第4話◆麻桜荘へようこそ

「まざくら……違った、まおうでもなくてー……そうだ、この辺の昔の地名があさくらっていうって聞いたな。麻桜あさくら荘――確か一階は喫茶店だったな……そうそう、この客のいなさそうな喫茶店だ。よっし、ここであってるな」

 日はすっかり落ちて暗くなった空の下、一階に小さな喫茶店のある三階建てのレンガ造りの建物の前まできて、名称を確認し建物を見上げ呟いた。


 前回は契約の時に不動産屋さんに連れられてきた。

 かなり古い建物でそのレンガの壁には植物の蔓が這っており、なんとなくそれが怪しい雰囲気を出しているのだが、それはそれで小洒落た雰囲気となっていて気に入った。

 駄菓子屋のおっちゃんに紹介されや不動産屋さんが取り扱っている物件の中には"見える人"でも安心して住める物件もあるらしい。

 それが本当がどうかはわからないが、おっちゃんがせっかく紹介してくれたのだし、他のよくわからないところを借りるくらいなら、見える人でも安心というのを信じてみようと思った。

 そして何より家賃が安めだったし、近くに寺と神社があった。

 下見に来た日にはオーナーに会えなかったが立地も部屋も気に入ったので契約し、大学が始まる直前の今日ここにやって来た。


 えぇと、確かこの喫茶店ってオーナーが趣味でやっている店だって言っていたっけ。

 いいなぁ、不動産収入があって趣味の店ができる生活。人生勝ち組羨ましいぜ。

 そんな勝ち組生活をしているってことは、いい年のおっさんかなぁ。いい人だといいなぁ。

 俺も大学を卒業したら働いて金を貯めて、四十までにはそういう勝ち組生活になりたいなぁ。


 今日は喫茶店にそのオーナーがいるから、そこで部屋の鍵を受け取るように言われているんだよな。

 契約の時には会わなかったから少し緊張するな。強面のおっさんが出てきたらどうしよう。

 ハゲで強面の髭面でムッキムキなマッチョマンで、一般人じゃなさそうな人だったらどうしよ。

 やべ、ちょっと恐くなってきた。

 店の窓から中が見えないかな……いや、窓から中を覗いたらすごく怪しい人になってしまうからやめておこう。


 それにまだオーナーが強面のおっさんと決まったわけではない。もしかすると綺麗なお姉さんかもしれない。

 そうだな、こんな小洒落た喫茶店だからハイセンスなお姉さんの可能性がある。

 そしてこんなお洒落なアパートなら住人も可愛い女の子ばっかりで、ラブでコメでちょっとえっちなハートフルハーレム大学生活が始まるかもしれない。

 な~んてご都合主義はないとしても、こんな小洒落た喫茶店なら女の子のお客さんとかも結構来そうだし、アパートに一人くらい可愛い女の子が住んでいて、うっかりよろしい仲になれるくらいの出会いならあるかもしれない。


 よし行こう。

 ここまでの道のりでいきなりとんでも不運に見舞われたのだ、乱数調整でこれからいいことがあってもおかしくない。

 いくぜ、新生活!

 これから俺は平凡で普通の大学生として、高校時代までにはできなかった青春を満喫するんだ。


 などと胸を弾ませながら、"ホッドミーミルの森"と書かれた看板が掲げられた喫茶店のドアを開けた。


 "見える人でも安心して住める物件"の意味を深く考えずに。




「ごめんくださいー、こんにちはー」

 何て言って入ればいいのかわからず、つい近所の家を訪ねるような挨拶をしながら喫茶店の扉を開けた。

 ドアを開けるとカランカランとドアベルが鳴った。

 店内には、カウンター席に並んで座っている男性が二人いるだけ。

 つい店の奥の気配を探ってみると、カウンターの奥にもう一つ人の気配がある。残念ながら、カウンターの奥の気配も男性だ。

 この時点で若くて美人なオーナーの可能性はなくなった。


 カウンターに並ぶ二人の客。

 一人はかなり体格のいい男性。そして短く刈り込まれたツンツンの髪の毛は、染めているのかややくすんだ金髪でである。


 ん?


 そしてその横にいるもう一人の男性。

 ヒョロヒョロとした体格でミルクティー色の髪の毛。


 んん?


 あれ? どっかで見たような……あーーーーーーーっ!!

 思わず心の中の叫びが声に出そうになって口を押さえた。


「この店に常連以外の客が来るなんて珍しいな」

 こちらを振り返ったキンキンツンツン頭の大男と目が合った。

 ひぇっ! めちゃくちゃ強面!!

