第12話「夜会」

 私はとっては、とても久しぶりで訪れることになった王城の大広間は、一言で言えばきらびやか。


 ……ええ。ホールケーキを、あの男に投げつけて以来だわ。なんだか、今では遠い過去に思えるけど、ほんの一年前なのよね。今思い出すと、懐かしいわね。


 時の流れは早すぎると感慨深く思っていると、高らかなラッパの音が鳴り響き、良く通る声で家名が呼ばれて、私たち夫婦二人は入場した。


 背の高いジョサイアだけど、こうして流行りの細くて高いヒールのある靴を履いていると、お互いの顔が近くなって照れくさい。それに、彼は安定感があるから、エスコートされるには最適の男性だった。


 私の視界は華やかなドレスの色に溢れ、その場に居る貴族たちは、当たり前のように私が嫁いだ先の事情を知っている。


 今までに感じたことなんてなかった、羨望の眼差しを向けられることがこそばゆい。


 私は夫ジョサイアの求める条件に、ちょうど良かった。だから、彼から結婚を申し込まれただけなのは、皆知っていると思う。


 けど、ジョサイア・モーベット侯爵と結婚して妻を名乗れるという確固たる地位を与えられたことは、正式に婚約を結んだことと何も変わらないので、女性側が私を羨ましがってしまうことは仕方ない。


 ジョサイアが隣に居るというだけで、ただそれだけなのに、不思議と誇らしい気分になった。


 ……まあ、彼はいずれ離婚することになる仮の夫なんだけどね。


 ジョサイアは迷うことなく、会場中央奥の階段へと向かい、陛下の居る王座へと近付いた。


 側近の彼は陛下の近くに侍ることが日常だろうけど、私はアルベルト様にこうして直接ご挨拶するのは、多分、生まれて初めて。


 社交界デビューの時も、皆で揃って王太子だった彼に挨拶をしたような気がするけど、周囲には同じ年にデビューした令嬢たちが大勢居たから、アルベルト様だって覚えてもいないだろう。


「……陛下。こちらが妻のレニエラです」


「はじめまして。陛下」


 緊張しながらカーテシーをして頭を下げた私に、堅苦しい挨拶は止めて頭を上げるようにと陛下は快活な声で言った。


「これはこれは、美しいではないか……モーベット侯爵夫人レニエラ。もっと、君とは早く会いたかった。いや……今からでも、遅くないか? もし良かったら面白みのない夫と離婚して、私の妃にならないか? 君がモーベット家のままで居たいというのなら、愛妾としてでも構わない。我が国では数代愛妾は居ないので、既に形骸化されてしまった制度だが、臣下の妻を愛妾にすることは、私は許されているのでな」


「まあ……ふふ。お上手ですね。陛下。褒めて頂けて嬉しいです。ありがとうございます」


 私はあまり良くない軽口の部分は、まるっと無視して、にっこりと微笑み、容姿を褒められたことのみ反応してお礼を言った。


 アルベルト様には既に正妃様が居るので、私は今ここに姿のない彼女に睨まれないようにと、心の中で強く祈るしかない。社交界は王族中心なのは当たり前だから、正妃様に睨まれたくなんてないもの。


 懸命に作ったなんでもない笑顔が引き攣ってしまうのも、仕方ないわ。


 嫌だわ。我らが王アルベルト陛下は、ジョサイアとは似ても似つかない性格で、口が上手くてかなり軽い性格の人みたい。


 正反対の性格だから……この二人は、仲が良いのかしら?


「……アルベルト」


 いかにも機嫌の悪そうな声を出したジョサイアに、アルベルト陛下は続けた。


「ジョサイア。熱い新婚夫婦に対する、良くある冗談だ。射殺すような目で私を見るな……不敬だぞ」


「自分がさっき、何を発言したか内容を思い出せ」


 自分の妻を愛妾にどうかと揶揄われたジョサイアは、それを軽く流してしまうつもりはないようだった。固い表情のまま、本当に面白くなさそう。


「だから、私は冗談だと言っている。こんなにも真面目一辺倒の男だと、つまらなくないか? 夫人」


「いいえ。夫は、そこが良いのですわ。陛下」


「冗談はその場に居る全員が笑えなければ、冗談とは言えない」


 憮然として気に入らない態度を崩さないジョサイアの真面目なところが良いと答えた私の言葉に、アルベルト陛下は大きな声で笑い顎に手を当てた。


「どうにも、最近忙しくてな……二人は新婚だというのに、夫人には迷惑を掛けている。隣国との関税問題が、上手く纏まらない。国民に課す税とは別で、輸入輸出に関する関税は慎重を期すべき問題だ。各領地の思惑も絡み、正式な書類を出せと言われれば、長い時間を使って会議をするしかない……ゆえに、そこの有能な宰相補佐ジョサイアは、家にはなかなか帰れない。許せ」


