第3話◆圧倒的無力感と圧倒的強者

 人は――いや、生きものは死しても生まれ変わる。

 これは俺自身は自分で体験したことだ。


 俺は前世、たくさんの悔いを残して死んだ。

 だが死んだのは体だけで、その心――魂まで消えなかったのかこうして新たな人生を歩んでいる。

 俺のように前世の記憶を持っている者に出会ったことがないため、生まれ変わりというものが俺だけなのか、前世の記憶がないだけで誰もが生まれ変わっているのかまでは正確にはわからないが。


 肉体が死しても魂があればいずれ生まれ変わることができるのだとしたら、もしその魂まで消えてしまったらどうなるのだろう。


 ツチノコのような妖怪に飲み込まれつつある女の幽霊。

 女はすでに死して体はなく、その魂だけでこの地に無念を残して彷徨っているだけだ。

 もしその状態で別の存在に食われてしまうとどうなるのだろう。


 俺は前世で無念を残して死んだ。だが生まれ変わり新しい人生で、この先に希望を持って生きている。

 だがあの血まみれの女は、死んでも死にきれず死後は魂だけになっても彷徨い続け、その果てに魂すら今にも食われてしまいそうになっている。

 前世、人々を救うために駆け回った時の記憶のせいか、自分とは何も関係ない存在である女を見捨てるしかない罪悪感が押し寄せてきて、石灯籠の後でうずくまり耳を塞いだ。


 どうして俺はこんなに無力なのだろう。


 見えるだけの力なんていらないし、前世の記憶なんかもっといらなかった。

 見えざる者の悲しみや怒りを知ってしまうから。それを見ているだけでどうすることもできないから。

 前世との俺と同じで誰も救うことができないから。


 耳を塞いでも聞こえてくるズルズルというツチノコが地を這う音と、喉を鳴らし獲物を飲み込む音。

 出て行ったところで俺も食われるだけ。

 出て行くだけ無駄。

 何もできないが、何もできないからこそ今世は平穏に生きたい。


 そして――怖い。


 何も力がなく、力ある者の前では為す術のない弱者。


 もう俺は勇者でもなんでもないんだ。


 息を潜め、それが終わるのをひたすら待った。

 自分は無力で自分にはどうすることもできないと自分に言い聞かせながら。




 どのくらい時間が過ぎたか。

 いや、実際にはほとんど時間は過ぎていない。

 その証拠に大ツチノコはまだズルズルと音を立て、寺の前を通過している途中である。

 だが、それも終わる。

 あの女はもう――。


「あちっ」


 女の霊を追い払うために火を付けた線香のことをすっかり忘れていた。

 それを手に持っていたままだったため、燃えて短くなった線香の火が手に触れてしまい、その熱さについ声を出しポロリと線香を落とした。


 しまった!


 ズリズリという大ツチノコが這う音のリズムが少し乱れた気がする。

 気付かれたか?

 いや、まだそのまま進んでいるから気付いていないか?

 口を手で押さえながら、地面に落ちてまだ煙を上げる線香に気付きそれを足で踏む。


 ジャリッ!


 線香が落ちた場所が石灯籠の周囲の地面を飾る、目の粗い砂の上だったため思ったより大きな音が出てしまった。

 これはさすがにまずい。

 あのでかいの気付かれたらどうしようもない。

 心臓がバクバクするのを感じなら、息が荒くならないよう心を落ち着かせる。

 早く、行け。行き過ぎろ。

 祈るように思った直後、ズルズルという音が止まった。


 石灯籠の裏で身を小さくし気配を殺す。

 今、道の方を確認すれば見つかってしまう可能性が高い。大ツチノコの動きは気になるが、気配だけで把握するしかない。

 抵抗する術のない俺は、大ツチノコの注意がこちらに向いていないことを祈るが、その双眸がこちらに向けられていることを強く感じる。


 妖怪の類いは神社に逃げ込めば、鳥居から先には入ってこない。

 確か地図を見た時に近くにも神社があったのは確認したが、この地に来たばかりの俺はまだこの周辺の道を正確に把握していなかった。

 アパートに到着した後でのんびりスマホで調べればいいなどと思っていたのが失敗だった。

 今すぐ調べようにもスマホを取りだして操作をすれば、その気配で確実に気付かれてしまうだろう。

 いや、神社の場所がわかったとしても、この状況から神社まで走って逃げ切れる気がしない。

 故に今の俺にはこのバケモノが通り過ぎることを祈るしかできない。


 俺は無力である。






 チカッ!!


