第7話「休日」

 ジョサイアは結婚式前から忙しく、式が終わってひと月経ってからも、私と彼は邸でまともに顔を合わせることが出来なかった。


 文官として激務の最たる宰相補佐を勤める夫は、私が眠りに就いた後、日をまたいでから帰宅して、そして朝食だけ食べてまた出勤していく。


 確かに形上は新婚だけど……大事な仕事なのだから、それは仕方ないと思う。


 別に誰かの結婚式があるからと、難しい隣国との関税問題が避けて通ってくれる訳でもないものね。


 と言うわけで、私たち二人は結婚はしたものの、私は単にドラジェ伯爵邸からモーベット侯爵邸に居を移しただけの状態。


 侯爵家の女主人としての仕事も、この先には離婚する予定の契約妻なのだから、あまり詳しく知らない方が良いだろうと勝手に忖度し、これまでずっと担当していた執事にそのまま任せていた。


 縁談が来て結婚式まで全力疾走していたかのような多忙の中で、投資している事業の準備も中断してしまっているし、ようやく落ち着いた今では、こっそりと買い取った農園へ様子を見に行きたいけれど、なかなかタイミングが見つからない。


 結婚式のために王都へやって来ていたジョサイアの両親は、アルベルト陛下の即位に合わせて息子に爵位を譲っていた。


 隠居の身である彼らは広い領地で悠々自適の生活を楽しんでいるらしく、新婚夫婦の邪魔は出来ないと、早々に領地へと帰って行った。


 そんなこんなで、週末であろうが無関係とばかりに休日なしの生活が続いているジョサイアは、結婚したばかりなのにすまないと、上司にあたる宰相閣下より謝罪を受け、ようやく休日を一日だけ貰うことが出来たらしい。


「まあ……良かったわ。本当に!大変そうだったもの」


 休みが取れたと唯一彼に会える朝食時から聞いた私は、心の底からしみじみとそう思った。


 真面目なジョサイアは、あまり感情を表に出すような人ではないけど、毎日こうして彼を見ていると就寝で取り切れない疲れが流石に感じるようになっていたからだ。


「レニエラ。僕たちは結婚したというのに、一度もデートも出来ていませんね。仕事とは言え、本当に申し訳ない。もし良かったらどこか行きたいと思っているところは、ありますか?」


 朝食の席でジョサイアに問われて、私はどうしようかと考えた。


 契約結婚とは言え、私たちは正式に結婚したのだから、それなりに上手くやっているというところを周囲に見せることは必要はあるのかもしれない……いえ。上手くやろうと試みたところ、かしら。


 どうせ、結果的には私たちは離婚するのだから。


 けれど、どんな人が評しても、ジョサイアはあまりにも働き過ぎだと思ってしまうはず。一日十六時間以上は働いているだなんて、本当に信じられない。


「いいえ。お仕事ですもの。仕方ないわ。私のことは、別に気にしなくて構わないわ。ジョサイア。久しぶりの休日ですもの、ゆっくりと部屋で寛いで休んでみてはどうかしら?」


