第17話◆青い春かもしれない
人は生まれ変わるということを俺は知っている。
しかし天に還ることができず、生前の思い残しと共にこの世に残り、そのまま消えた場合はどうなるのだろう。
俺のように前世の記憶が残っているのが稀なことだとしても、消えてしまったらきっともう存在自体がなくなってしまうのではないだろうか。
殺されて、遺体はまだ見つからず、家族は自分を待っている。
そんな彼女がここで消えてしまうのを、見過ごすことができなかった。
ただの学生の俺に未解決の事件を解決するような力も人脈もないが、見えざる者から逃げるのだけは得意中の得意である。
彼女がいつか生まれ変わる日がくるように、ここで食われて消滅はさせたくない。
だって見えてしまったから。
そして大ツチノコをつついてしまったので、俺もきっと捕食対象になっている。
だから一緒に逃げるんだよおおおおおお!!
「魔王の……あの喫茶店まで行けばなんとかなる! だから落っこちないようにしっかり捕まっててくれ! 絶対に逃げ切るぞ!!」
くそぉ、高くても速度の出るかっこいい自転車にしておけば、あんなずんぐりツチノコなんて振りきれたかもしれないのに。
でもかっこいい自転車は後ろに荷台なんて付いていないから、ママチャリでよかったのか。
ママチャリに若い女性と二人乗りーーーー!! めっちゃ青い春じゃないですかーーーー!!
その女性が幽霊で、更に変な大ツチノコに追いかけられていなかったらな!!
ジャコジャコと音をさせながら自転車を漕いで、車のいない車道を走り抜ける。
生き物の気配がなく不気味な静けさだが、今は人も車もいないことがありがたい。
更に幸いなことにスマホの地図アプリは何故か生きていて、アパートまでのルートを示してくれている。
どうやらここは隠世と現世の狭間のようだから、俺が人や車が見えないように現世の人には俺達の姿は見えていないだろう。
ならば少々強引なことをしても大丈夫。
だがスマホが生きているということは、極めて現世に近い状態なのだろう。
あまり詳しいことはわからないが、派手すぎることはさすがに現世にも影響が出てしまう可能性がある。
ああ~、やっぱ戻ったら魔王達に見えざる者とそいつらの領域について詳しく教えてもらおう。
って、それより今は追いかけて来ている大ツチノコから逃げ切ることに専念しなければ。
今のところ自転車の方が少し速いため、直線的な場所なら大ツチノコとの距離は少しずつ離れていく。
だが交差点やカーブでは速度を落とすため、そこでやや距離を縮められ、急なカーブや上り坂になると更に縮み、それらが連続すると追いつかれそうになる。
そんな時は――。
「くらえ! スーパーで買えるお手軽魔除け!!」
左手でハンドルを握りながら、右手でショルダーポーチの中からどこのスーパーでも二百円程度で買えるスパイスの小瓶を取り出した。
中身はローレル、別名月桂樹とも呼ばれる植物をパウダー状にしたスパイスだ。
本来なら料理に使うスパイスの中には、魔除け効果がある植物が原料のものもある。
ローレルもその魔除けハーブの一つである。
安い! お手軽! どこにでも売っている! しかも料理用なので片手でも開けやすい容器!!
カーブが連続して大ツチノコとの距離が詰まったタイミングで、粉末状のローレルをパラパラと後方へと撒いた。
これで大ツチノコが怯んで、その隙に距離を稼ぐ。
その繰り返しで、随分と走った。
地図アプリに誘導されるままに爆走しているうちに、電車の中から見たような気が線路沿いの通りに出た。
このまま線路沿いを進むと最寄りの駅の近くに出る。
そこまで来たらもうすぐだ。道もなんとなく覚えている。
スマホのアプリは正常に動いているが、相変わらず車通りも人の気配もない道路が続いており、俺のいる場所はまだ狭間なのだと実感する。
この狭間、どこまで続くんだ?
そう思いながら駅へと続く十字の交差点にさしかかった。
ここで駅方面とは反対側に曲がって、坂道を上っていくと麻桜荘のある住宅街へと入る。
坂道!!
そうだ坂道だ!!
麻桜荘に行くまでにはこの坂道を上らなければならない。
そーだよ、最寄りの駅の名前は「
傾斜のある地形に沿って作られたベッドタウンだよ!
