第3話「ヨウジロウ」

「貴様を倒して名を上げてやるぅぅるわ!」


 酷い巻き舌のせいで呂律の怪しい山賊親分が声高にそう言い、両手に魔力の光を集め始めたその時。


「……ひっ……、ひっ、……ひぃぃぃ……」


 ヨウジロウが大きく息を吸い込み――


「……ぴぎゃぁぁぁぁぁああ!」


 ――大声で泣き始めた。



 突然響いた赤子の大きな泣き声に山賊共が戸惑うのと同時、ヨウジロウの刃が止めどなくカシロウを襲い始めた。


「ぬぁありゃぁぁぁ!」


 一つ二つ……五つ六つ……十、十一、十二……


 もはやカシロウには山賊に構っている余裕なぞない。


 二刀を振って立て続けに叩き斬るが、三つ四つと同時に襲いくる刃にはどうしようもない。

 自らの体も盾に使い、ヨウジロウのその身を守るカシロウ。


 そう、なぜかヨウジロウは自らの体に当たる刃をも放つのだ。

 これがカシロウには最もこたえる。


 愛する息子に毛ほどの傷もつけたくないのが親心なのだから。


「ぬぐぅ!」


 防ぎきれぬと判断したカシロウはクルリと背を向ける。その背にヨウジロウの刃が豪快に突き刺さり、これまた豪快に血が吹き散った。



「何をぼんやり見てやがる! 今だ! お前らも行け!」


 言いつつ山賊親分が再び、カシロウの背を目掛けてドゥンと音を立てて火の玉を放つ。


「……ぅぅぅ。…………ぅうう痛くない!」


 ダラリと下げた大刀を、カシロウは振り向きざまに振り上げ、火の玉を真っ二つに斬り分けた。


 先ほどとは異なり、分かれた火の玉はカシロウ父子を避ける様に飛んでそのまま地面で爆ぜた。


「畜生! 捌きやがった!」


 痛くないと宣ったカシロウ。これは間違いなく強がりだが、その身でがっつり受けて分かったことがあった。


 ヨウジロウの刃は鋭いが、思っていた以上にということ。

 刀の刃というよりも、極薄の瀬戸物の様な感触。


 さすがに己れの筋肉で弾くのはとてもじゃないが、肉を裂かれた一瞬にすれば、その脆い刃を砕く事が可能な事にカシロウは気付いたのだ。


 斬られたカシロウは当然痛いが、反応さえ出来れば筋肉の内側――内臓や骨に達する事はない。


 山賊親分の炎弾に驚いたのか、ヨウジロウの刃がぴたりと止む。

 そのタイミングで山賊親分のダミ声が再び轟く。


「何のんびりしてやがるヴォーグ! やっちまえ!」


 その慌てた声を受け、先程の落雷の様な剣を使う狼男ヴォーグが一歩二歩と進み出る。


 入れ替わりに山賊親分が数歩下がる。ヴォーグがカシロウと相対し、スゥッとその右手に握る剣を掲げ上げた。


 対してカシロウ、左手の二尺を鞘に納め、右手の二尺二寸を正眼(中段)に構えた。


 両者の距離、およそ一間半いっけんはん(3m弱)。

 各々の間合いよりまだ遠い。


 つま先の力でにじり寄り、その距離をジリジリと詰める両者。

 そしてその距離が両者の間合いへと縮まるその時、止んだと思ったヨウジロウの刃が三つ、さらに山賊親分からは火の玉が飛んだ。


 そのどちらもが目指すのは、非常に残念ではあるが、おかしな頭髪の方――カシロウであった。


 ヴォーグと相対するために脇差を納めたカシロウにはその全ての攻撃に対応するのは難しいように思えた。

 けれど特に気負う事なくカシロウは、大きく後ろに跳び下がる。


 そして、地に降りるとともに振り向いて――


「わははははは! 油断したなお主ら!」


 ――そのまま笑いながら駆け出した。



 ヴォーグはまたしても一瞬、一体何が起こったとポカンとしたが、山賊親分がヴォーグの尻を叩いた。


「追えヴォーグ! お前なら追いつける!」

合点がってんでぇ!」


 完全に日が落ち、辺りは月明かりがあるものの相当に暗い。

 

