第6話「ドレス」

「え? 私たちを陛下が直々に、夜会へ招待して頂けたんですか?」


 無事につつがなく終了した豪華な結婚式から一週間。


 現在宰相補佐として働くジョサイアは、まだ関税問題の件で忙しいようで、彼と顔を合わせることが出来るのは、こうして出勤前の朝食を取る時だけだ。


「ええ。ですが、レニエラが行きたくないのなら、受けなくても構いません」


「そんな! 確かに、緊張しますけど……陛下に招待して頂けるなんて、とても光栄です」


 ちなみにモーベット侯爵家は侯爵位にはあるものの、建国から王家に仕えている名家なので他に類を見ないほどに重用され、私の実家であるドラジェ伯爵家の領地なんて猫の額に思えるほど、比較にもならないくらいの広い領地を持っている。


 そして、古くから成功している事業や商会もいくつか保有していて、婚姻成立後に見せてもらった財産の目録も見きれないくらいにたくさんあった。


 そう。つまり、私の現在の夫ジョサイアは国でも有数の資産家なのだ。つまり、なんでもない日の朝食だというのに、目の前には最高級の料理が並ぶ。


 これでもかというほどに贅沢な食材を使用した料理が、少しだけコース料理で出てくるのだ。


「そうです。アルベルトが……すみません。僕は幼い頃から共に育った従兄弟なので、こうして気安く呼んでしまうんですが、決して国王である陛下を軽んじている訳ではないです」


 ヴェアメル王国の王族に対しては、狂信的な反応を見せる貴族も居る。ジョサイアはそれを心配したみたいだ。


 けど、私は治世者としての王族は敬愛はしてはいるけど、その敬愛は狂信的までいっていないので、大丈夫とばかりに何度か頷けば、彼は安心した表情になった。


 我が国の現在の王様は、アルベルト・ジョゼファ・ルシェッロ陛下。先王が突然病気に倒れて、成人してすぐに若くして王位に就くことになった王様で、前例にないくらいに、とてもお若い。


 ジョサイアは従兄弟にあたる彼の側近で、これまで常に一緒に居たというくらい親しいらしい。


 そんなアルベルト様は、私たちの結婚式にも出席はしていてくれたんだけど、式場では上段にある特別席に座り、帰る時も王族警備の問題で早々に帰られたので、あの時に一言も言葉を交わしていない。


 また、こうして陛下からの何かの招待を受けることは、貴族にとって、とても名誉なことだ。


「ええ。陛下とジョサイアと貴族学校でも、何年も一緒だったとか……幼い頃からの、仲良しなのよね。身分が違うからと遠慮せずとも、大丈夫です。私は不敬であるとか、そんなことは思ったりしません」


 ジョサイアは私がこうだろうと想像していたよりも、かなり生真面目な性格の人らしい。私の答えを聞きホッと安心した様子で、彼は続きを話し始めた。


「アルベルトも僕と同じ理由で、最近公務で忙しい日々が続いています。なので、昼に城に来て、庭園でお茶でもという訳にはいかないのです。王家主催の夜会ならば、予定は崩せずに、アルベルトも仕事の内です。ぜひ、そこでレニエラと話したいと言っています。だから、僕と一緒に出席して欲しいんですが」


 アルベルト陛下に会えると聞いて、パッと私の頭に浮かんだのは少々の打算だ。


 だって、私が近い未来に成功した実業家になって、商品を発売をした時に『王家御用達』の売り文句があれば、とても引きが強いんだもの。


 従兄弟とすぐに離婚してしまう予定の契約妻だったとしても、ぜひこの機会に知り合いになって、願わくばすべての事情を知っておいてくれる程度に仲良くもなっておきたい。


「ええ。もちろんです。ジョサイア。あの……お願いがあって」


「なんでしょう?」


「陛下にお会いするのなら、夜会用のドレスを新調したいと思うのですが」


 私は社交界デビュー早々に色々とあって、それ以降の夜会にはほとんど出席しない。それに、未婚貴族令嬢と既婚者である貴婦人のドレスは、同じように見えていてもデザインが少々違っている。


 だから、私がモーベット侯爵夫人として、夜会用ドレスを一着作っても良いかとジョサイアに確認すれば、彼はなぜか不思議そうな顔をしていた。


「あ。式用のドレスのサイズを直す時に、なんでも注文して良いからと言っておいたので、あの時にドレスもいくつか注文していると思っていたんですが」


 ジョサイアは私にサイズ直しを担当してくれた王家お抱えお針子室で、確かにそう言ってくれた。けど、それはサイズ直しするドレスに関しての注文のことだと思っていた。


 どうやら、私たち二人はお互いに勘違いをしていたようだ。


「あ……ごめんなさい。あれは、そういう意味だったのね! けど、私……王家のお針子室でなんて、ドレスを頼めないわ。ジョサイア。貴方は国王の従兄弟だからあそこを使用することを許されているけど、本来ならば王家と貴族の服には明確に違いがあるのよ」


