第15話 離れの住人

       ◆


 その日も私は午後まで一人で道場で過ごし、日も傾いてきたので片付けをして帰る支度をしていた。

 道場の掃除をして、表へ出る。出たところがそのままこの天刃党宿舎の前庭になる。

 と、そこに一人の男性が立っていて、私は足を止めた。男性は斜め上を見ていて、どうやら植木か、そうじゃなければ空を見ているようだ。

 私も天刃党の宿舎に出入りしてそれなりに時間が経ったので、主力の剣士たちも、訓練生も顔と名前を知っている。

 でも、そこにいる人は知らない顔だった。着ている着物は平凡だし、腰に刀剣を帯びているようでもない。

 それなのにこの場が場違いに見えないのは、がっしりした体格と、言葉では言い表せない風格のようなものがあるからだろう。

 私が足を止めてしまった、いや、足どころが動き全部を止めてしまった理由も、その威風堂々たる姿にあったと言える。

 動けない私に、男性はすぐに気づいたようだった。首を傾けるようにこちらを見て、少し微笑んだ。優しい表情に、私は思わず笑みを返していた。でも、誰だろう。

「こんな時間まで稽古ですか」

 私が疑問を口にする前に、男性はわずかにこちらに向き直り、そう声をかけてきた。

「ええ、はい、そうです」

 答えを探すけど、なかなか言葉が見つからなかった。そんな私に、男性は微笑みを変えない。

「稽古が好きなものは上達も早い。あまり熱心にすると怪我をするから、気をつけたほうがいいですよ」

「は、はい、気をつけます!」

「何事も加減が大事です。それは勝負でもですから、覚えておいてください」

 勝負で、加減?

 よくわからないでいると、男性は何かに大きく頷くと「気をつけて帰ってください、オウカくん」と言ったかと思うと、ゆっくりと背中を向けて離れていくが、どこへ行くかと思うと、離れの方へ行ってしまう。

 ピンと来たけれど、ちょっとだけ鳥肌が立った。

 稽古やそのあとの食事などで聞いたことがあった。

 離れには、筆頭剣士のアタリという人物がいる、と。アタリはつまり、天刃党の代表である。

 誰も否定的なことは言わないし、人格者だと見られているのはいろんな人たちの言葉の端々から感じられた。口の軽いものは、いずれアタリが皇都守護省長官になるべきだ、と言ったりするけど、それをたしなめる言葉にはどことなく同意の空気があったりもする。

 私が見ている前で、男性は離れに確かに入って行って、見えなくなった。

 あの人が、アタリ様か……。

 全身によくわからない痺れのようなものがあり、私はしばらく動けなかった。

「あれ? オウカちゃん、何してるの?」

 声にびくりと肩が震える。見ると、ふらふらと一人で門をくぐったスイセイがこちらへやってくる。

「あ、スイセイさん、その、今……」

「何? 幽霊でも見た? こんな時間に?」

 違いますよ、と笑えたことで、正体不明の緊張は解けていった。

「あの、きっとアタリ様だと思うんですが、声をかけていただいて」

「アタリさんが? きみに? へぇ、珍しいね」

 私の横まで来たスイセイが、大げさな動作で離れの方を見るが、もちろん、何も見えないだろう。スイセイは私に向き直り、ニコニコしている。

「アタリさんはどうもここのところ、塞ぎこんでいるという話だったけど、風にでも当たりたかったのかな。なんでも離れの奥で剣の稽古は続けているらしいけど」

「ええ、そういう噂は私も少し聞いていましたけど、お会いするのは初めてでした」

「風格があったでしょう。僕も今でも会うとちょっと緊張するよ」

 そうなんですか、と問い返すと、スイセイは嬉しそうに答える。

「まあね。同郷だから目をかけてくれているけど、アタリさんとリアイさんは僕と十歳は違うから、まぁ、アタリさんとリアイさんみたいな関係にはなれないね」

「目をかけてくれるっていいますけど、でも、スイセイさんは実力でここにいるってみんな、認めてますよ? それも誰も敵わない使い手だって。私は、見てませんけど」

 そんなの関係ないよ、とスイセイは肩をすくめてみせる。

「どんな使い手でも、死ぬときは死ぬでしょ。失敗すれば切られるし、傷が深ければ助からない。それに一人で五人や十人を相手にしたら、どんな達人でも死ぬんじゃないかな。それを言ったら、アタリさんやリアイさんも死ぬわけだけど」

 一転して物騒な話になってきたなぁ、と思っているのが表情に出たのか、スイセイは「この話は終わりにしようか」とうまく話題を切ってくれた。

「スイセイさん、一人みたいですけど、見回りじゃないんですか?」

「その話題も嫌だけど、正直に言うと最後をちょっとすっ飛ばしただけだよ。半分くらいは見て回った」

「前に話に上がっていた、ドワーフの過激派はまだ見つからないんでしょう?」

 頭が痛くなるよ、とまったく言葉の内容とは正反対の朗らかな表情のスイセイだ。

「ま、そのうち皇都警察が尻尾を掴むか、そうじゃなければ、向こうから動くでしょ」

「向こうから動くって、事件が起こってから対処する、ってことですか?」

「それが一番、簡単さ。これは秘密ね」

 そんな言葉を残して私の肩を叩いてからスイセイは母屋のほうへ行ってしまった。

 思わず視線を向け続けていると、スイセイがいきなり振り向いた。

「明後日、試験だよね! 頑張って!」

 そう、私がリアイに定められた期日は、まさに明後日だった。

 アタリのことより、ドワーフのことより、その方が重要なのは間違いない。極端だけど、天刃党のあり方や旧都の危機よりも、自分のことが大事だ。

 スイセイは手を振って母屋の中に消え、私は気を取り直して、荷物を持ち直すと足早に門へ向かう。

 泣いても笑っても、明後日だった。



(続く)

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