第55話 合理的ゾーン状態!

 矢を放ったその瞬間、僕の中に不思議な感覚が走る。


「……あれ!?」


 さっきまでと同じ射撃方法。同じ軌跡。フードの男に弾かれるという結果。

 全てが同じはずなのに、僕の中には明確な違和感があった。


 今の射撃――さっきまでよりかなり速かったような気がする。

 気のせいじゃないはず。もしかして、弓を引く動作が関係してるのか?


 そういえば、『ゾーン』という言葉を聞いたことがある。スポーツ選手がいつもより集中することで、とてつもない結果を出すというやつだ。


 ゾーンに入ったスポーツ選手は、周りの景色や音などが一切聞こえなくなるらしい。その状態のさっきの僕は、おそらくその『ゾーン』に入りかかっていた。


 こんな感覚は初めてだ。これだけ戦ってきて一度も経験がないということは、おそらくゾーンに入るには条件がある。


 もし、その条件がこの弓を構えることにあるとしたら――男がわざわざ余計な手順を増やしていることにも納得がいく。


「雲を掴むような話だけど……手がかりがあるだけでもマシか」


 何より、あの男という見本がいるのが大きい。動作を繰り返すたびに、彼の動きが洗練されていることに気付かされる。


 僕はひたすら男の動きを真似し、矢を撃ちまくる。すると、少しずつではあるが矢を放つスピードが上がってきているようだ。


 繰り返しながら、僕は不思議な感覚を覚えていた。それは、全く根拠のないような話。


 このフードの男は、光の勇者の分身のようなものではないだろうか。


 この男の技量は僕の実力を上回っている。自分で言うのもなんだが、そんな腕前で射撃が出来る人間はなかなかいないはずだ。


 そこで、男が光の勇者の分身――幻影のようなものだったとすれば合点がいく。そして、もしそうだとすれば、彼は自分以上の実力のアーチャーを探している。


「……来た! この感覚だ!」


 数えきれない反復練習の最中、僕はゾーンに入る感覚を掴んだ。


 確かに、弦をぐっと引っ張るときに集中力が高まっているような気がする。いや、それ以上に……時の流れがゆっくり流れているような感覚になってくる。


 弦に指を掛け、しなる感覚を確かめながら力を込める――この一連の動作を行っているとき、まるで自分が空中に溶け出していくようだ。


 そして、ゾーンに入ると時間がゆっくりになっていき、最後には完全に停止する。……いや、これは感覚の話ではなく、本当なのかもしれない。


 矢を放った瞬間、まるで矢が空間を切り裂くように進み、僕は一気に現実に引き戻される。


「完全に掴んだ! あとはこれの精度をどんどん上げて……」


 矢を打つたびに、構えている間に停止する時間が長くなっていく。一射あたりの構える時間はどんどん短くなっているのに、ゾーンに入っている時間はどんどん伸びていく。


 そうか、これがあのフードの男の速さの秘訣か。時間が止まっているような感覚――否、時間を超越した上で放つ一撃!


「ありがとう。あなたのおかげでまた強くなれた」


 僕が放った矢は、フードの男の頭を貫いていた。


 フードの男はその場で膝から崩れ落ち、まるでモンスターのように粒子状になってその場で霧散してしまった。

 真正面から矢を撃ち合うこと約2時間。ようやく勝利を収めることができた。


「にしても……こんな大掛かりな仕掛けに最強クラスの分身って……光の勇者って何者なんだ?」


 それも気になるが、さておき……お待ちかねの宝の回収だ。


 フードの男が立っていた場所のあたりを見回すと、部屋の奥に一つの宝箱があるのを見つけた。


「ダンジョンに宝箱……! 最高のシチュエーションだ……!」


 僕は宝箱に駆け寄り、ゆっくりとその箱を開ける。


「これが……!」


 箱の中に入っていたのは、一張の弓だった。

 白をベースとした成りに、ところどころ緑と金色の装飾が施されている、爽やかでありながら高級感のある弓。


 これが噂に聞く伝説の弓、嵐弓ツイスタリアだ。


「なんて合理的なデザイン……本当に実在したんだな……!」


 弓に手をかけたその時。


「……ッ!」


 指先から全身に広がる鳥肌。同時に、前方から突風が吹いてくるような感覚。


 ちょっと触れただけでわかる。この弓は別格だ。この世界にあるすべての弓を見たわけではないが、間違いなく一二を争うレベルだろう。


「これはちょっと……桁違いかもな」


 弓を手に取った僕は興奮が収まらず、具現化した弓をセットしてみる。


「ちょっと撃ってみるだけなら大丈夫だよな?」


 弦を引き、手を離そうとしたその時。


「うわっ!」


 反動でまるで弓が暴れ牛のように動く。そのせいで発射角がずれてしまい、下に矢を放ってしまった。


 その瞬間、まるで上昇気流を直に浴びたような衝撃が僕の体を包む。体が一瞬浮き上がり、矢が地面に突き刺さる。


「……え!?」


 地面に刺さった矢は、まるで壁抜けをするように突き進んでいき、下の層へと行ってしまった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!?」


 急いで<観測者>で下の層を感知すると――床を抜けた矢は22層で暴風を巻き起こし、モンスターを次々と倒していく。そのまま――23層へ。


「どこまで行くんだ!?」


 矢は23層のモンスターを薙ぎ倒した後、24層まで行き、そこでようやく暴風が収まった。

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