第6話◆魔王の罠
「う……空きっ腹にブラックコーヒー……うっ」
く……コーヒーは魔王の罠だったか……俺としたことが、油断した。
おのれ、魔王め……空きっ腹の俺にコーヒーを出すとはなんて卑怯な。
苦さを堪えてコーヒーを飲み干した後、キリキリとし始めた胃を押さえる。
そういえば、朝食を食べずバタバタとして実家を出て、昼は駅で買ったパンを新幹線の中で囓っただけ。
アパートに到着したらコンビニでも行こうと思っていたら、幽霊に追いかけられ、さらにはでかいツチノコの登場にびびり散らすことになって、アパートへの到着が遅くなってすっかり腹が減っている。
そんな俺にコーヒーを出すなんて、汚い! 汚いぞ、魔王!!
「どうした? 何か入ってたか? こいつの作るものはたまに大当たりがあるからな」
大男が隣の隣の席から俺の顔を覗き込んでくる。顔は怖いが案外いい奴かもしれない。
ちなみに隣の席でヒョロ猫男が甘そうなミルクティーを飲んでいる。俺もミルクティーがよかった。
ところで大当たりってなんだ!? なんでそんな奴が喫茶店をやっているんだ!?
ていうかそもそも魔王がアパートのオーナーで、その一階で喫茶店やっていること自体がおかしいだろ!?
「む? ここ数十年はコーヒーではそのような失敗はしてないぞ」
コーヒーでは。
つまりコーヒー以外は大当たりがあるということか?
なんでそんなんで喫茶店なんかやってんだよ! しかも数十年とか言っているぞ! いつから喫茶店をやってんだよ!
ていうかなんで魔王が喫茶店をやってんだよ!!
「上様はこちらに来るまで、料理どころか身の回りのことすらも自分でしない御方でしたからねぇ。それがこちらの世界に溶け込むために人としての生活を始め、様々な職業を経験し、今はアパートの大家となり、暇潰しに喫茶店を始め、客にまともにコーヒーを出せるようにまでになって……じいやは嬉しいと僕のひいひいひいひいひいひいひいひいひいひくらいの爺さんのゴーストが念仏のように言ってますね」
なんでそんな奴に飲食業をやらせようとした! どうしてアパートの大家だけでやめておかなかったんだ!!
そこは止めようよ、部下の人達ーーーー!!
いやゴーストってが念仏のように言っているって何!? そこは念仏を唱えて成仏してもらってよ、ご先祖様ーーーーーーー!!
「最初は慣れなかったが、さすがに数十年もの間に渡って料理をしていると慣れてくるというものだ。長い寿命の中、喫茶店のオーナーになるのも悪くはないな」
いやいやいやいや、お前何歳だよ!!
魔王は女神様と同じ時代から生きていると、前世の世界ではいわれていた。
創世神が世界を作り、世界を平和に導く女神様が生まれ、女神様が自分の姿を模して人間を作り出した。
女神様が地上に降り立った時の光に照らされた影から、魔王や魔物、獣と人が混ざった異形の種族が生まれ、神の現し身である人間を妬んだ彼らは、人間を滅ぼし女神を倒して世界を支配しようとした。
という話を、子供の頃から教会で何度も聞かされて育った。
だが、目の前のいる魔王は人間を恨んでいるようには見えない。
それに神の現し身である人間を妬んでいたと聞いていたが、魔王自身は前世も今世も人と変わらぬ姿をしている。
異常なまでに整った顔は人間離れをしているが、それでも人の姿の範囲内である。
それどころか、見た目なら人よりも美しい存在といってもいいだろう。
魔王とその配下達はどういう理由とどういった方法でこの世界に来たのかわからないが、人間に紛れて暮らしているようだ。
魔王の話からするとそればずっと昔から。しかもここにいる奴以外にも仲間がいると思われる。
だが、今世の歴史に魔王やその配下が人間に対して戦いをしかけたような記録はない。
前世で幾度となく聞かされた女神様と魔王の話に、少しだけ違和感を覚えた。
グウウウウウウウウウ……。
ツッコミどころ満載の魔王とその配下達の話を聞いていると、突然低い音が店内に響いた。
その音に反応して、俺以外の視線が俺に集まる。
おっおっおっ俺の腹じゃ……すみません、俺の腹です。
苦いコーヒーのせいで胃はキリキリしているけれど、腹は食い物を求めているんだよおおお!!
