第13話「離宮」

 夜会の折りに約束した通りに、アルベルト陛下は私たちに温泉があるという離宮を貸してくれた。


 週末に行くという日程は、その時から決まっていたものの、馬車に乗って出発するついさっきまで、急ぎの仕事を片付けていたらしい真面目なジョサイアは、なんとも疲労を隠せない様子だ。


 陛下は夜会時ではああ言ってくれたものの、彼は提出する書類をなんとか間に合わせて来たのかもしれない。


 離宮に向かう馬車の中でジョサイアの隣に座る私は、反対にとても体調も良く、今まで噂話では聞いたことがあるけれど、産まれて初めて行くことになった温泉に胸を高鳴らせていた。


 温泉のある離宮は王都からそう距離は離れておらず、王家専用の狩り場がある森を、馬車で一時間ほど走らせた先にあるらしい。


「……レニエラ。少し、話があるんですが」


「はい? なんでしょう。ジョサイア」


 馬車の窓から流れる町並みを見ていた私は、背もたれに完全に身体をもたせかけ、疲労のためか、ぐったりしていたジョサイアに声を掛けられ、なんだろうと首を傾げた。


「最近、昼に邸を空けることが多いとか……執事に聞きました」


「ええ……確かに、そうですけど」


 事業に使う農園に行ったり……ジョサイアの元婚約者オフィーリア様がどうしても気になってしまい、彼女が居るという港街シュラハトにも、何度か行っていたりしていた。


 とはいえ、オフィーリア様と彼女を愛人としているという大富豪の二人は、居場所を隠すこともなく堂々と高級宿に滞在していたので、彼女の居場所は既に確定済。


 侯爵から逃げ出して駆け落ちした騎士と別れたのなら次の男かと、街中でひどい噂になり、今では彼女たちのことを知らない人を探す方が難しいらしい。


 この前に弟アメデオからオフィーリア様が、今どうしているかを聞いて、最初に感じたのは彼女が心配であることだ。


 元々は貴族令嬢であったはずの人が、大富豪の愛人に……?


 ジョサイアは彼女のことを心配していても、現在の妻の私に遠慮して、彼女のことを追いかけられないのかもしれないとは、その時から思ってはいた。


 オフィーリア様がどんな状況であるかを確認し、もし必要な助けがあるのならば、必要なことをしたいと思う。私がしなければ、それは誰も出来ないことなのではないかと。


 けど……正直に言ってしまえば、私はジョサイアの元婚約者オフィーリア様に会いに行くことを、未だに迷ってはいる。


 元々は、どんなわがままでも聞いてしまうくらいにオフィーリア様を深く愛していたらしいジョサイアは、そうだとしても、彼女に結婚式前に他の男性と逃げられてしまったことには変わりない。


 悲劇的な出来事が起こった彼女ではなく、別の新しい女性を探した方が良いのではないかと、どうしてもそう思ってしまうからだ。


 夫ジョサイアは多くのものを恵まれていても、驕ったところなんてなく真面目な性格で、間に合わせの妻の私にだって、すごく優しい。


 行きがかり上で結婚することになった彼に、良い感情しか持てない私は、出来ればジョサイアには素晴らしい女性と結ばれて幸せになって欲しいと思う。


「僕もあまり詮索はしたくはありませんが、何処に行っていましたか?」


 馬車の中には、ピリピリとした空気が溢れていた。こんな風に圧を感じるほどに無表情のジョサイアは、私も初めて見る。


「……事業に使う農園を、見てきました。買ったばかりで結婚することになったので、心配で」


 私が手掛けている事業については彼に最初から言っていることだし、別に何の後ろ暗いことがある訳でもないのに、何故か緊張して声が震えてしまった。


「そうですか……誰かと会いましたか?」


 私はジョサイアの直球な質問を聞いて、ドキッとしてしまった。もしかして、オフィーリア様に会おうとしたことが、彼にバレしまっているのかもしれない。アメデオだって、この前に言っていたはずだ。ジョサイアは、既に権力者の一人なのだと。


