第16話◆見えてしまったから

 自転車屋の前でゴロゴロしていた招き猫に誘われて、どうせ必要なものだからとお手頃価格のママチャリを購入。

 かっこいいロードバイクが欲しかったのだが、引っ越して来たばかりでバイトもしていない俺にはいいお値段だったし、大学まではそんなに遠くないのでママチャリで十分かなと、カゴと荷台の付いたいかにもなママチャリを買ってしまった。

 もちろん電動ではない人力の安いやつだ。

 いいんだ、大学が始まったら可愛い彼女を作って、自転車の後ろに乗せてデートをするんだ。


 なんて甘い想像をしながら、買ったばかりの自転車を漕いでアパートへと戻ることにした。

 で、わかりやすい大きな道を通って帰っていると、途中で何かおかしいことに気付いた。


 自転車に乗ってあの街を出発してどのくらい経っただろう。

 地図アプリにアパートまでのルートを、わかりやすい大きな道優先で設定して自転車で走っていた。

 交通量もそこそこ多い道だったのだが、途中で片側一車線の道になった。

 おそらくは新しくて大きな道と道と繋ぐ古い道路。細くて古い道路だが、交通量は多い道路。

 バスも通る道のようだが周囲には住宅は疎らで、代わりに畑がいくつも見え、都会といっても郊外は田舎のような風景もあるのだなと思っていた頃だった。


 時間は昼過ぎ、朝夕のラッシュ時に比べれば車や通行人の数も少ない時間だ。

 なのだが、それにしても先ほどから車も通っていないし、通行人もいない。

 道路から見える畑や住宅、そちらに向かう道にも人の姿や動いている車両がいない。


 最初は妙に静かだと思っただけ。

 そういえば少し前から車を見なくなったなと思って、ハンドルに取り付けているスマホに目をやった。

 電波は最大、開いている地図アプリ上では現在地を示す矢印がちゃんと動いている。

 そのせいで一度はたまたま人も車もいないだけなのだと思い、気にせずそのまま進み続けてしまった。


 それから五分だろうか十分だろうか、過ぎた辺りで相変わらず人も車もいないことをおかしいと思った。

 そこからすぐだった。


 本来は交通量がそこそこあると思われる片側一車線のバス通りで、さすがにこれだけの間、人にも車にも遭遇しないのはおかしいと思い自転車を走らせながら周囲に人の気配に注意してみた。


 静。


 そこで確実におかしいことに気付いた。

 すでに昼間は気持ちの良い暖かさのある季節。自転車に乗っていれば汗ばむくらい。

 そんな時期、鳥のさえずる声も聞こえなければ、どこにでもいそうな雀やヒヨ鳥の姿すら見えないのはおかしい。

 当然のごとく人の気配も車の走る音も聞こえない。

 聞こえてくるのはサワサワという、風に揺れる木々の音だけ。


 不気味に静かすぎる。

 そのことに気付くと、暖かく気持ちの良い春の午後のはずなのに、背中がゾクゾクとしてきた。


 だがスマホの地図アプリは相変わらずちゃんと動いている。

 そのことで少しホッとした気持ちになるが、同時に現在の状況のわからなさで不安が押し寄せてきた。

 明らかに普通でない状況。

 おそらくここはもう見えざる者のいる領域。

 魔王の言っていた狭間という場所か、スマホの位置情報が生きているということは極めて現世に近い狭間なのあかもしれない。


 魔王に教えてもらうまで狭間という名前は知らなかったが、こういう人の世から切り離されたような場所に踏み込んでしまうのは初めてではない。

 そしてこういう場所に踏み込んだ時は、だいたい禄でもない目に遭うということも今までの人生で体験済みだ。

 それでもできることなら禄でもないことに巻き込まれる前に、この異様な空間を抜け出したいと思い自転車を漕ぐ速度を上げた。


 鳥のさえずりも人の気配も車通りもなく不気味に静かな道路に、シャコシャコと俺が自転車漕ぐ音だけが響く。

 この異様な雰囲気に腹の底から寒気がくるような気分が込み上げてくるのに反して、空は晴れ渡り春の暖かな日差しが降り注ぎ、それがまた不気味さを加速させていた。

 その静けさの中、あまり速度の出ないママチャリを全力で漕いでいる最中にそれは聞こえて来た。


「アアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 風が木々を揺らす音しか聞こえない不気味な空間に、突如高い音――何かの生き物の叫び声のようなものが響き渡った。

 それを見てはいけないと思うより先に、反射的にその音のした方向を振り向いてしまった。

 しまったと思った時にはもう遅く、それが見てはいけないもの――見えざる者の声だと気付いたのは振り返り、その叫び声の源が視界に入った時だった。


 最初に目に入ったのは、俺がいる道路から見える畑の脇を通る道を塞ぐように居座っている見覚えのある生き物。

 太い胴体にチョロンと細い尻尾の生えた蛇のような奴。昨日、魔王荘にいく途中に見かけた大ツチノコ。

 同一個体かわからないが、見た目も大きさもほぼ同じように見えた。

 そしてその大ツチノコの傍には――。


 あのワンピースの幽霊お姉さん!?


