第2話◆見える者、見えざる者

 俺こと隠樹おきみちるはどこにでもいる平々凡々な日本人だ。

 可も無く不可もない顔立ちに、日本人らしい黒髪、十八歳男子にありがちな普通の髪型、年相応だが垢抜けない服装、どこからどう見てもその辺にいる若者の俺だが、前世では女神様に選ばれた勇者だった。


 前世では同じく女神様に選ばれた仲間と共に人類の仇敵である魔王に戦いを挑み――。

 負けた。

 そして、死んだ。




 死んだはずなのだが、どうやら俺は別の世界に転生していたらしい。

 そのことに気付いた――前世のことを思い出したのは中一の時だったか。

 ちょっとした事故で頭をぶつけた拍子にポーンと思い出した。

 その時は突然入って来た謎の記憶に驚いて、そのまま意識が吹き飛んでいったけど。


 前世の悔しかったり悲しかったりする記憶が戻ってきたが、記憶にある勇者の力は使えなかった。

 今世の人間は前世の人間ほど身体能力が高くなく、魔法もスキルも使うことができず、それが前世が勇者である俺にも当てはまっただけなのだろう。


 記憶が戻ったばかりの頃は、魔法を使おうと思い、覚えていた呪文を試してみた。もちろん何も起こらなかった。

 前世で得意だった剣術ならばと、木の枝を振り回して学校の先生に怒られた。

 前世の感覚で高い所から飛び降りて、当たり前のように大けがをした。


 そんな感じで中学時代の俺は周囲から見れば少し浮いた存在だったため、中学時代を知っている友人には高校生になってからも"厨二病の勇者みちる"とかなり揶揄われた。

 自分は前世の記憶があるだけの、この世界の住人だということを受け入れることができたのはこの頃だった。

 受け入れることはできたが、だったら何故前世の記憶など思い出してしまったのかという理不尽な気持ちは今でも消えていない。


 その理不尽な気持ちを更に大きくしたのは、凡人に生まれ変わってしまった元勇者の俺の、ただ一点だけある今世の人間とは違う点。

 俺が今世の人間とは違う点――先ほどの女の霊のように、今世の人間達が見えないものが見えるのだ。


 それは俺が前世の記憶を取り戻す前からだった。

 俺以外の人間にそれらが見えないと理解したのは、小学校に通い始めてしばらくしてから。

 他人が見えないものが俺には見えると理解した時にはすでに手遅れで、小学生の頃は嘘つき呼ばわりされたり、気味悪がられたりすることになった。


 そのことに気付いて、見えることを隠そうとしたが、見えてしまうと驚いたり、見えたものから逃げようとしたりして、他人からは突然変な行動をする子供として思われ距離を置かれていた。

 俺が頭をぶつけて前世を思い出す切っ掛けになったのも、その他の奴らには見えないものに足を掴まれてこけたからだ。

 たまーに俺と同様に見える人間もいるが、そんな人なんて滅多にいない。


 小学校から高校までは地元の学校に通っていたため、幼少期と記憶が戻った直後の奇行の話は高校時代まで付き纏い、変人扱いをされて友達もあまりできないまま過ごすことになった。

 そのため大学は地元を離れ、これまでの俺を知る人のいない都会の大学に進むことにした。

 志望の大学に無事合格して大学の近くにアパートを借り、今日からそのアパートに入る予定でそこに向かっている道中にこれである。


 契約の時に一度行っただけだったため道を覚えていなかったので、スマホを見ながら目的のアパートを探していたら道に迷ってうろうろしているうちに日が暮れ時になったあげく、真新しい花の供えられた交差点で先ほどの血まみれの女とバッチリと目があってしまい、その女に追いかけられていたのだ。