「……会っていません」


「本当に?」


「本当です」


 私はオフィーリア様と会おうとして、それが心の中にあったので、罪悪感めいたものは感じた。


「……そうですか」


 ジョサイアはなんだか、不機嫌そうだ。結婚する前からもずっと仕事が忙しくて大変なのだから、それもそうなってしまうのかもしれない。


 ここで、私が彼に「オフィーリア様の居場所が見つかったらしいですね。会いに行ってみてはいかがですか?」と言えば良いのかもしれないとは思ったものの……機嫌の悪い時に切り出してしまうのは、なんだか躊躇われた。


 結局、何も言えず二人無言のままで、離宮までの道を馬車に揺られるしかなかった。



◇◆◇



 広い温泉は素晴らしくて、私は長い時間楽しんだけど、本当にゆったりとした気分になれた。


 けれど、モーベット侯爵邸とは違い、この離宮では当たり前のように夫婦同じ部屋が用意されていた。ここで別々の部屋を用意しろとも言えずに、ベッドの端にお互い寄れば良いかと思っていた。


「あら。ジョサイア。先に出ていたのね」


「ずいぶん、長風呂でしたね。レニエラ。ゆっくり出来ましたか」


 ジョサイアはお酒を飲んでいたのか、顔が赤い。肌の色が白いので、すぐに酔いが顔に出てしまうようだ。


「ええ。良い温泉だったわ。陛下にも、感謝しなければ」


 本当に素晴らしい温泉で、気分爽快だった。本来ならば、王族にしか楽しめないらしいのに……本当に感謝しかない。


「アルベルトも、ここへ来たがっていました。離宮を使う権利はあれど、行使は出来ないと。当分は……無理そうですが」


 ジョサイアは苦笑して、持っていたグラスを机に置いた。


「臣下の貴方が多忙ということは、陛下も……?」


 何分、いろいろと隠さねばならない身分の陛下の仕事ぶりを、側近の彼に聞いて良いかすらもわからず、ふわっとした言い方になった。素直な質問かと思ったのか、ジョサイアは苦笑して頷いた。


「話すと不真面目に見えるかもしれませんが、アルベルトはこういう時には、率先して動きますので」


 この前に話したアルベルト様は、少々軽い性格だったみたいだけど、真面目なジョサイアがこう言っているくらいだから、きっと公務には熱心な方なんだろう。


 私が髪を拭いていた布を置きに行くために席を外すと、ジョサイアはソファに寄りかかり眠ってしまったようだ。


「まあ……だいぶ……疲れていたものね」


 いつもは隙のない様子のジョサイアが初めて見せる可愛らしい寝顔に、思わず顔が緩んでしまった……とはいえ、非力な私では彼をベッドまで動かせない。扉の前に居る護衛に移動を頼もうとした時に、小さな声でジョサイアが呟いたのが聞こえた。


「行かないでくれ……」


 ――あ。


 私はその時に……やっぱり、ジョサイアはオフィーリア様のことを忘れられていないのだと悟った。今まで彼はずっと、彼女に会いに行くことを、我慢していたのかもしれない。


「……ごめんなさい」


 私はもっと早くに、この事に気がつかなければいけなかったのに。真面目なジョサイアは私と結婚して、裏切ることは出来ないと思っているだろうし……。


 どうしてだろう……さみしいと思ってしまうのは。


 これは、契約結婚で一年後に離婚することは、わかってたはずで……だから、それが少し早まるだけの話で……。


「……ジョサイアは、素敵な人だもの。仕方ないわよね」


 ぽつりと独り言で呟いて、本当にその通りだと思った。


 素晴らしい外見だけでなく、真面目で仕事熱心、人柄も信頼できる。それに、配偶者には甘すぎるほどに、優しくて誠実だ。


 自分で最初から彼に線を引いて置きながら、失うと思えば惜しくなるなんて……子どもみたいで、なんだかそんな自分が情けなくて、また笑えてしまった。

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