第28話「顔合わせ(Side Josiah)」
「はじめまして。レニエラです。侯爵様。お会いできて嬉しいです」
……僕も本当に、君に会えて嬉しい。
顔合わせとして初めて間近で見たレニエラは、想像していた以上に可愛らしかった。
僕はレニエラを知っているが、レニエラは僕を知らない。ここは完全に初対面なのだから、何かしら褒め言葉をまず言うべきなんだろうと思った。
いつもなら特に何も考えずに、定番の褒め言葉に相手に合わせたお世辞が出て来るはずの口は、初恋の人に縁談を申し込んだという夢のような状況への緊張からか上手く動かない。
このままでは、変に思われてしまうと思えば思うほどに、言葉は出て来ない。
二人きりになっても言葉少なな僕に、レニエラは不思議そうな表情だった。
本来なら、この会話の主導権は僕が握るべきだ。彼女が結婚を望んだ訳でもない。
それに、ずるい僕は自分が縁談を申し込めば、彼女は受ける道しか居ないことを知っていた。
婚約破棄されたという過去は、何も悪くないレニエラに、まるで消えない黒い染みのように纏わり付いた。貴族令嬢としての普通の結婚は、もう絶望的だったはずだ。
レニエラは、何を言えば喜ぶだろうか。今まではずっと、話しかけることも出来ずに見ていただけだ。彼女はいつも、嫌な男に泣かされていた。
ずっと君に話しかけたかったけど、今まで婚約者が居たから、それは出来なくて……? そんなことを言う男は、レニエラは嫌ではないだろうか。
親に決められた女性と結婚をすることは、僕がまだ喋れなかった頃からの約束だ。それを反古にすることは僕には出来なかった。
オフィーリアとの婚約解消を匂わせた時に両親にもそう言われたし、仕事をするようになった今は自分でも納得していた。
僕一人の身勝手な感情で、それまでに様々な場所で決まっていた何もかもを、すべて捨ててしまう訳にはいかない。誰にどんな不利益が被るか、全く想像もつかない。
「ねえ……ジョサイア、私に何か言うことはないの?」と、結婚式直前に逃げたオフィーリアは、僕に何度も聞いていた。
今思えば、レニエラを見ていた僕に勘付いて居て、近い将来に結婚することになる自分に何か言うことがないか聞きたかったのだろう。
悪いことをしたとは思う。だが、オフィーリアのようにレニエラの手を取って僕が逃げれば良かったかと言えばそれも違うと思う。
男女の差だけの話ではない。お互いの立場が違い過ぎる。
……そうだ。ここでは君と結婚したいとだけ言っておいて、お互いに夫婦として仲が深まった時に彼女にこういう事情だったと言えば良くないか?
すべての事情を伝えれば、きっと混乱させてしまうだろう……結婚式はすぐそこだ。
僕は決意して隣に座っているレニエラに視線を向ければ、彼女が先に口を開いた。
「あの……モーベット侯爵。私たち二人は、現在結婚せざるを得ない状況にあるようです。まず、言っておきたいのですが、私はあなたに愛されたいなどと、身の程知らずで、大それたことは望んでおりません」
「……え?」
いきなり彼女が何を言い出したのか、僕は咄嗟に上手く理解出来ず、その後に続く言葉も、情けないことに、ただただ呆然として聞くしかなかった。
「そうだわ。まず先に、これを伝えなくては。モーベット侯爵。私は貴方に愛されなくても、全然平気です」
「全然……愛されなくても? あの、待ってください。僕は」
「あ! ごめんなさい。けど、愛せない妻などと、一生を過ごすなんて嫌ですよね。うーん……それでは、私たち……一年後に、離婚しませんか? それより前に、お互いに好きな人が出来たとしても、離婚しましょう」
レニエラのまっすぐな視線を見て、僕は困ってしまった。
……僕たち二人には何か誤解があることは理解したが、事情を言えば彼女は理解してくれるかもしれない。
だが、それはすべてを明かせば、さっき考えてそれは止めようとした流れになってしまわないか?