 まぁ、そういうことはよくある。

 この世に未練があってふらふらとしている霊は、それに気付いた人に憑いてくる傾向がある。

 おかげで見える俺はよくこの手の霊に追いかけ回される。

 見ないように注意していても、うっかり目が合ってしまうこともある。

 そうなると逃げるしかない。変な霊に取り憑かれると色々面倒くさい。

 俺にできることなんて、せいぜい塩や線香を使った小細工だけだ。


 子供の頃に実家の近所の駄菓子やのおじさんが、俺が"見える"ことに気付き色々と教えてくれたおかげで、見えざる者達をやりすごす方法を多少は知っている。

 塩も線香も寺の聖域もその人に教えてもらったことだ。

 その人も俺と同様に見える側の人で、数少ない俺の理解者だった。

 今日から住む予定のアパートも、そのおじさんに紹介してもらった不動産屋で勧められたアパートだ。



 そんな俺にできる数少ない対処方法で血まみれの女を何とかやりすごすことができたので、さっさと目的地のアパートに到着したい。

 こんな所で線香を持って隠れている所を近所の人に見られて、不審者だと思われて通報されたら困る。

 せっかく知り合いのいない場所に引っ越してきたのだ、ここでは変人扱いされるようなことにはなりたくないし、不審者として警察のお世話にもなりたくない。

 この新しい場所で友達をたくさん作って、可愛い彼女も作って大学生活をエンジョイするために、絶対に変な人だと思われないようにしなければならないのだ。

 そんなことを考えなら周囲に人がいないことを確認して、石灯籠の陰から一歩踏み出した時。


 ゾワリ。


 背筋が凍るような寒気がして、踏み出した足を戻し再び石灯籠の後ろに身を隠し気配を消した。

 わかる。

 先ほどの血まみれの女とは比べものにならないほどやばい奴。

 それがすぐ近くにいる。


 前世での勇者としての力はないが、あの頃に身に着けた技術の中には今世でも使えるものがある。

 おかげで気配には非常に敏感である。

 目に見える生き物、目に見えぬ者、どちらの気配に対しても。

 それに加え気配を消すことも得意だ。

 これらの技術のおかげで、見えざる者と無駄に遭遇しない、遭遇してもやりすごす生活を送ってきた。

 先ほどはスマホに夢中でうっかり血まみれの女に遭遇してしまったけれど。


 石灯籠の後ろで息を殺し、気配を消す。そして様子を窺う。

 背筋の凍るような気配のする方向へと意識を集中する。

 それは俺がここまで走って来た道。血まみれの女が帰っていった道。


 ピーン。

 何か高く澄んだ音がしたと思った直後だった。


「ああああああああああああああああっ!!」


 血まみれの女が帰っていった方向から、高い悲鳴が聞こえてきた。

 人?

 いや、おそらく違う。


 ゴオッ!!


 声のした方からねっとりとした風が吹き抜け、吐き気にも近い嫌悪感が胸の辺りから込み上げてきた。

 そして風と同時に背筋の凍るような悪寒の原因、ねっとりとした風の発生源、血まみれの女とは比べものにならないやべー奴が、ズルリズルリと音と共に寺の前の道をこちらに近付いて来ているのを感じた。

 血まみれの女が帰っていった方向から。


 ズル……ズル……ッ!


 地面を擦る低い音が静かな住宅街に響く。

 俺は石灯籠の後で身を小さくして息を殺し、それが通り過ぎるのをひたすら待った。

 見ることはできても、それをどうすることもできない自身の無力さを噛みしめながら。


 ズルズルという音がだんだんと大きくなり、それがもうすぐ近くまで来ていることをいやでも理解させられる。

 そして音の大きさに比例するように背筋にくる寒気も強くなる。

 見ない方がいい、見る必要はないと思いつつも、石灯籠の影からその気配の主をチラリと確認してしまった。


 それは大蛇。

 人の大きさを優に超える太さと大きさ。

 いや、大蛇に見えたが少し違う。

 人など簡単に丸呑みできる程の大きな頭、胴体は横に太く広がり、蛇というにはやや太く短い体型。

 胴体から飛び出すように生えている尻尾部分だけはチョロリとして細い。


 ツチノコ――実在するともしないともいわれている生物の名前が思い浮かんだ。

 だが目の前を通過しているそれは一般的に定着しているツチノコのイメージより圧倒的に大きい。


 その大ツチノコの口には女が頭から咥えられ飲み込まれつつあり、まだ口の中に入っていない足がバタバタと動いている。

 だがその女が人間ではないことに俺は気付いている。

 おそらく先ほどの高い悲鳴の主はこの女だろう。

 つい先ほどまで俺を追って来ていた血まみれの女、それを頭から咥えた大ツチノコが、俺が隠れている石灯籠の前の道路を通過していっている。


 見えざる存在を飲み込もうとしているこの大ツチノコもまた見えざる方の存在である。

 前世では妖精、今世では妖怪と呼ばれている類の奴らだ。


 この世界には見えざる者がたくさんいるのに、それが見える人間はごく僅かである。

 そして見ることができても、それらに対処できる人間は更に少ない。


 見ることだけしかできない俺の新生活は、新しい住居に到着する前から見えざる者によるトラブルから始まった。

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