第29話「正解(Side Josiah)」
「レニエラが最近、外出していると?」
「旦那様。左様でございます。郊外にある農園で、誰かと会っている様子だとか」
重要書類作成仕事は、いくらやっても終わりが見えないが、だからと言って家に帰らない生活はしたくなかった。
疲労した身体を引き摺るようにして帰宅した深夜にも、きっちりと身なりを整えた執事ジョナサンが深刻そうにレニエラの外出について、僕に伝えたので、使いすぎて鈍くなってしまっている頭で何がどうしたのかと考えた。
ああ……貴婦人であるレニエラが外出すること自体に問題ないが、誰かと会っている様子であることに問題があるのか。
それが、間男なのではないかと、心配されているんだろう。
「それは、男か?」
どうか、そうでないように願いながら聞いたが、ジョナサンは無言のままで頷いた。
そういえば……レニエラは僕の結婚する条件に、一年経ったら離婚をしようの他に「お互いに好きな人が出来たとしても、離婚しましょう」と言っていたような気がした。
僕はないと言い切れるが、彼女はどうだろうか。
「妻が誰かと会う際には、必ず僕に報告するか……彼女一人では会わせぬように、全員に伝えろ」
彼とてこれは、伝えづらかったことだろう。僕は短く礼を言うと、ジョナサンへもう下がって休むように伝えた。
執事ジョナサンは、明日は僕より早く起きて様々な準備している必要がある。僕の帰宅がどんなに遅かろうが、それが彼の仕事だからだ。
オフィーリアの嫌がらせは、僕よりジョナサンに利いているようだ。彼に倒れられては困る。この激務の生活が早く終わるように、祈るしかないが。
僕はそう言い置いて、自室のある二階へと階段を上がった。短い湯浴みを終えれば、もう後は眠るしかない。
自室の隣にある部屋の扉を見て、大きくため息をついた。当然のようにレニエラは眠っているだろうし、僕は夫なのにその隣で眠ることも出来ない。
何年も想い続けた彼女と、こうして、せっかく結婚出来たというのに……レニエラと話せるのは、朝食を食べている時だけだ。
これまでの行いの自業自得だと人は言うだろうが、僕は僕なりに真剣に考えた結果、秘めた恋は一生心にしまうつもりで、婚約していたオフィーリアとの結婚することを一度は選んだ。
それが正解であるか、不正解であるか。
結局のところ、僕がレニエラへの想いを捨てきれず、それに嫌気をさしたオフィーリアに嫌われて、彼女とは結婚出来なかった訳なのだが。
僕はこのところ悩み続けて、ようやくひとつの答えに辿り着いた。
過去は絶対に変わらないのなら……自分でこれからの未来を、正解にすれば良い。
そうすれば、二つに別れているように見えていたような道だって、いつか交わって正解になるはずだ。
「おやすみ……レニエラ」
扉に手を置いてそう告げても、扉に阻まれて僕の声は届かない。今の彼女の心には、僕の声がそのままの意味では届かないように。
すべての事情を説明すれば、レニエラだっていつかは心を開いてくれるだろうし、二人が夫婦であることを受け入れてくれるかもしれない。
けれど、あの頑なな様子を見れば、強硬に心の壁を突破してしまうことは出来ないと判断した。
……レニエラはまだ、自分がひどく傷ついたことを、認めたくないのかもしれない。
◇◆◇
すべてを終えた僕たちの新婚旅行への出航の日は空も晴れ渡り、空と海の青が近く水平線が見えない。
「ジョサイア! 船室を見た? 本当に、素晴らしかったわ」
以前の旅で気に入った船旅が好きだと言っていたレニエラは、真新しい船におおはしゃぎな様子だった。
この帆船はとある船団で注文を受け作られたものだったそうなのだが、発注した側の経営が傾き、船を探している僕に購入してもらえないかと、話がまわってきたものだった。
貴族に近い層向けの作りも多く、実際に下見して吟味してから購入を決めた。
「ああ……ちゃんと先に見ているよ。この船を購入したのは、僕だからね」
「ジョサイアって、この船の話を聞いただけで、購入を決めた訳ではないの……?」
レニエラは僕の金遣いについて、色々と思うところがあるようだ。誤解されていると感じるところも多いのだが、言われてしまっても仕方ない部分があるということは認める。
今までが多忙すぎて金を使い暇がなかったし、元婚約者オフィーリアの贅沢をさせた件については、彼女の抗議について何の言い訳も出来ないので何も言えない。
「流石に……ここまで高値の物は、ちゃんと吟味するよ。レニエラ」
苦笑した僕に、彼女は疑わしい目を向けた。
「そうなの? あの値段の宝石を即決で購入を決めてしまうくらいだから、金銭感覚がおかしいことは間違いないと思うわ。ジョサイア」
彼女の左手にはレニエラが自分で選んだ宝石が、填め込まれた指輪が光っていた。価格面では高価ではないのだが、彼女が気に入っていると言うので満足している。
「……君に金を惜しむつもりはない」
彼女へ贈る機会が一生に一度の婚約指輪と、他の購入品を一緒にされてしまっても困る。
「はいはい……貴方に愛されていて、本当に幸せですわ。モーベット侯爵様」
レニエラは冗談めかして微笑んだので、僕も彼女と同じように笑った。
「僕も幸せだよ。愛する君と結婚出来て……今ここに居る自分が、夢のようだ。君は僕からの愛をお望みではなかったようだったし……」
レニエラのあの言葉は、悲しみの裏返しだったと理解している。
あの男からの暴言も酷い態度も、彼女をずっと苦しめていた。婚約破棄をされても、平気な顔をしていたのは、あまりに痛すぎて心の痛みを麻痺させていただけだ。
……僕にはそれが、わかっていた。あの男も本当の意味ではわかっていなく、それは世界で僕だけだったかもしれない。
「意地悪を言うのね! あの時のジョサイアは、私のことを少しも褒めてくれなかったから、気に入らなかったのかしらと心配になったんだよ」
「それは、前にも説明しただろう? それは、心にもない言葉はいくらでも出て来るけど、本当に思っている言葉はなかなか出て来ないものだ」
本気で好きな女性には、少しでも失敗したくないと、慎重になってしまうのだ。
「ふふふ。そういうことにしておきましょう。では、本当はどう思って居たか……今なら教えて貰えます?」
「いくらでも……遠目で見ていた時より、格段に可愛いと思ったし……」
いくら僕が慎重すぎる性格だとしても、既に彼女との関係が構築されて、お互いがどんな性格なのかを知っていれば、安心して褒められる。
これから新婚旅行の日程は長く続くことになるが、僕が彼女への愛を語るにはまだ短いかもしれない。
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