 しかもこの国の人間、日本人とは違う彫りの深い顔に青い目。

 外国人かその血が混ざっているような顔立ちで、なんとなく前世の国にいた人達を思い出した。


「ほら、アレックスさんの顔が恐いから、せっかくのお客さんが固まってますよ。これで貴重なお客さんが逃げちゃったら、上様……じゃなかった店長に怒られますよ。というかアレックスさんの顔を見て逃げ出すお客さんも多いから、そろそろ出禁にされるのでは?」

 アレックスと呼ばれたキンキンツンツンに続いて、ミルクティー色のヒョロヒョロもこちらを振り返った。

 第一印象は銀縁の眼鏡とその奥の細い目。

 キンキンツンツンみたいな威圧感はないが、なんとなく胡散臭さと感じる顔立ちである。

 こいつもキンキンツンツンと同じで顔の彫りが深く日本人っぽく見えない。

 それとヒョロヒョロ。風が吹けば飛んでいきそう。ついでに何だかすごく運が悪そう。

 元勇者の俺の勘は極稀にすごくよく当たるのだ。きっとこいつは運が悪い。 


 そんなことよりこいつら……つい先ほど大ツチノコ妖怪を片付けて女の幽霊を成仏させた奴らじゃないか!!


 見える人でも安心して住める物件――その意味を理解した。


 聞こえてきた話から推測すると、この二人組はこの喫茶店の常連客のようだ。

 あんなでかい妖怪とあっさり始末してしまうような人物が出入りする喫茶店がアパートの一階になるのなら、この建物に幽霊や妖怪対策がしてある可能性もあり確かに安心ではあるな。


 仲良くなれば幽霊や妖怪で困ったことがあったら相談に乗ってくれるかな?

 もしああいうに困って片付けるのを頼むと有料なのかな? 学生の俺でも頼めるくらいの金額かな?

 はー、幽霊対策に高い線香も欲しいし、早くバイトを見つけて金を稼ご。

 前世くらいの身体能力と魔法があれば、俺だって妖怪退治くらいできるのに。


 魔法……ん?

 そうだ魔法!! こいつらさっき魔法を使っていたし、魔法って言っていた!!

 ちょっとそのことを詳しく聞きたい!!


 いや、聞いていいのだろうか……この世界では魔法は物語の中だけの存在で実在しないものという認識である。

 もちろんそれを信じている人もいるが、一般的に魔法なんてものは存在していない。


 それを扱う奴ら。

 間違いなく普通の奴らではない。

 俺がその場を見たことがバレても大丈夫なのか?

 もし魔法の存在が知られてはいけないことだったらどうする?

 俺と同じように見えざる者が見える者達――見えざる者に対処でき尚且つ魔法が使える者を前にして、少し高まったテンションが急激に下がっていくのがわかった。

 俺が"見える"ということを明かすのは、彼らのことやオーナーのことをよく知ってからでも遅くはない。


 そうだ、オーナーだ。

 俺はオーナーから部屋の鍵を受け取るためにこの喫茶店に来たのだ。

 店内にいる二人は聞こえて来た話から察すると常連のようだし、この店に来ればまた会えるだろう。

 気にはなるが、無理に今すぐ彼らについて知る必要はない。

 今の俺は何の力もない学生。息を潜めて生きていくしかない存在。


 見える者でも安心して住める場所。

 そして見えざる者に対処できる者が出入りする場所。

 そこのオーナーも見える側の人物である可能性が高い。

 俺が見えるということを打ち明けるなら、オーナーからか?

 いや、オーナーの人柄を見てからだな。

 だがそのオーナーらしき人物はカウンターの奥、おそらく厨房に籠もっているようで姿が見えず、どう声をかけてよいものかわからず思わずキョロキョロと視線を彷徨わせてしまった。


「おい、流行らない店に貴重な客が来てるぞー」

「流行らないとはなんだ。一応たまには常連以外の客も来ている。この魚を捌き終わったらすぐにいく」

 金髪の大男がカウンターの奥に向かい声をかけると、奥から男の声が返ってきた。

 そしてその返答が微妙に不安である。

「もしかして新しく引っ越して来た人ですか? 店長はものすごぉくマイペースな人なのでとりあえずその辺にかけて待っててください」

 ミルクティー色の髪のヒョロ男が、空いているカウンターの席を指差した。

 こいつは何だかいい奴っぽいな。


「あ、はい。じゃあ座って待たせて貰います。ところで喫茶店なら店長さんがいらしたら、何か注文してもいいですかね」

 とりあえず知らない場所で道に迷って、見えてはならない者を見てしまって逃げ回っているうちに、すっかり遅くなってしまい夕飯もまだ食べられずにいた。

 腹が減ったなぁ。

 あんま流行っていない喫茶店っぽいけれど、常連客はいるみたいだし超不味いなんてことはないはずだ。

 というか腹が減っているせいで、金髪大男の食っているオムライスの香りがやたら食欲を刺激して、スプーンで崩された卵の皮の中から溢れる赤いチキンライスが妙に美味そうに見える。

 カウンター奥の壁に取り付けられている黒板には、メニューがたくさん書かれているが俺の心はすっかりオムライスになってしまっている。


「すまない、待たせた。そういえば客だったな」

 カウンターの奥の厨房らしき空間から、カウンターへと近付いてくる人の気配と低い声。

 おそらく、この喫茶店の店長。そして、俺が今日から世話になるアパートのオーナー。

 それにしても、喫茶店の店長とは思えない接客態度だな!? 大丈夫かこの店!? いや、このオーナー!!

