第20話◆遠くて近い世界

「ふむ、確かにこいつは隠世の者だな。見えざる者の中ではあまり強い存在でもない故、隠世と現世の境を通り抜けて人の領域に出てくることがある奴だな」

 え? あまり強い存在ではない? それって見えざる者基準!? それとも魔王基準!?


 あまり強くないと魔王が言っても、か弱い人間に取っては十分脅威だし、幽霊さんにとっても捕食者的な存在で迷惑だと思うのだが!?

 というかこんなのがすり抜けてカジュアルに現世に出てくるなんて、隠世と現世の境界ってガバガバだな!!

 そのガバガバさ故に昨日も今日も、そしてこれまでの人生も見えざる者にびびり散らかしながら過ごしてきたのだが!?


「それより、それ引っ張って大丈夫なのかよ」

「うむ、こいつを引っ張り出さないことには隠世に送り返すこともできぬし、このままここに詰まっていると、このビルの関係者やここを通る者に悪い影響が出るだろう。それに、そう頻繁にいなくともお前のように見える者は存在する故、見える者が近くにいた場合此奴に目を付けられてしまう」

 俺を追いかけてビルの隙間に体を突っ込み、身動きが取れなくなっている大ツチノコの尻尾をグイグイと引っ張る魔王。

 そこ、魔法じゃなくて強引に引っ張り出すんだ。


 魔王と合流して状況を簡単に説明すると、大ツチノコをビルの隙間に挟まったままにしておくと、奴がそこから脱出しようとして暴れると現世にも影響が出るかもしれないと魔王が言うので、魔王を案内して大ツチノコが詰まっているビルの正面に戻ってきた。

先ほど一度は聞こえてくるようになっていた車のエンジン音は再び遠くなり聞こえなくなり、周囲は大ツチノコと追いかけっこしていた真っ最中の時と同じように不気味に静まり返っている。

 一度現世に近付いたが、また再び狭間の奥へと踏み込んでしまったようだ。

 そしてこの珍妙な光景である。


 エプロン姿の黒髪長髪の美形がビルの壁に足をかけ、グイグイと大ツチノコの尻尾を引っ張る光景を少し離れて見ている俺と幽霊お姉さん。

 それってスポンと抜けた後、襲いかかってきたりしない?

 魔王は平気そうだけれど、俺とお姉さんは襲われたらどうしようもないぞ。

 しかも俺は、ここまで逃げるために大ツチノコに色々と嫌がらせような攻撃をして、破魔矢まで刺したから絶対に怒りの矛先が向いていると思うんだ。

 そんなんだけど、それ引っ張り出して大丈夫?


 スポンッ!!


「うわっ!!」

「おっと」

 そんな雑に引っこ抜いて平気なのかと思っていた矢先に、ビルの隙間に嵌まっていた大ツチノコがスポンと抜けて、その勢いで魔王が掴んでいた尻尾がスルリと手からすっぽ抜けて、ツチノコの巨体が人の気配のない道路へとすっ飛んでいってズシンと転がった。

 それは、俺とお姉さんの近く。


「シャアアアアアッ!!」

「ヒィッ!?」


 吹っ飛んできた大ツチノコがグネッと体を動かして起き上がり、こちらに向かって飛びかかるような姿勢を見せたので、びびり散らしながらお姉さんと一緒に魔王の後ろへと逃げ込んだ。

 い、今の俺には大ツチノコに対抗する手段がないから仕方ないんだ!!

 助けて、魔王! こいつを早くどうにかしてくれ!!


「ふむ、破魔矢を刺されていたいのか。まぁ、こちらに出てきてつまみ食いをしようとした罰だと思うがよい」

 魔王の後ろに逃げ込んだ俺達を追ってこちらに突進してきた大ツチノコを前に、魔王は落ち着いた様子で左手を前にかざした。

 そりゃ魔王だもんなぁ、大ツチノコとは格が違うよなぁ。

 俺だって勇者だった頃はこんな奴にびびる必要はなかったのに。


 悔しい思いを腹の中に押し込め、その様子を魔王の後ろから眺める。

 突進してきた大ツチノコとかざした魔王の左手の間に、淡い金色の光を帯びたガラスのような薄い壁が現れ、そこに大ツチノコが勢いよく激突した。

 めちゃくちゃ強い衝撃のようだが、薄いガラスのような壁はびくともしない。

 代わりに大ツチノコがぶつかった瞬間ビタンと張り付くようになり、淡い光が強い光になりバチバチと大ツチノコの体を覆うように火花を散らした。

 大ツチノコは火花を散らしながら後ろに跳ね返り、再び地面に転がり焦げ臭いにおいが俺の鼻まで届いた。


 魔王が光の壁を消して、こんがりとして地面の転がった大ツチノコの前に立つ。

「少しは冷静になったか? 昨日も大ツチノコが徘徊していたとアレックスが言っていたな。本来、隠世に棲む低級物の怪で、他の低級物の怪を餌にするものだったと思うが、何故人の領域にくる? 随分腹を空かせているようだが、こちらはお前の餌は少ないだろう? それとも人や霊の味に興味があるのか?」

