魔王荘へようこそ

えりまし圭多

魔王荘へようこそ

第1話◆プロローグ

「はぁはぁ……くそ、いきなりかよっ! ていうか、どの町にもやっぱいるんだ」


 日没が近付き薄暗くなった道を、息を切らしながら走る。

 夕方と夜の狭間の光が薄らと残る住宅街の道路には、俺以外の人間の姿は見えない。

 全力で走り続けると、簡単に息が上がってしまうこの体が恨めしい。

 そしてこの状況に抗うだけの力を持ち合わせていないのも悔しい。


 走りながら、抱えているスポーツバッグの中に手を入れ、小さな袋に小分けにした塩を取り出し、振り返りながら自分の後ろへとばら撒いた。

 その塩に俺を追って来ていた者が怯む。

 その隙に走る速度を上げ、前方に見えた寺へと駆け込もうとした。


「ぎえっ! 日が暮れたからもう閉まってる!」

 スマホで検索して見つけた近くの寺は、その門が閉ざされており中に入ることができない。

 そこで足止めをくらっている間にも俺を追ってきている女が、俺の撒いた塩を乗り越えてこちらに向かって来ている。


 その顔は血まみれで、左目の上から頭にかけて大きく抉れている。

 長い髪と体型そして服装からして、二十代から三十代の女だろうか。

 その身に着けている服はボロボロで、そこにもべっとりと血がこびりついており、腕も足もあらぬ方へと曲がっている。

 どう見ても生者ではない。

 そして、その女の体は下にいくほど透けている。


「くっそ、たかがゴーストすらどうにもできないなんて」


 ゴースト――前世では俺を追って来ている者のような存在をそう呼んでいた。

 今世、俺の暮らしている国では幽霊とか霊とかと呼ばれている。

 そして何故か、今世の人間達は霊が見えないらしい。


 寺の門の前に設置されている石灯籠の陰に身を隠し、こちらに向かってくる血まみれの女の霊を見据える。

 寺の門は閉まっているが、この位置ならこの寺の聖域の範囲内だろう。

 寺の聖域内にはどうやらその寺に縁のある霊しか入れないようで、その辺をうろうろしているような野良幽霊に狙われた時は寺に逃げ込めばだいたい諦めて帰ってくれる。

 うっかり悪い霊に取り憑かれたら、生命力を吸われるわ、運は悪くなるわ、他の悪い霊を呼ぶわでろくなことがないので勘弁願いたい。


「ほら、線香を焚いてやるから帰れ帰れ。何なら成仏してくれてもいいぞ。うむ、こんなとこうろうろしてるより、成仏して新しい人生を歩む方が絶対いいぞ。人は死しても生まれ変わる、新しい人生をエンジョイすることができるのは俺がよく知っているぞ」


 ――だって、俺自身が転生者だから。


 女は俺が石灯籠の陰に入ることに気付いているが、ここはやはり寺の聖域内のようで、近くをうろうろとしているだけで俺の方には寄って来ない。

 ここに隠れていれば女幽霊はそのうちどこかに行くだろうが、その前に近所の人に俺が見つかってしまうと完全な不審者として通報されてしまいそうだ。


 だって普通の人にはあの女の幽霊は見えないから。

 俺が一人で寺の石灯籠の陰に隠れているようにしか見えないから。

 薄暗い時間、人通りの少ない住宅街で石灯籠の陰に潜む若い男。

 どう見ても不審者である。

 こんなところでのんびりしていて、あらぬ疑いをかけられるのは回避したい。


 こういうことはこれまでもちょいちょいあったので、対策用のアイテムは必ず持ち歩いている。

 お手軽幽霊対策アイテム、線香をスポーツバッグの中から一本取り出し、それにライターで火を点けた。


 フワリとお高い線香の良い香りが周囲に広がり、こちらに近寄って来ていた血まみれの女の足が止まるのが見えた。

 夜の住宅街、街灯に照らされる道に線香の白い煙が上がっていく。

 血まみれの女のギョロリとした目が、夜空へと昇っていく煙を追う。

 女はその煙を呆けるように暫く見た後、俺の方を一瞥しくるりと向きを変え、元来た道を帰っていった。

 俺が彼女と目が合ってしまった、大通りの交差点の方へと。


「はーーーー、やっぱ線香だけじゃ成仏しねーか。無力だなー、誰も救えない……いや、自分の身すら守れない。生まれ変わっても俺は無力だな」




 隠樹おきみちる――それが俺の今世の名前。

 この世界の日本という国に生を受けて十八年。

 前世の記憶が戻ったのは中一の時。

 おかげで前世のことをうっかり口走って厨二病扱いをされた。


 前世はここではない世界で勇者と呼ばれていた者だ。


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