「まあ……そうだったんですね。皆様、大変ですね」


 ジョサイアは、私には詳しい仕事の話はしない。だから、こうして彼が仕える陛下本人が話してくれるまで、彼が何故忙しいのかを知らなかった。


 今、揉めているのが関税の話ならば、お互いの国ばかりか街道のある各領地の領主たちの税収にも関わってしまうので、宰相補佐の彼が帰れなくて当然だった。


「……ああ。夜会の場で仕事の話など、無粋なことをした。どうだ。夫人。二日ほど温泉のある離宮を貸そう。夫婦で行ってみては? まだまだジョサイアの多忙は続くだろうから、本格的な新婚旅行には当分行けないだろう。こうして揃ったところを見たところ、どうやら二人の間には色気が足りないようだ。気分を変えてゆっくりして来たらどうだ?」


 確かに私たち二人は、結婚はしているけど、離婚前提の契約結婚なので、ベッドを共にしていない。真面目なジョサイアは、それを仲の良いアルベルト陛下にも言っていないようだ。


 ……けど、こうして軽く会っただけでわかってしまうくらいに、私たちは健全な関係に見えるのかしら。


「ありがとうございます。陛下」


 とは言え、王からの有り難い申し出には、なんであろうが微笑んで甘受しお礼を言うしかない。


「とても、今休みを取れるような状態ではないと……思うんだが?」


 ジョサイアはため息をそのままにしたような悲壮な声音でそう言えば、アルベルト陛下はやけになったかのような明るい声を出した。


「どうにかなるだろう! 書類の提出を、そもそも遅らせれば良い。どうせ、また先方がケチをつけて駄目になるんだ。これで何回目だと思っている。なんてことはない。こんなにも、時間が取らされているんだぞ。一回くらい遅れたくらい、どうしたんだ。何の問題がある。私が許す」


 ジョサイアは私にちらりと視線を走らせたので、私はにっこり微笑んで頷いた。


 ……温泉、とても行きたい。


 そんな私の気持ちを熱い視線だけで察してくれたのか、ジョサイアは王からの申し出に形式的な臣下としての感謝の気持ちを述べていた。


 温泉! なんて、楽しそうなの……しかも、離宮なんて通常なら、王族しか使えないのよ。


 私たち夫婦は揃って礼をして王の前から下がり、ホールへと出た。周囲では貴族たちが踊っているし、夜会では踊るのもそこに集う貴族の仕事だ。


 そして、三曲ほど踊りホールから下がろうとしたところで、私は自分が靴擦れしていることに気がついた……ひりひりして、痛い。


 それも、そうだわ。夜会は全然来ていなくて久しぶりにあんな踵の高い靴を履いたし、しかもそつなく踊りの上手い夫相手だと踊るのも楽しくて、調子に乗って三曲も踊ってしまった……靴擦れは、起こるべくして起こっていた。


「……レニエラ。どうしましたか?」


 様子がおかしいと思ったのか、ジョサイアが顔を近づけて聞いて来た。


「あ。ごめんなさい。ジョサイア。私、靴擦れしてしまったみたい……っ」


 言うが早いが、彼は私の身体を横抱きにして、颯爽と彼は会場を抜けた。驚いた私が、恥ずかしいと思う隙もなかったくらいだ。


「もう帰りましょう。アルベルトに会うという、本来の目的は果たしましたし」


「えっ……ジョサイア。私は良いけど、貴方は大丈夫なの……?」


 私は既に社交界では婚約破棄された腫れ物扱いされていて、親しくしている人も居ない。けれど、彼のような人は人脈も大事だろうし、挨拶をしなければいけない人がたくさん居るのではないだろうか?


「大丈夫ですよ。妻の怪我以上に大事な人も居ません」


 至近距離で整った顔に微笑まれ、私は思わず顔を伏せた。美形侯爵の笑顔、心臓に悪い。


 モーベット侯爵家は、王家に近い。ということは、車止めのすぐ近くに馬車が停められていた。


 特に呼びつける訳でもなく、ジョサイアは馬車へとすたすたと歩き、私を座席へと降ろした。


「……痛むでしょう」


 流れるように私の前に跪き、ジョサイアは私の靴を脱がせようとしていた。


 何故かというと、私本人はというと重ねられてふわふわのパニエが邪魔して、靴を上手く脱げない。通常こういう場合、邸に帰るまで靴は履いたままなので、足首にもリボンが金具で留められていた。


「……ごめんなさい。ジョサイア。貴方にこんなことさせてしまうなんて」


 侯爵にこんな下男のような体勢をさせてしまて、踵が痛いは痛いけど申し訳ない気持ちが強い。


 ジョサイアは恭しく靴を脱がせると、そうすることが当たり前のように、私の足の甲にそっとキスをした。


 ……どうして、彼はそんなことをしたんだろうと思った。


 私は彼にとっては仕方なく結婚した、愛されない妻なのに。けど、聞けなかった。なんだか、怖かったから。


 私は何も、見ていない。ふんわりしたパニエは視界に拡がり邪魔をして、私の前に跪いた彼が何をしたかなんて見えなかった。


 それをした理由を、もし今、彼に聞いてしまえば、動かないはずの私たちの関係が、今にも動いてしまいそうな気がしたから。


「……帰りましょうか」


「はい」


 隣に腰掛けたジョサイアも、帰りの馬車の中では黙ったままだった。

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