 労いを込めた私の言葉を聞いて、ジョサイアは何故か無言になり、朝食を取っていたはずの動きが固まってしまっていた。


 しんとした沈黙の中で、私のカラトリーの立てる小さなカチャカチャとした音だけがして、妙に居心地悪く朝食を食べた。


 ……さっきの私、何も変なことは言ってないわよね?  疲労した様子の夫に休息を提案するのって、別に普通のことだもの。


「君は……休みなのだから、自分を楽しませるために、どこかに連れて行くのは当然だとは言わないんだな」


「……? ええ。ああ! ……ふふ。気にしなくて良いわ。ジョサイア。オフィーリア様はそういう我が儘を言う、可愛らしい方だったのね」


 ドレスの件と良い、とんでもない女性だったのねと言いそうなところ、私は咄嗟に彼女を良いように言い換えることに成功した。


 私にとっては、とんでもない女性に思えても、ジョサイアにとっては忘れることの出来ない愛する女性だったみたいだし……彼と関係を悪くすることは、私は望んでいない。


「いや! ああ……悪い。違うんだ。そういう話は、君の前では良くないとわかっているんだが、参ったな……違うんだ。レニエラ」


 みるみる困った表情になったジョサイアは、故意ではなく妻の前で元婚約者の話を出してしまうことになり、これはどうしたものかと気を揉んでしまっているようだ。


「いいえ。別に気にしなくて、大丈夫よ。何年もの間、婚約者だったんだもの、ジョサイアが彼女のことを忘れられないのもわかるわ。気にしないで。私は……心得ているから」


 理解ある妻として私はにっこり微笑めば、ジョサイアは慌てて首を横に振った。


「……レニエラ。違うんだ。その……なんと言えば、良いのか。彼女は僕の仕事に関して、君のようにあまり理解があるとは言えなかったから」


「それって、きっとジョサイアと少しでも長く、一緒に居たかったのよ。それだけ、貴方のことが好きだったのね。なんだか、羨ましいわね……」


 私は愛し合っていた二人のこういうエピソードを聞いて、羨ましいと素直に思えた。


 ……私と元婚約者の関係とは、全然違う。


 今更、こんなことを思い出すのも癪なんだけど、ほんっとうに嫌な奴だったもの。


 婚約者だからと二人連れだってお茶会に出ても、いっつも私のお気に入りのドレスを貶されたり、苦心して流行の形に結った髪型を引っ張ったり、その他数え切れないくらいに嫌なことだって、いっぱい言われた。


 今思うと、大っ嫌いだった。


 そういえば……あの人。今頃、一体何をしているのかしら。


 私との婚約を独断で破棄してから、実はご両親にこっぴどく怒られて勘当寸前までいったらしい。


 けど、跡取り必須な貴族の一人息子なので、勘当は流石に忍びなく出来なかったらしい。私との婚約破棄については覆水盆に返らずだし、既に無関係になった私にはどうでも良いことだけど。


 ご両親は息子の所業について真剣に謝罪してくれたし、政略結婚する間柄であるということは、我が家ともそれなりに彼らとは親しく付き合いはあった。


 だから、一方的な婚約破棄だったけど、私の両親だって多額の慰謝料を受け取ることで手を打ったらしい。


 けどその後、馬鹿息子が私の悪い噂を流していると判明し、流石に顔を見せられないと思ったのか、今では双方の家同士疎遠だ。


 それなりに歴史ある侯爵家の跡取り息子なのに、何故か騎士になり、どこだかの騎士団入りしたとは聞いたけど……ちなみに婚約破棄の時に一緒に居たご令嬢には、既に振られてしまったらしい。


 あんなにみっともないことになったんだから、それも当然のことかしら。


 とは言え、夜会中に婚約破棄された私も、あの男とは相打ちに近い状態なんだけど……だとしても、本当に良い気味だわ。


 婚約破棄されてからというもの、私はそれまでに仲良くしていたご令嬢たちとも先方の評判を気にして距離を置いたりしたから、社交界の噂話をあまり聞かないというのもあったけど……いいえ。そもそも、あいつの話を二度と聞きたくないわね。


 今は名前の一文字目だって、ムカムカした思いと共に思い出すから、今では見たくもないくらいだもの。


「……だから……レニエラ、違うんです……あの、僕の話を、聞いていますか?」


 私が最低最悪な元婚約者のことを思いを巡らせ、腹立たしく思って居たら、ジョサイアは私へと何かを言っていたところだったらしい。


 とても真剣な表情をしていたので、私はここで考え事をしていたので聞いていないとは言えずに、慌てて何度か頷いた。


「え! ええ。聞いているわ。私はちゃんと、わかっているから、大丈夫よ。ジョサイア」


 元婚約者の話を出しても、契約通りに女性関係には口は出さないからねという意味で、私がにっこり微笑めば、ジョサイアはほっと安心した様子で息をついていた。


「そうですか……良かった。出来れば君の行きたい場所へ連れて行きたいんですが、何か希望はありますか?」


 優しく良く出来た夫ジョサイアは、私の希望を聞いてくれるつもりらしい。


「それなら、劇場に行くのはどうかしら? 今話題の劇をしているらしくて、以前から気になっていたの」


 桟敷席から二人で観劇をするのは、貴族のデートの定番だから、ちょうど良いと思う。


「……ああ。劇場ですか、良いですね。わかりました。席を手配しておきます」


 久しぶりに取れたジョサイアの休日の予定はとりあえず決まったと、私たち二人はその時微笑み合った。


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