「む? 腹が減っているなら何か食べるか? ここは喫茶店だから食べ物はあるぞ。今ならフライ用に卸したばかりのアジがある。カルの一族が経営している魚屋から仕入れたアジだ」
カルっていうのは猫っぽい細目眼鏡のヒョロヒョロ男の方だったな。
猫屋敷とかいう名字魚屋かよ。まぁ、猫だから魚屋でもおかしくないか。
ていうか、魔王の部下までしっかりこちらの世界の生活に溶け込んでいるのかよ。いや、誰も気付いていないだけで、俺が思っている以上に前世の世界から魔王軍がごっそりやってきて、人々の中に混ざって普通に暮らしているのかもしれない。
そのことは少し気になったが、今は腹が食い物を求めている。
魔王がさりげなくアジフライをアピールしているように聞こえるが、金髪の大男が食っているオムライスがめちゃくちゃ美味しそうで、オーナーが魔王だと知ってなお口の中も頭の中もオムライスになっている。
「えっと、じゃあオムラ……」
…………。
オムライスと言いかけて魔王と目が合ってしまった。
相変わらず人間離れをした綺麗な顔で表情はさっぱり動いていないのだが、その視線は何かを訴えるように俺を見ている気がする。
気付けばタルタルソースが入った容器を手に持っている。
きっと魔王の手作り。アジフライのために作ったものな気がする。
オムライスにはタルタルソースはかけないから、それはアジフライ用だよな。
おい、なんで無言の無表情でずっとこちらを見ているんだ。
アジフライオススメ光線でも出していそうな目で見られても、俺の口の中はオムライスなのだ。
魔王のアジフライオススメ光線なんかには屈しないぞ!!
そんな訴えるように見ても、俺はオムライスがいいんだ!!
そうだ、オムライスを……オムライスを頼む……。
「じゃあ、アジフライ定食を」
屈してしまった。
表情はほとんど変わっていないように見えるが、オムライスを言おうと決意したところで、魔王の眉毛がミリほど下がったように見えて、アジフライオススメ光線に負けてしまった。
く……前世に引き続き今世でもまた魔王に負けてしまった……。
魔王から発せられているような気がするアジフライオススメ光線に屈してしまい、カウンター後ろの黒板にデカデカと書かれている本日のおすすめアジフライ定食を頼んでしまった。
アジフライにサラダに味噌汁とご飯のセット。ご飯と味噌汁おかわり自由で六八〇円。
くそ、ご飯と味噌汁おかわり自由で学生の俺にも微妙に優しい値段設定にしやがって!!
あれ? あの黒板、先ほどは普通にいろいろメニューが書かれていたような。
アッ! 魔法だ! こいつ魔法を使いやがったな!!
そんな魔法があるかどうかは知らないが、黒板を一瞬で書き換える魔法!!
魔王ならそれくらいできてしまいそうだ。
くそ! 汚い! 汚いぞ、魔王!! 次は絶対に負けないからな!!
悔しいからご飯と味噌汁をめちゃくちゃおかわりしてやる!!
「く……苦し……っ! おのれ……魔王卑怯な……そして、ご馳走様でした」
「うむ、よい食べっぷりであった」
「食べ過ぎは自業自得なんだよなぁ。そして頼んだ分を食べきって、ちゃんとご馳走様が言えるのは褒めてやろう」
「細いのによく食べますねぇ。これが若さってやつですか」
うるせぇ、俺は高校を卒業したばかりのピチピチの若者で食べ盛りなんだ。
食べ過ぎの苦しさで、ついカウンターに突っ伏してしまった。
おのれ、これは飯をたくさん食わせて俺を動けなくする罠だったのか!?