 カシロウはこの時を待っていた。


 日が落ち、山賊親分と狼の獣人ヴォーグが一方に固まる時を。




 途中幾度か方向を変え、時に藪を潜りつつ走り、少しでも目立たない様に兼定も鞘に納めた。

 ヨウジロウも疲れ果てたのか、あの刃が襲い来る量も減り、カシロウは森の木を利用しながら避ける様に駆けた。



 しかしようやく狙い通りに駆け出したのは良いものの、ヨウジロウのビェェビェェと泣く声が止まぬ限りは敵をけそうにない。


 駆けながらカシロウは、祈るような気持ちでヨウジロウの耳元で囁いた。


「腹が減ったろうが、もうしばらく辛抱してくれよ。もう少しでご飯だ。それで、落ち着いたらお母さんのとこに早く戻ろうな」


 カシロウの想いが届いたのか、母の事を思い出したのか、ヨウジロウの鳴き声は徐々に小さくなりすっかり大人しくなった。


 カシロウはよほど嬉しかったのか、少し涙目で駆け続けた。けれど体力はすでに雀の涙、ガクリと膝を折り地に手をついた。


 ――まだ幾らも離れていない。すぐに立て、走れ。


 震える掌を見つめ、笑う膝に力を込めて立ち上がる。

 不意に視線を感じ、胸に抱えたヨウジロウを覗き込むと、真っ直ぐに自分を見つめる瞳にぶち当たった。


 そして、父の顔を見つめ、ヨウジロウがニコリと微笑んだ。


「この父に任せておけ。こんな事でへこたれんさ」


 ヨウジロウへ向けて微笑み、カシロウは再び、力強く駆け出した。





 そこへ――




「ヒャッハーー!」



 奇矯な雄叫びを上げつつヴォーグが樹上から降ってきた。


 あの落雷の様な鋭く強い剣に、さらに落下の速度を加えた異常な程の一撃。


 しかし、落下しているが故に至極単純な攻撃。


 カシロウは左足を引いて軽く腰を落とし、二尺二寸の柄に右手をフワリと添える。


 ヴォーグの剣が振り下ろされたその時、共にカシロウも抜刀、伸び上がる様に兼定を振り抜いた。



 ぱきぃんと甲高い音を上げ、ヴォーグの剣が根元を少し残して折れ飛んだ。


 カシロウは即座に刀の峰を返し、地に降り立ったヴォーグを打ち据えるべく刀を振り下ろす。


 しかし、疲労ゆえか僅かに遅い。

 一切の躊躇いなく、折れた剣を捨てたヴォーグの方が明らかに速かった。


「ぐぁ!」


 降り立った勢いのままにたわんだ体が発条バネの様に伸び跳ねる。そのままその鋭い爪が、カシロウの右肘の辺りを浅く裂いた。


「ぬぅぐあ!」


 さらに焼ける様な痛みが走る。


 蹈鞴たたらを踏んだカシロウの左肩に、ガパァっと開いたヴォーグの顎がかぶり付いたのだ。



「がはははは! 油断したなチョンマゲ! ヴォーグはただの剣士じゃねぇんだげ!」


 追いついて来たらしい山賊親分が声高にそう言った。


 確かにカシロウはあの落雷の様な上段振り下ろし、あの剣だけに気をきすぎた。


 その鋭い爪に、その恐ろしい牙に、意識を割かなかったカシロウの油断である。


 それでも狙われたくびを避け、体を捻り肩を犠牲にする事で急所は逃れた。

 とは言えギリギリと喰い込むヴォーグの牙がカシロウの肩を締め上げる。当然痛い。


「……が、がは、……ぐ、が……」


 ただでさえ血が足りていなかったカシロウ、肩からさらに血が失われ、その顔色は紙の様に白く、遂には意識が朦朧となる。




 すでに痛みを感じる事さえ無くなったカシロウは思う。


 振り絞るべき最後の力ももうすっからかん。

 こんな訳の分からん連中が最後の相手とは、前世の最期とは比べようもなく馬鹿みたいだな、と。



 我が子ヨウジロウに、妻ユーコーに、すまんと心で謝ったその時――



「そこの山賊ども、待てぃ!」


 大声が鳴り響いた。



 ――が、一切待たなかった者がいた。



「ぴぎゃぁぁぁぁぁああああ!」


 ヨウジロウだ。

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