 俺にとってはとてつもなく長い時間、実際にはほんの数秒が過ぎた頃。

 ただ気配を消し、敵わぬ相手が通り過ぎることを願っていると、不意に強烈な怒気にも近い気配が近付いて来ていることに気付いた。


 それはものすごい速さ。

 俺がその気配に気付いてから一瞬の出来事。


「おらああああああああっ! このクソ忙しい時に脱走して手間かけてんじゃねーぞ!!」


 ドゴオオオオオオオオオッ!!


 野太い怒声と共に、何かがぶつかるような鈍い音が響き、その直後に大きなものが地面を勢いよく擦るようなズシャーという音。

 そして、野太い声が続く。


「しかも拾い食いなんかしやがって、こっち側にはお前らの餌が少ないから腹が減って当たり前だろ! 人は食ってないみたいだから勘弁してやるが次はねーぞ! ほら、それも吐き出して、お前らの住み処に帰れ帰れ! お帰りはこちらからだ! カル、早く扉を開け!」


「お帰りはこちらって、アレックスさんじゃなくて僕が扉を開くんですかぁ!? 僕、この辺り一帯の空間を隔離してもうヘロヘロなんですけどぉ?」


 野太い男の声の後に聞こえて来たのは、少し高めで頼りない男の声。

 弾丸のように飛んで来た大きな気配が野太い声の主で、それに遅れてやってきたヒョロヒョロとした感じの気配の主がこの頼りない声だろう。


 突然現れたのはこの二つの気配。

 そして彼ら、いや先に現れた大きな気配によって大ツチノコは攻撃され、今はすっかり弱っている気配を感じる。

 大ツチノコが咥えていた女の霊も消えてはないのだろうか、うっすらとその気配が残っているがわかる。


 そして突如現れた二つの気配は何かよくわからないことを話している。

 扉? 空間を隔離?

 まるで前世の魔法を思い出す。


「あぁん? 俺は殴る方専門で魔法は苦手なんだ。アイツもよく言ってるだろ、誰だって得手不得手があるから、お互いの得意なことを活かして、他者の欠点を補い合えって」


 魔法!? 今、野太い声が魔法って言った!?


「もー、いつもそうやって上様の言葉をいいように解釈するぅ。それじゃ、扉を開きますからそいつをカクリヨに押し込んで下さいよ」


 ヒョロい声がした後、懐かしい感覚がブワッと周囲に広がった。


 魔力――前世では当たり前のように存在していて、当たり前のように誰もが持っていた力。

 それは今世では何故か存在していない魔法の源になる力。


 今世では存在しないと思っていたその力が、今目の前で広がり形を成そうとしているのを感じた。

 それをこの目で確認したい。

 だが、そこにいるのは危険な妖怪。そしてそれを簡単に制圧したと思われる人物が二人。

 危険な妖怪はもちろんのこと、そこにいる二人だって俺にとって害のない存在だとは限らない。


 見えざる存在を見ることができる者は少ない。そしてそれに対抗できる力を持つ者はもっと少ない。

 その存在を当然のように知り、その存在を圧倒的な力でねじ伏せた者達。

 俺を助けてくれる存在ならありがたい。

 だが俺の知っている範囲でその存在について知っているのは、駄菓子屋のおじさんだけだった。

 それほどまでに人々には見えず知られずの存在。

 それを知っていることが彼らに不都合、もしくは彼らの存在を知っていることが不都合なら、知ってしまった俺は安全だとは言えない。


 明らかに彼らは異質だ。

 そう、この世界には存在しない魔法の存在を知っており、それを使っている。


 俺の存在は知られない方がいい。

 俺はここで何も見ていないし、変な二人組なんか知らない。

 ここで起こったことは忘れよう。

 俺は何も知らずただただ平穏な生活を送るんだ。

 そういう答えに行き着き、気配を消すことに集中した。


「扉を開きましたよ。そのデカブツをカクリヨに押し込んだ後は、こちらの女性をあの世に送ってあげないと」

「ほらよっと、カクリヨに帰ったらもう脱走するんじゃねーぞ。次脱走したら三枚に下ろしてフライにしてタルタルソースをかけて食っちまうぞ」

 何か大きな穴が空いてそこに魔力が流れ込む感じが伝わってくる。

 そして野太い声でこの言葉。

 妖怪って食えるのか?