ぎええええええー、さすがにこの長い坂道は小細工で粘っても追いつかれる!
しかもけっこう急な坂道だから、最後まで自転車で上りきれる微妙である。
これって、絶体絶命って奴なのでは!?
どうする?
俺が時間稼ぎをすれば、お姉さんを逃がすことはできる。
ここは俺に任せて先へ行け?
一度は言ってみたい言葉ではあるが、実際には言いたくない言葉である。
それに俺はお姉さんとはただの顔見知りで、俺は生者でお姉さんは死者であり、生きている俺が体を張る必要はない。
それでも見てしまったからには見捨てたくない。
困っている人を放っておけない。助けずにはいられない。
そうやって、困っている人に手を差し伸べるのが正義だと思っている。
誰かのために頑張って、褒められたり感謝されたりするのは好きだ。
自分のやったことが評価されると嬉しくてもっと頑張れる。
そうだ、前世でも俺のそういう性格が女神様に認められて神託があったと、教会につれていかれ勇者として旅立ったのだった。
俺ならできる、俺なら世界を平和にできると言われて。
ま、結局できなかったけど。
そして今の俺には何の力もないけれど。
でもやっぱ、心はあの時の俺のまま。
見えてしまったら、見捨てるなんてできない。
かといって、犠牲にもなりたくない。
せっかく平和な世界に生まれたのだから、今度は人生をエンジョイしたい。
だから、俺もお姉さんも一緒に逃げ切るぞ!!
「お姉さん、この坂道を進んだ先にあの喫茶店があるのは知ってるよね? あそこのオーナーに助けを求めくれ。俺はこいつをもうちょっと鬼ごっこをしているよ」
ここは俺に任せて先に行け! 俺も別方向に逃げるから!
そう、道は一つじゃない。
お姉さんに魔王の店がある坂道方向へ進んでもらい、俺は坂道ではない道を自転車で逃げる。
平地ならギリギリ追いつかれずに逃げ回れるから。
後はお姉さんが魔王かその仲間を連れてきてくれたらいい。
もし、呼んできてくれなかったら?
いや、きっと呼んで来てくれる。俺はお姉さんを信じるぜ。
俺はお姉さんに気に入られたみたいだと、魔王達が言っていた言葉を信じるぜ。
だから、信じて逃げ回るぞ。
なんなら、魔王が来る前に大ツチノコを振りきっているかもしれない。
後ろを振り返りお姉さんに、魔王の喫茶店に行くように促すと、お姉さんはニコリと笑って自転車の後ろから俺の上をフワリと飛び越え坂道の方へシューッと進んでいった。
その後ろ姿を見送りながら、俺は車のいない車道を大きく回って元来た方向に自転車の向きを変え全力で漕ぎだした。
加速を始めたタイミングで、後ろから来ていた大ツチノコと向かい合う形になり、俺に向かって口を開けて飛びかかろうとした大ツチノコの口の中に、小さな容器に入ったローズマリーのアロマオイルを投げ込んで自転車で大ツチノコの横を通り過ぎ、その後ろ方向へと逃げた。
振り返りながら大ツチノコの様子を確認すると、ローズマリーのアロマオイルはそうとう不味かったのか、動きを止めてプルプルと震えているのが見えた。
持っていてよかった百円ショップで売っているお手軽魔除けアイテム!!
学生には百円だってデカイ出費なのだから、ありがたく体の中からローズマリー臭で浄化されろ!!
これで注意はお姉さんより俺の方に向くかな?
それでもお姉さんの方を追いかけていかないように、もっと念入りに気を引いておくか。
くらえ! 百円ショップのラベンダーのお香!!
大ツチノコの後ろに回り込んで一度自転車を止め、百円ショップで買ったラベンダーのお香を取り出してライターで火を付けて、アロマオイル効果でプルプルと震えているツチノコの尻尾にジュッと押しつけてやった。
大ツチノコが鳴き声を上げそれが周囲に響き渡るが、その声は見ることのできない者には聞こえない声。
お香は熱かったか?
じゃあ、新しい自転車のテスト走行にもうちょっと付き合ってくれよ。
俺の方を振り返り怒りに満ちた表情で睨む大ツチノコを煽るように鼻で笑い、自転車を全力で漕ぎだした。
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