 魔王に問われた大ツチノコがビクリと体を揺らした後、首をプルプルと振りながらズルズルと後ずさりをする。

 俺達は魔王の後ろにいるため、その威圧を直接浴びることはないが、それでもその様子を見ていると無意識に腕を抱き込んでさすりたくなるような気分になった。


「ふむ、呼ばれた気がしてそちらにいったら霊がいた? 妙に腹が減っていて霊は餌だと思った? 腹が減って気が立っているところに、食事を人に邪魔をされたカッとなった? 時々仲間が現世へいって戻ってこなくなるから気になっていたが、決して人を食べるために人の世に出てきたわけではない? 首が痛いから隠世に戻りたい? それと腹が減った?」

 魔王って大ツチノコとも会話ができるのか。

 魔王が大ツチノコを威圧しながらも尋ね返すように話しかけ、大ツチノコはそれを肯定するのように首をブンブンと縦に振っている。

 その首の振り方がまるで赤ベコのように見えてきて、さっきまでこえーこえーと思っていたがだんだん可愛く思えて来たぞ。

 首が痛いのは俺の刺したミニ破魔矢がまだ刺さっているせいだな。

 俺もお前に食われないため必死だったんだから、謝らねーぞ! お互い様だ、お互い様!


「ふむ、嘘は言っていないようだな。対話のできる程度の知能もあって、人と物の怪の道理をわきまえているようであるから今回は見逃そう。だが、人を食えば次はないぞ。もしまた人の世に迷い出た場合は、人や霊を食おうとせず俺のところにくれば隠世に戻してやる。こちらに迷い出る仲間がいれば同じように伝えておけ。よいな、もし食えばお前も仲間も三枚におろすぞ」

 昨日今日と大ツチノコには怖い思いをさせられたのだが、送り返すだけにするのか。

 少し複雑な気分であるが、俺にはどうすることもできないので魔王の判断に任せるしかない。


 魔王が左手で指をパチンと鳴らすと、俺が首に刺していた破魔矢がサラサラと砂になり、その傷口が綺麗に塞がった。

 先ほど光の壁にぶつかってこんがりと焦げていた体も元通りに。

 さすが魔王、指パッチンだけで高位の回復魔法も使えるのか。


 続いて景色がビリッと縦に裂けてその向こうに、俺が今いる都会の街並みとは全く違う田舎の野山の景色が見えた。

 それを見た大ツチノコがペコペコと魔王に頭を何度も下げる。そんな大ツチノコに向かって、魔王がエプロンのポケットからトマトを取り出して投げた。

 大ツチノコはそれをパクッと口で受けとり、再び魔王にペコペコと頭を下げた後、裂けめの中へと入っていき、大ツチノコの体が完全にその裂け目の中に入ると、ファスナーを閉めるのようにその裂けめが閉じた。


 きっとあれが隠世という世界。見えざる者達の世界。

 チラリと見えたその世界はこことは違う場所の景色であったが、人の住む田舎の景色とあまり変わらないように見えた。


「すまぬな、納得はいかぬだろうが今回は見逃してやってくれ。どうやら迷い出た先で空腹に駆られての行動だったようだ。獣と違い話は通じる奴ら故、住み処に返してやれば群の仲間に話を伝え迷い出ても人や霊を襲わぬようになるだろう。ここ最近、このような迷い妖が多くてな……人を襲う前に戻すようにしているのだが、人を襲えばそれなりの罰を与え、食えば裁かねばならぬ。人の世と妖の世は離れているが近くもある。お互いの世界を分け大半の者は干渉ができない。時折こうして接触することもあるが、道理を知る者ならば無闇殺生は避けることになっている。もちろんどちらにも、知っていてそれを破る者はいるがな」


 そう言ってため息をついた魔王の表情は険しかった。


 そして気付けば、ゴーゴーという車の走る音と、ザワザワとした人の気配が戻ってきていた。







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