 いや、食えても食いたくないな。というか、妖怪を食うとかやばい奴らだな。

 やはりあの二人はやばい奴らのようなので、俺の存在は知られない方がよさそうだ。


「確かにぷっくりして美味しそうですねぇ。あー、いやいやそうじゃなくて、そのデカブツをカクリヨに追い返したら次はこっちの彼女をお願いしますよ。隔離結界を張って、カクリヨの扉も開けて僕もう魔力がすっからかんですよ」

 今、魔力って言った。

 先ほどから感じているのはやはり魔力。そしてこいつが使っているのは魔法ということだ。

「はー、仕方ねーな。おら、ねーちゃん、もう消えかかってんじゃねーか。このままこの地にくっついてたら消えちまって輪廻の輪に戻れなくなるからよ、素直にあの世に行きな。あの世に行けばいずれ生まれ変わり新しい生が始まる。さぁ、線香くらい焚いてやるから一緒に昇っていきな。アンタがここにいたこと、今日輪廻の輪に還ったことは俺達が見届けてやるから」


 少し乱暴な物言いの低い男の声。だがその言葉には優しさも籠もっている。

 その言葉の後にフワリとした線香の香りが漂ってきた。

 俺が使った線香よりずっと高そうな線香の香り。

 そういえば駄菓子やのおっちゃんが言っていたな……線香の効果は値段相応。

 くそぉ、高校生の小遣いだと高い線香は財布に大ダメージだったんだよ。大学生になったから時給のいいバイトをして、高い線香を買ってやる。


「さぁ、消える前に還るんだ」

 低い声と共に男の魔力が動いたのがわかった。

 ああ、これは前世の記憶にある魔法だ。

 初歩中の初歩の魔法。前世の俺もよく使っていた魔法。

 死してなお彷徨い続ける不浄の者を神の下に送る魔法――浄化と呼ばれる魔法。

 やはり、こいつら魔法が存在しないはずのこの世界で魔法を普通に使っている。


 こいつらは何者だ?


 今世の人間……いや、人間どころか俺の知っている生きものや自然の全てに魔力というものがない。

 それ故にこの世界には魔法は存在しないと思っていた。

 何故、魔力を持っていて魔法を使える?

 人間ではない?

 この世界には獣人やエルフやドワーフなどもいない。

 人の形をして言葉を喋り、人間と言葉による意思疎通ができるのは人間しかいない。


 そこにいる二人は人間か?


 親や学校は教えてくれないこと。

 恐怖を煽りつつおもしろおかしくその存在を認めながらも、実際に存在するかは疑われている者達。

 通常、人々の目には見えざる者達。

 事実上はその存在は否定されている者達。

 その見えざる者が本当に存在しているということを思うと、知られていないだけで人間以外の者が人間の中に混ざっていてもおかしくないかもしれないという答えに行き着く。


 俺がそんなことを考えている間に野太い声の男が使った浄化魔法が発動し、あの女の霊の気配が煙のように消えていくのを感じた。

「終わりましたかね。それじゃ、隔離結界を解除しますよ」

「うむ、この辺りにはもうアヤカシの気配はないな」


 ピーン。


 強く張られた細い糸を弾いたようた高い音が、耳鳴りのように耳の奥で響いた。

 この音は――。

 初めて聞くわけではないその音の正体が何かと考える前に、周囲に自然のざわめきと多くの生きものの気配が広がった。


 そしてそこで気付く。

 あの大ツチノコに気を取られ、周囲に全く人の気配がなく異常なまでに静かだったことに今の今まで気付かなかった。

 聞こえていたのは大ツチノコと血まみれの女、謎の二人組、そして俺の出した音だけだった。

 そこでヒョロヒョロとした声の男の言っていた"隔離結界"と先ほどのピーンという音の意味を理解した。


 奴らの使った高度な空間魔法の中に隔離されていたのか?

 前世の魔法の知識を引っ張り出しながら状況を理解する。

 ピーンという音はその魔法が展開され、そして解除された音。


 奴らは何者なのだ?

 明らかに普通の人間ではない。

 そんな奴らが、俺がこれから暮らすこの町にいるのか?


「これにて一件落着かな」

「もー、空間魔法は魔力消費が大きすぎてお腹ペコペコですよー。上様のところで何か食べさせてもらいましょ」

「そうだなー、どうせ客の来ない暇な店だしなー」

「またそんなこと言ってー。上様に聞かれたら怒られますよー」

 ザリザリとアスファルトを踏む音をさせて、二つの気配が遠ざかっていく。


 胸の中にザワザワとした気持ちを感じながら、二人組が去っていった方向を石灯籠の後から気配を消したまま確認する。

 すっかり日が暮れて暗くなった住宅街の道を照らす街灯。

 その明かりの下で目に入ったのは、くすんだ金髪の大男とミルクティーのような髪色をしたヒョロ男の後ろ姿だった。

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