レニエラは頑なな様子だったし、僕は逆に混乱させられてしまった。
これで相手がどこかの国の交渉を担当する使者であれば、また話は違っただろうが、彼女は何年も心密かに好きだった初恋の君だ。
ここで僕の気持ちをわかって欲しいと事を急ぎすぎ、何かを失敗してしまうことは躊躇われた。
「僕の求婚をお受け下さり、本当にありがとうございます。君の希望は理解しましたから、とりあえずは、そういう事で。僕と結婚しましょう。レニエラ。よろしくお願いします」
とにかく、彼女と正式な結婚さえしてしまえば、僕の承諾なしには離婚出来ない。
君の提案した一年後には、どんなことがあっても離婚をしてあげられないと思う……罪悪感を抱えた僕は、満面の笑みで差し出された小さな手を握った。
◇◆◇
「良い加減。元婚約者のお怒りは、どうにかならないのか。ジョサイア」
深夜で執務室での僕以外の人払いを済ませた後、ため息をついたアルベルトは顔を顰めてそう言った。
隣国の関税については、何年かに一度の定期見直しが必要だ。各街道を持つ領主の税収にも影響するため、話し合いが長く掛かることはある。
だが、重臣によるとここまでごねられたのは歴史的に初めてらしいし、アルベルトはオフィーリアの置き手紙の話を僕から聞いて察した。
本当は隣国も早く纏めたいのに「長引かせろ出来るだけ長く」と、誰かから指示されているのだと……小さいとは言え立派な君主国家であるはずの隣国で、圧倒的な影響力を誇るとある豪商の仕業であると。
「……彼女の気が済むまでは、無理です。アルベルト陛下」
僕だって、これはどうにかしたい。これをされてしまうと、自分だけの問題ではなくなる。今は港街で過ごしていると聞いたが、彼女と連絡を取ろうと手紙を出しても戻される。
つまり、婚約者であった彼女と向き合うことなく、ないがしろにした挙げ句、自分が逃げるしかないという状況に持ち込んだ僕への嫌がらせで……それについては、何も話すつもりがないというオフィーリアの意志表示だ。
「お前。まあ、良い。良かったな。初恋の君と結婚出来て」
アルベルトは幼い頃から嫌になるくらいに一緒に居て、君主と臣下ではあるが、数え切れないほどに喧嘩もしたし、何度も殴り合いに発展したこともある。
彼が王族でさえなければ、誰と一緒に居ようが親しげに話せるような関係ではあった。
「それには、アルベルトに心底感謝しているよ。いくつも無理が通らなければ、レニエラをオフィーリアから花嫁に置き換えるなど、到底出来なかったからな」
「さっさと告白していれば、話が早かったものを……彼女は以前に、婚約破棄をされたと聞いているが。誰だったか……ああ……思い出した。ディレイニーの嫡男か……」
自らの臣下として数多く居る貴族を把握しているアルベルトは、レニエラの元婚約者を考えて思い出したようだ。彼から見れば、ディレイニーが重要度が低いという意味だろう。
「……最低な男だ。婚約者を人前で辱めて、何の意味がある?」
何度も何度も泣きそうになっていたレニエラを思い出す度に、腹が煮えくり返るような思いになった。
「そういう性癖を持つ者も居る。私は違うが、現にお前だってそんな彼女を見て自分が守らねばと庇護欲が湧いた訳だろう? だとしたら、相手もそう思っていたのではないか」
「……自分で泣かせている癖に、それを見て、彼女を守りたいと思うと?」
……僕にはまるで、それが理解が出来ない。では、彼女を泣かせなければ良いだけではないのか。
「好きな女の子は、虐めたくなるものだろう。お前が思っている以上に、奴は精神的に幼いんだ……まあ、そのおかげで結婚出来たんだから、それ自体はもう良いだろう」
アルベルトは机に肘を付いて、書類をひらひらと振った。
「……おいおい。これは明日の朝までには、決裁必須と書いてあるが?」
「その通りだ」
アルベルトが聞いたので、その通りだと僕は頷いた。公式な文書なので、最終決裁権を持つ王の印璽が必要だ。
「この分量を朝までに読めと? どう考えても無理だろう……おい。手伝え。お前の責任だろ」
ヴィアメル王であるアルベルトは、印璽を押すだけが仕事ではない。何か間違いがあっては、それが彼の意志として発令されるので、それを最終確認することも求められる。
僕の責任あることは確かにその通りなので、黙ったままで彼の前にある椅子へと腰掛け書類の束を持った。
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