 お姉さんの黒く長い髪を、大ツチノコが咥え口の中に引き込もうとしている。

 聞こえてきた高い叫び声はお姉さんの悲鳴。

 このままではお姉さんが大ツチノコに飲み込まれてしまう。


 ……だけど、見えるだけの俺には何もできない。

 助けにいっても、俺も食われるだけ。

 お姉さんは今朝始めて見かけて、その後何度か遭遇しただけの幽霊。

 俺には縁もゆかりない人物。

 たとえそれがまだ死体の見つかっていない未解決の事件の被害者だとしても、俺には関係ない。

 彼女の家族が彼女が生きていることを願い彼女の帰りを待ち続けていても、彼女が幽霊となり彷徨っていることを彼女の家族は知らないし、知ったところで彼女を見ることはできない。


 見える者と見えざる者、その間には分厚い壁があるのだ。

 だから関わってはいけない。助ける必要なんてない。力のない俺には助けることなんてできない。


 響く悲鳴を聞こえないふりし、大ツチノコとお姉さんのいる道を見ないように通り過ぎようと思った。

 思ったけれど、やはり聞こえてしまった。そして見えてしまった。

 見えてしまったら、見ないふりをすると罪悪感に襲われる。

 聞こえてしまった声は俺の耳の奥に住み着いて、後に思い出しては後ろめたさでいなくなったお姉さんの残滓に怯えることになるかもしれない。

 無視して進まなければいけないと思いつつ、ペダルを踏み込む速度がだんだんと遅くなる。


 見えてしまったから、そこにいると知ってしまったから、少しだけでも関わってしまったから。

 なにより人は生まれ変わるということを俺は知っているから。

 生まれ変わる可能性がある者が、食われる様子を見過ごすことに戸惑いを覚えた。


 昨日は徒歩だった。だけど、今日は自転車。

 あの大ツチノコはだいたい蛇で、きっとそう移動速度は速くない。

 いけるかもしれない。

 スマホ地図で魔王荘までの道と距離を確認する。

 逃げ切れる気がする。


 自転車を止めてジーンズのポケットに手を突っ込み、そこに入れていた厄除けのお守りを握り締め取り出し叫んだ。


「お姉さん! こっち!!」


 そしてそのお守りを大ツチノコ目がけて放り投げた。


 線香が値段相応ならお守りも値段相応。

 どこの神社でも売っている五百円くらいの厄除けのお守り。

 お守りには、そのお守りを売っている神社で祀られている存在の力が僅かだが込められている。

 金を払ってお守りを買うことも信仰の一種であり、普通ならば体感はできないが効果はそれなりにある。

 五百円なら五百円くらいの効果。

 見えない者が見える俺には、その五百円くらいの魔除けの効果が変な野良妖怪が怯む程度の効果があることを知っている。

 学生には五百円だってでっかい出費なんだぞ! 怯んで、お姉さんを離すんだ!!


 俺が投げたお守りが大ツチノコの額に当たって、パチンと小さく光ったのが見えた。  それと同時に大ツチノコが仰け反って、咥えていたお姉さんの髪の毛を放した。


「お姉さん、後ろ乗って! 魔王のとこまで逃げるよ!」


 お姉さんの髪の毛がツチノコの口から離れるのが見えて、すぐに叫んで自転車の後ろに乗るように促すと、お姉さんがフワリと飛んで荷台の上に降りた。

 肩を掴まれる感覚がして首の辺りにヒヤリとした感覚があったのは、お姉さんが自転車から振り落とされないように俺の肩に捕まったからだろう。

 その感覚の直後、俺は全力で自転車を漕ぎ出した。


 今世に神の知り合いなどいないが魔王の知り合いならいる。

 困った時の魔王頼み!!

 悔しいけれど、頼れるのはあいつしかいない。


 お守りなんかぶつけたから、大ツチノコの注意が俺に向いたような気配がした。

 そして後ろから迫る圧迫感。


 うげえええええええ!! ずんぐり太っているうえに足もないのに、思った以上に足はえーな!!

 いや、足がなくて這っているから胴が速いのか!?

 よくわかんねーけど、やばいかもしれない。


 そして自転車に幽霊お姉さんを乗せて、大ツチノコとの鬼ごっこが始まった。

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