「客というか今日から上のアパートに入る隠樹みちるっていいます。部屋の鍵を受け取りに来ました。それからオムライス――え?」


 奥から出てきたオーナーらしき男性の顔に見覚えがあり、それがすぐに俺の中で確信にとなり目を見開いた。

 死を越えても忘れることのないその顔。

 この世の者とは思えないほど整った顔。しかしそれは彫刻のように無機質。

 俺はこの男を知っている。

 だから思わず、立ち上がりその名を呼んだ。


「魔王リシド! 何故、ここに!?」


 で、叫ぶだけ叫んで我に返った。

 それは前世の宿敵の名前。

 冷静に考えて、世界すら違うここにいるわけがない。

 次元を越えた他人の空似である。


 あああああああああ~~~~!!

 やっちまったーーーー!!

 新しい地ではもう、厨二病の隠樹とは呼ばれないようにしようと思っていたのに~!!

 やっちゃったよ! しかも、これから住むアパートのオーナーさん相手に!!

 ああ~、冷静になってみたら当たり前だけど髪の毛の色が違う~~!!

 そうだよ、魔王の髪の毛の色は今世の人間ではあり得ない色、夜明け前の空のような暗い紫のだった記憶がある。

 オーナーさんは、真っ黒でツヤツヤサラサラの長い髪を後ろで一つに束ねている。

 当たり前だけど別人じゃん!!


 だって顔だけなら、俺の記憶にある魔王にめちゃめちゃ似てるんだもん!

 この世の者とは思えない整った顔。どう考えても日本人の顔立ちじゃねーっつーの!!

 それに俺自身が違う世界に転生しているのだから、他の奴だって転生していてもおかしくないと思うじゃん。

 俺が死んだ時点では魔王はピンピンしていて、どうやったら倒せるんだってくらい強かったから、あの後誰かに倒されたかどうかなんかわかんないけど。


 ん? そういえば、魔王の傍に側近と思われる金髪の岩男みたいな奴と、猫耳付き茶髪のヒョロヒョロ従者がいたような。

 ん? ん? ん?

 昔のことすぎて記憶違いか? 魔王のことはよく覚えているが、その取り巻きのことは昔のことすぎてうろ覚えだな。


 今日はここに来るまでに色々あったから、少し疲れてるんだ。

 魔法っぽいものも見ちゃったしな。


 ん? 魔法?


 そうだ、魔法だ! こいつら、魔法を使っていた!!

 てことは、理由はわからないがやっぱり――。


「む? 確かにその通り――いや、そう呼ばれたこともあるが、君は誰だ?」


 完璧な造形の綺麗な顔が、無表情のままコテンと首を傾げた。


「えっと、今のはなんでもな……え? その通り? えええええ!?」


「なんだ、変な奴だな。俺の昔の名を呼んだのは君――ぐおっ!?」


「馬鹿野郎! 聞かれたからって素直に答えてどうすんだ! そこは、この小僧を変な奴扱いしてでも適当に誤魔化すところだろう!! この態度からして、間違いなく女神側の奴じゃねーか!!」


 オーナーの言葉が終わらないうちに、金髪大男が一瞬でオーナーの背後に移動してその後頭部をぶん殴った。

 クソ痛そうな音とくぐもった声が聞こえて、オーナーが両手で後頭部を押さえながら俯いた。

 って、え? え? どうやって移動した!? 全然見えなかったんだけど!?

 二メートル近い大男が一瞬でカウンターテーブルに座った状態から、カウンターの中に移動して、イケメン大家をぶん殴ったんだけど!?

 何がどうなったんだ!? 人間ってそんな素速く移動できるものなのか!?

 それよりわりと本気っぽく殴ったみたいだけどオーナーさん大丈夫!?

 あ、魔王ならもっと殴っていいのか? いいぞ、もっとやれ!


「えっと……」

 何も考えず叫んでしまった故に、その後の展開に頭がついていかなくて言葉が出て来ないし、大男が何か重要なことを言ったような気がするがそれに気付く前に言葉が耳の中を通り過ぎていった。

 オーナーは前世の宿敵? こんなとこで何で喫茶店をやってるんだ!?

 いや、魔王も転生したのか? じゃあ、一緒にいる魔法を使うこいつらは?

 今の大男の行動も魔法を使った移動!?

 頭の中を整理しようにも短時間で理解を超えることが起こりすぎて、情報が大渋滞をおこしてしまっている。


「何だか訳ありみたいですし、僕らの正体もご存じのようですけど、ちょっと深呼吸して落ち着いて、まずはみんなで自己紹介から始めましょうか。落ち着くのはアレックスさんと上様もですよ!」


 一番冷静だと思われるヒョロヒョロ男が、眼鏡の真ん中を抑えてチャキチャキしながら言った。


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