カウンターの正面から、すぐ横から、魔王達の会話が聞こえてくる。
俺は真面目な良い子なので、ご飯の前にはいただきますもするし、食べ終わればご馳走様と言う。
ご飯を出してもらったのなら、その相手が宿敵魔王だったとしてもだ。
ちくしょう、六八〇円なんてお手頃価格でアジフライ定食美味かったぜ。
サックサクのアジフライ二枚の上にかかる、タマネギの辛さとマヨネーズの酸味、ゆで卵のまろやかさ、そして胡椒のアクセントのあるタルタルソース。
それだけでも大満足できるのに、苦みのない柔らかサニーレタスとほんのり甘味のあるポテトサラダ付き。
味噌汁は定番のわかめと豆腐の味噌汁。
ちくしょう、魔王のくせに家庭の味なんか出しやがって!! 悔しくて三杯もおかわりしたじゃねーか!!
しかも程よい味加減でご飯が進むタイプの味噌汁だよ!!
ついご飯にかけて"猫まんま"にしたい気分だったが、自宅ではないので自重した。
くそぉ、人の目のない場所だったら、絶対にご飯にかけて掻き込んでいたのに。
そして気がつけば食べ過ぎてこの有様。
喫茶店なのに男子高生向けの定食屋かよっていうなサービス。
おのれ、卑怯な奴め! だが俺はこんなことは屈しないからな!!
「うむ、朝昼夕の日替わり定食はサービス価格だ、またいつでも来るがよい」
「ちくしょう、美味かったらまた来てやるかるからなー!」
くそ、またいつでも来いなんて言うならまた来てやるからな!
ちくしょう、次は絶対に負けないからなー!!
「ふむ、そういうことなら家賃にプラス三万円で、日曜祝日以外朝と夕にここで食事を出してやるぞ。ちなみにそこの二人も飯付きプランでこのアパートに住んでいる」
おい、不動産屋はそんな話はしていなかったぞ!
くそぉ、日曜祝日以外でも朝夕なら、外食や買い食いをするなら微妙にお得なプランだな。
いや自炊をしたらもう少し食費は抑えられるはずだが、絶対面倒くさくなって自炊なんてやらなくなる。
そして料理の自信もない。
ちくしょう、微妙にお得な値段で誘惑しやがって卑怯だぞ!!
「む、俺達からは四万取ってるくせに」
「まぁまぁ、みちるさんは学生さんですから学割みたいなものですよね」
しかも学生価格かよー、魔王のくせに商売上手だな!
アレックスというでかい男はめちゃくちゃ食いそうだから四万でも安いのでは。
かるというかヒョロヒョロ猫男は、俺より食が細そうだけど大丈夫か? ちゃんと元は取れているのか?
ま、社会人なら金に余裕もありそうだな。
「じゃあ、そのプランでお願いします」
少しだけ悩んだが、やはりお得で楽そうなのでお願いをしてしまった。
くそぉ、絶対に毎日食いまくって赤字にしてやるからな!!
「ふむ、では朝と夜ここに来るがよい。それから必要ない日や、部屋に持ち帰って食べたい日は言ってくれ。必要ない日は日割りで後に返金しよう。明日から始めるなら今月分も日割りで明日までに計算して請求書を作っておこう」
いらない日の分は返金だなんて、なんてありがたいサービスなんだ!
しかも明日から早速開始! 今月分も日割り計算!!
魔王のくせに良心的な喫茶店だな!
「わかった。じゃあ明日の朝から頼むよ」
く、気付けばすっかり魔王達のペースに乗せられていた。
恐るべし魔王軍。
彼らはこんな調子で、こちらの世界の人間社会に紛れ込んでいるのだろうか。
くそぉ、何となくいい奴らに見えるし、話してみると案外普通そうだが、俺は騙されないからなー!!
アジフライ定食、ご馳走様でしたーーーー!!
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