第10話「女将を呼べ」
店の者がいくつかの料理と酒や飲み物を運び終えたのを見計らい、カシロウは口を開いた。
もうこの際、洗いざらいぶち
「昼の件ですが、単刀直入に言って犯人はこの――」
「ヨウジロウ氏だろ? 違うか?」
「――我が子、ヨウジロウの仕業に――」
そこまで言ったカシロウが慌てて顔を上げた。
「まさか、お二人とも気付いていらしたんですか?」
カシロウはさすがのウナバラとトミーオでも驚くだろうと思っていた。
しかし、カシロウの言葉に二人はゆっくりと
「まぁな。クィントラの耳の断面を見れば色々と分かる。明らかに後方、お前の机方向からの攻撃。さらに魔力の残滓はなし、魔術でも精霊の仕業でもない」
「加えてお前とお前の従者に
「具体的な手段は分かんねぇが、トミーオの鼻と耳を信じれば、犯人はヨウジロウ氏しかいねぇよ」
ウナバラのその類い稀な頭脳とトミーオの常人離れした感覚により、二人は犯人を導き出していた。
「でしたら……、何故私は無罪放免に……?」
ウナバラとトミーオが、キョトンとお互いの顔を見詰め合った。
「何故って……、オマエ犯人じゃないじゃん」
「ヤマノ犯人説は有り得ないでヤンスね」
二人の態度に動揺を隠せないカシロウはさらに言い募る。
「い、いや、しかし、我が子の仕出かした事は――」
「なら証明しろ。ヨウジロウ氏が犯人だとな。出来たら罰してやる。さぁ、しろ。…………どうだ出来んだろ」
カシロウは太腿の上で握り締めた手を見詰め口を開いた。
「出来ません」
「そうだろ。推測は出来ても俺にだって無理だ。しかも考えてもみろ」
「と言いますと?」
ピンとこないカシロウに二人が言う。
「ゼロ歳児が犯人! なんて、よう言わんでヤンスよ」
「仮にも下天。しかも軍事を司る四青天の一人であるクィントラがだぞ。ゼロ歳児に耳を千切られたとあっちゃぁオマエ。目も当てられんだろ。えぇ? おい」
カシロウは自分の身に置き換えて考えてみた。
「黙ってて欲しい……、で、ございますな」
「そうだろ。だから誰も罰しない。それがクィントラの為にも、ヤマノの為にも、ヨウジロウ氏の為にもなる。そういうこった」
そう言ってウナバラは、猪口にあけた酒を一息に飲み干した。
「誰も罰さない。まぁこれはもう決定だ。二人とも良いな?」
「良いでヤンスよ」
「はい、理解しました」
ウナバラから誰も罰さない旨を聞いた後、カシロウは二人に事の起こり、フミリエの小指が千切れ飛んだ事件から事細かく説明した。
その説明のさなか運ばれてきた、美食の数々を摘みながらである。
最高級の食材、煌びやかな職人の技、口に運ぶたびに陶然とさせる料理たち。
中でもカシロウが最も美味いと思ったのは、米の一粒一粒まで厳選した、恐ろしく手間暇の掛かるもてなしの心の詰まった白飯であった。
「それでどうしたもんかねぇ、ヨウジロウ氏の事は」
「放っておく訳にはいかんでヤンスねぇ」
「それなんですよ。ヨウジロウの不思議な力をどうにかせねばと頭を捻っては居るのですが……」
そこまで言ったカシロウが猪口を摘んでグッと開け、酒臭い息をふぅぅとひと息ついて口を開いた。
「ぶっちゃけクィントラの耳が千切れた事なぞどうでも良い。なんなら良くやったとヨウジロウを褒めてやりたいぐらいです」
「ほう?」
「あの様なことが続けば、じきに私がこの愛刀で同じ事をしたでしょうから」
カシロウはこの十日ほど、クィントラが自分やヨウジロウに対して吐いた暴言を聞き続け、もはや我慢ならない自分に気がついていた。
十天の末席である自分、序列で言えば一つ上のクィントラ。
けれど歳で言えば二つ下の二十六歳。
二つも下のクィントラに何故あれほどボロクソに言われねばならんのだ。カシロウはそう思う。
幼い頃からユーコーに惚れていたとは聞くが、そんな事は知った事ではない。
なぜか。
カシロウもそうだからだ。
もちろん一緒に育ったというアドバンテージもあるだろう。しかし、カシロウは物心つく頃には既に、ユーコーの事を自らが守るべき相手として扱ってきた。
べた惚れだったからだ。
だからそんな事は知った事ではない。
立場のことなど打っちゃって殴り倒してやりたい。
それは俺の嫁だと、拳で、なんなら剣で、判らせてやりたい。
「おう、言うじゃねえかヤマノ。俺ら下天同士の
「ユウゾウはそういうの好きでヤンスねぇ」
「何言ってんだ。お前もだろ?」
「大好物でヤンス」
三朱天の面々は二白天ほど枯れていない。
「確かにクィントラの嫌がらせは目に余る。しかしそうは言ってもだ、こんなつまんねぇ事でヤマノに人斬りを、しかも下天同士でさせる訳にゃいかねぇ。やっぱこのまま『負んぶ下天』のままじゃいけねぇなぁ」
「出来ることなら私も揉めたくはありませんし、ヨウジロウをこのままという訳にもいきません。何か良い知恵はありませぬか?」
うーむ、と唸って顎に手をやり悩む三朱天の二人。
「魔力の残滓はないんだから魔術でもない、恐らくは精霊なんつう不確かなもんでもない。そんな不思議な力なぁ」
「魔力が暴走するケースは見た事あるんでヤンスが……」
束の間、悩み声と猪口と徳利、それに箸の音だけが座敷を支配したが、「失礼致します」と届いた給仕の声がその支配を破った。
「三分粥をお持ちしました」
スゥッと障子を開いて給仕の者がにじり入って来た途端に香る、
――しかし。ヒクヒクと鼻を動かしたウナバラが語気荒く言う。
「おい、これを作ったのは誰だ?」
「え……、しゅ、主任さんです」
「ミッドを呼べ! すぐにだ!」
カシロウとトミーオは何事かと大声を出したウナバラへと目をやるが、当人はテーブルに載った粥を見詰めて動かない。
「ユウゾウ様、お呼びですか?」
「この粥はなんだ!? 俺が言った通りに作ってねぇじゃねえか!」
ミッド主任、このヴィショップ倶楽部でウナバラを抜けばトップの料理長。ミッド・ルリバーが言いにくそうに口を開く。
「いや、あの、その、
「女将を呼べぇ!」
時を置かずして、齢の頃六十ほどの恰幅の良い女が座敷に現れた。
このヴィショップ倶楽部の女将、すなわちウナバラの母親である。
「女将! どうして出汁を弱めた!? こんなショボくれた粥をウチで出す訳にはいかねえ!」
「この料理バカが。聞けばまだ半年の赤ちゃんだって言うじゃないか」
カッと目を開いたウナバラが言い募る。
「何言ってやがる! 半年の赤子でもウチの客だ! 妥協したもんは出せねぇ!」
女将は溜息をついて、諭すようにこう言った。
「分かんないのかい? アンタの粥じゃぁ
少しの間の後、ウナバラがしょんぼりと頭を下げた。
「……うーん、そうか、そうかも知んねぇな。女将、ミッド、すまねぇ」
分かりゃいいんだよと小さく言った女将が空いていた座布団に腰を下ろし、徳利を取り上げカシロウの猪口に酌をした。
さすがは名店ビショップ倶楽部の女将、って感じの貫禄だよね。
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