 リオ・デパウロ・ヘリウスは無言で首を振った。






⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎



「貴様が剣を振るったんだろう!」

「絶対に違う。魔王様に誓って言う。私ではない」


「では貴様の使用人だろう!」

「あっしでもありやせん。誓いやす」


 クィントラは激昂している。


 仕事をしながら同僚に嫌味をぶつけていたら、いきなり耳を千切られた。そして犯人と思しきはその同僚。


 激昂するのも当然と言えば当然である。


「ヴェラ、そこんとこどうなんだ?」


 そう言ったのは序列四位ウナバラ・ユウゾウ海原 雄三

 彼は下天下位のカシロウらにとって上役にあたる下天の中堅どころ、三朱天さんしゅてんの筆頭である。


 そう、名前から分かるかもしれないが、彼こそがカシロウと同じ世界から転生した先輩。

 フルネームはウナバラ・ユウゾウ・ロサンジ・ビショップ。前二つが前世の名、後ろ二つが今世の名前だね。


 ちょっと脱線しちゃうけど、彼はカシロウとは違ってから産まれた――つまり普通に両親から産まれた一般的な転生者なんだ。



 四青天の執務室は今、多くの人が出入りしている。


 その多くがこの国の治安維持に当たる「人影じんえい部隊」、リストル魔王直属諜報機関「天影てんえい」の下部組織である。


 ちなみに四青天に昇進する前のカシロウは人影部隊の所属だった為、チラホラと見知った顔の者がいてなんとなく居た堪れない思い。


 それらに加えて、ウナバラを含む三朱天のメンバー。


「私ぃ、耳が千切れた所は見てないわぁ。でもぉ、カシロウ達は間違いなくぅ自分の机に居たわぁ。二人には無理ねぇ。魔術を使えるのならぁ話は別だけどぉ」


 少し頬を赤く染めたヴェラがそう言った。


 ヴェラ・クルス、カシロウと同じの二十八歳。十二も離れたウナバラに恋している。

 派手な顔立ちに相反し初心うぶなのだ。

 


 カシロウとハルさんは言う。


「知っての通り、全く使えん」

「あっしもでやす」


 事が起こってすぐ、主従二人は口には出さずに目だけでお互いの意志を確認していた。


『知らぬ存ぜぬの一点張り』


 二人は嘘が得意ではない。

 けれどさすがにヨウジロウが犯人だと疑われる事も無く、『自分ではない』と本当のことを言うだけで余計な嘘をつく必要がなかった。

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