 君主である王家は手に入る最高級のものを着用し、それより目立つような華美なものは、臣下の私たちが着用することは許されない。


 だから、王家が常に最高級で流行の最先端をいくような豪華な服を着用しているというのは、私たち貴族だって選択の幅が広がるし助かることではあるのだ。


 もし、国庫が財政難になり彼らが質素な格好を選べば、私たちだって王族に習ってそうするだろう。


「いいえ。すみません。これは僕が気が利かなかった。レニエラ、すぐに執事に流行りのメゾンを調べさせます」


「ああ。ジョサイア。気にしないで。いつも頼んでいるメゾンがあるので、そこで頼むわ」


 これは私の実家がというよりヘイズ公爵家御用達、つまりアストリッド叔母様のお気に入り、良く連れられてドレスを作ってもらう高級なメゾンがあった。


 気心が知れているし、私のデザインの好みもわかって貰えているので、仕上がりだって信頼出来るし確実だ。なんなら、ついこの前に、そのメゾンでデイドレスを作ったところなので、各サイズだって測り直さずに良いくらいだ。


「しかし、一店だけでは、二週間後の夜会には間に合わないのでは?」


 私はジョサイアが真剣な表情で切り出した言葉の意味を、すぐには理解することが出来ず、頭の中には疑問符が飛び交った。


 ……え? ジョサイアは、何を言っているの?


 一店だけでは……? ええ。ドレスを一着を作るのならば、それは一店で良いわよね。


「……? いいえ。ジョサイア。私がいつも頼んでいるメゾンは、急ぎで頼めば十日あれば作って貰えるけど……」


 もちろん、あまり見ないような凝ったデザインならば、それは難しいだろうけど、私は元々装飾少なくですっきりとしたデザインが好きなので、何の問題はないはすだ。


「ひとつのメゾンでは、一度に複数のドレスを並行して作って貰うのは難しいのでは?」


「複数のドレス……?」


 ジョサイアは別に私を揶揄っている訳でもなさそうだし、大真面目な顔をして真剣に言っているので、この疑問に対し私はどう返すのが正解なのか、本当に悩んだ。


「レニエラ。僕は妻の君に、嫌な思いをさせるつもりはないんです。急ぎでドレスを作ってくれるメゾンを、今からいくつか調べさせましょう」


 と言って、背後で控えていた若い執事へ何かを指示しそうになっていたので、私は慌てて立ち上がって手を出して待ったをかけた。


「待って! ジョサイア。私は夜会用のイブニングドレスを、一着だけ注文するのよ。行きつけのメゾンで、十分なの」


 私が慌てて言うとジョサイアは、きょとんとした表情で動きを止めた。


「作るのは……一着だけで良いんですか?」


「当たり前でしょう。そのドレスを着る身体は、ひとつしかないのよ。もう……一体、何を言っているの?」


「その夜に違うドレスが良かったと、気分が変わったら、そうしたらどうするんですか?」


 気分で、ドレスが選べない……? いいえ。メゾンで作成を依頼した時の気分で、私はドレスのデザインや色を選ぶことになるわよね。


 もしかして、夜会の当日に私が違うドレスの方が良かったって、言い出すとでも思っているの? 私はジョサイアから、ずいぶん子どもっぽい性格だと誤解されているみたい。


「そんな訳、ないでしょう。私が自らデザインを選んで、これが良いって思ったドレスを作って貰うのよ。きっと、夜会の当日には新しいドレスに気分が上がっていると思うし、喜んで着ていると思うわ」


 何をよく分からない事を言い出すのかと、私はため息をついた。新しいドレスやそれに合わせた装飾品を身につければ、きっと気分も上がるはず。


「そうなんですか……夜会があるのなら、女性は五着はドレスが必要なのでは?」


 呆然として呟いたジョサイアに、私はこれはもしかしてとピンと来て言った。


「あ……わかったわ。ジョサイア。それって、もしかして、前の婚約者のオフィーリア様は、そうだったかもしれないけど、私は別に一着で十分だから……」


「あ。いや、それは……申し訳ない。レニエラに彼女の名前を、出させるつもりはなかった」


 ジョサイアはしまったと言わんばかりに口を片手で覆ったので、私は彼に気にしなくても大丈夫と伝えたくて何度か頷いた。


「気にしないで。ジョサイアはオフィーリア様を本当に、愛していたのよね。ちゃんと、理解しているわ」


 正直な話、すごく我が儘な女性だったのねと思ってしまったけど……それを許してしまうくらいなら、ジョサイアは式直前で逃げられた花嫁を、今でも忘れられないのかもしれない。


「違います……ごめんなさい。レニエラは、そうなんですね。理解しました。もう、間違えません」


 何か深刻な間違いを犯したかのように反省しているジョサイアを見て、私は苦笑した。


「私はっていうか、ジョサイア。オフィーリア様は少し変わった人だったみたいだけど、大半の女性は貴方からドレスを買って貰えるというだけで、飛び上がるくらい嬉しいと思うわ」


 こんな人にドレスを贈って貰えるというのに、一着では足りないと言える人が居たのね……本当に信じられない。ジョサイアは美形な上に、愛してもいない妻にだって、こんなに優しいのよ。


 まさしく、愛する人に、愛されるに値する人だわ。


「それは……君もそう思う? レニエラ」


「ええ。もちろんよ。こんなに素敵な侯爵にドレスを買って貰えるなんて……本当に役得ね」


 私は本当にそう思って、微笑み答えただけなんだけど、ジョサイアは何故か顔を赤くしていた……こうして異性から褒められるのだって慣れているだろうに……そういえば、彼はこの国の男性には珍しく、あまりわざとらしいお世辞を使わない。


 真面目な性格だから、照れ屋で赤面症なのかもしれない。

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