第4話「天狗」

「そこの山賊ども、待てぃ!」


 大声が鳴り響いたが、一切待たなかった者がいた。


「ぴぎゃぁぁぁぁぁああああ!」


 火がついたように突然猛烈に泣き始めたヨウジロウ。その声とともにヴォーグの体が宙に浮く。

 カシロウの左肩に噛み付いた首から上はそこに残したままで。


 ヴォーグはカシロウの脚の付け根に立ち、右肩と左脇の辺りを掴んで噛み付いていた。その為ヴォーグの胴はヨウジロウに対して無防備に晒されていた。


 カシロウ獲物に噛み付くヴォーグがこれを避けることは不可能である。


 ヨウジロウから放たれた刃がヴォーグの右肩から左脇にかけて、ちょうど袈裟に斬る形で正面から斬り飛ばしたのだ。


「…………あ? …………え?」


 一体何が起こったのか、斬られたヴォーグは恐らく分かっていないだろう。



 しかしカシロウは、その薄れ行く意識でハッキリと見た。


 自分に噛み付いた頭、しがみついた左腕、その二つをフワリと離れていくヴォーグを。


 離れたヴォーグの胸から下を、さらにヨウジロウの刃が唸りを上げて襲うさま――腕を、胸を、脚を、腹を、至る所を斬り付けて斬り分ける様を。



 さらにカシロウの体から、残された頭と左腕がずるりと離れてゆく。


 カシロウにとってその姿は余りにも痛ましく、その表情は同じ剣士としてあまりにもむごたらしいものだった。



 カシロウとヨウジロウが大量の返り血を浴びた時、ドサドサと、細切れになったヴォーグが地に落ちた。


「ヴォーグぅぅ!!」


 山賊親分が大声で叫び――


「……あちゃぁ」


 ――待てぃ、と叫んだ謎の声の主が額を叩いて嘆息した。



「お、おお、おおお覚えてやがれ! このクソちょんまげ野郎!」


 山賊親分の捨て台詞を、カシロウは意識のどこか遠くで聞いた。


 そしてもう、自分の体を支えていられない。

 前のめりに倒れ行く体を、謎の声の主が抱き留めた。


「…………ふぅ。やれやれ」




⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎


 薄明るさの中、カシロウはゆっくりと目を開いた。


 見覚えのない木目調の目透かし天井、使い込まれてはいるが綺麗な布団、そして何よりその部屋は、床は畳敷きに周囲は障子とふすま


 障子を通した柔らかな陽の光で目を覚ます事など、こちらの世界ではついぞ無かった事だ。



 体を起こして辺りを見渡すカシロウ。


 魔王国首都トザシブにある、かの有名な和食の店『ビショップ倶楽部くらぶ』の客間かと思ったが、どうやら違うらしい。


 もっとこう、質素な雰囲気を感じさせる。



 その障子が一枚、スラリと開いて一人の老爺が顔を見せた。


「おぅ、起きなさったか


 老爺はそう言うと、よっこいせと呟きながらカシロウが座る布団の横へ腰を下ろした。


「鷹の……? …………いや、そんなことよりヨウジロウ……息子は!?」


 うんうんと鷹揚おうように頷いた老爺は、カシロウへ掌を広げてみせて口を開く。


「大丈夫。息子さん――ヨウジロウさんか、里長さとおさの娘さんにお乳貰ってスヤスヤ寝てるよ」


 老爺が障子の向こうを指差してそう答え、その返事を聞いてようやく人心地ついたカシロウ。

 布団から浮かせた腰を再び落として、ホッと息をついた。



 老爺は穏やかな表情を崩さずニコニコとカシロウを見詰めている。


「あ、これは失礼しました。私は山野・甲士郎ヤマノ・カシロウと申します」

「そうかなって思ってた。有名人だもの」


 老爺はカシロウの頭頂部を指差して、ニッと歯を見せ微笑んで言った。


「ホントにチョンマゲなんだねぇ」


 老爺の装いは、カシロウと同じ和装。


 色はカシロウの普段着・浅葱あさぎに対して渋めの紺鼠こんねず

 頭髪はちょんまげではないが、頭頂部はカシロウと同じく月代さかやきが――


「違う違う。僕のここは月代さかやきじゃあないよ。これはただのハゲだもの」


 とんだカミングアウトだが、カシロウも負けず劣らずに打ち明けた。


「実は私も……。こちらで産まれてからは何故か一向に生えませぬ」


 老爺が二度三度と、カシロウの顔と頭に視線を動かした。


「なんだそうなの。ならちょんまげは良いアイデアだよねぇ」


 カシロウは居住まいを正し、布団の上で正座をする。


御仁ごじんが私たち親子を助けて頂いたものとお見受け致しました。この度は誠にありがとうございます」


 カシロウは深々と頭を下げる。


「まあさ、頭を上げなさいよヤマノさん。実際のところ山賊どもは僕が追っ払った訳でもないしね」


「例えそうでも、あの場から私たち親子を運んで頂けなければ今頃は……、やはり御仁は命の恩人でございます」


 より一層に恐れ入るカシロウの頭を、老爺は指でツンツンとつつく。


「そんな事は大した事じゃあない。僕の山で困った人を助けるのは当然なのよ。そんな事より――」


 老爺の話を聞いたカシロウが、ガバリと体を起こした。


「いま何と仰いました!? 僕の山と仰いませんでしたか!?」


「え? いや、確かにそう言ったけど……、え? なに、もしかして勝手に占拠してるから国が……」


 老爺はカシロウが魔王国の運営を行う立場であるのを思い出した。

 まさか「国税」という名の現実的な問題に直面したかと戸惑っていると、突然カシロウに素早い動きで両腕を掴まれた。


「……御仁……、貴方はまさか……」

「やっぱり……、ヤマノさん、あんたは国の指図で……」


「貴方はまさか、天狗と呼ばれる方では!?」

「……如何いかにも、確かに僕はこの天狗山を不法占拠……」



「え?」「え?」



 落ち着いて二人は改めてお互いに自己紹介する事にした。


 カシロウは再び名乗り、魔王国ディンバラ十天の序列十位、我が子ヨウジロウが不思議な力を使うため、転生者に詳しいというと呼ばれる者を探していることを伝えた。


 対して老爺、あっけらかんと。


「あそう、僕も天狗と呼ばれてるけど、たぶん僕の事だろうねぇ」

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