第5話 たった一言
◆
封筒を郵便公社の建物へ持っていくだけなのに、だいぶ道に迷ってしまった。
御前通りはわかりやすくても、そこから伸びるいくつもの幹線道路とそれに付属する間道は規則的であるが故に複雑だ。この町で暮らす人たちは道の連結を知悉しているので自在に動けるようだけど、私は後になってみると変に迂回していたことが判明する始末。
それでも郵便を送り、次の目的地に向かった。
旧都における行政の中心は行政省の建物になるけれど、建物はいくつかに分かれている。部署があまりにも多く一棟の建物に収まらないのだろう。
私が目指したのは、戸籍を管理する部署が大半を占める建物で、意外に混雑していた。
その中でも私は、個人証明を扱う窓口へ行き、持参した書類を示した。
「認識票が欲しいんですが」
窓口の男性はメガネの位置を調整しながら、私が渡した書類を無言で眺めた。すぐに確認が終わったのか、胡乱げな視線がこちらへ向けられる。
「住所は?」
そっけない言葉に、私はこれからしばらく滞在することになるウルハの部屋の住所を伝えた。まだ覚えていないので、紙片を見ながらだ。
そんな態度が窓口の係員の気に障ったわけでもないだろうが、少しだけ空気が変化した。
「この帯剣証明書に記入されている住所と違うようだけど、戸籍も旧都に移すつもりですか」
予想していない質問ではなかったけど、あまりに予想と雰囲気が違うので、戸惑ってしまった。もっと優しく、もしくは事務的に聞かれると思っていた。こんな詰問口調なのは予想外だ。
「えっと、その、仕事が見つかれば、戸籍は旧都へ移すつもりです」
「じゃあ、あなたは出稼ぎでこの都市へ来たってこと? しかも剣を使うような仕事で稼ぐつもり?」
「は、はい……」
無謀だね、と言いながら、男性係員はその言葉にまるでそぐわない笑みを見せると「椅子に腰掛けてお待ちください」と席を立った。私は呆気にとられながら、言われるがままに窓口のそばに並んでいる椅子の一つに腰を下ろす。
無謀、か。
故郷を出発した時の私ながら、もっと腹を立てたかもしれない。
無謀じゃないことを証明してやる、と心の中で反発心が湧いたかもしれない。
でも今は、たった一言の言葉が、どうしようもなく心に響いた。
ひび割れている心がバラバラに割れなかったのが不思議なくらいだ。
何気なく、左手が腰に下がっている剣に触れる。剣さえあれば、なんでもできるような気がしていた。しかし結局、剣があっても腕がなければ、私には何もできないのだ。
どれくらいを待ったか、名前を呼ばれたので窓口へ行くと、小さな金属製の板が差し出された。薄くて軽いその板には、私の名前と数列が刻印されている。角に穴が空いているのは紐か何かを通して身につけるためだ。
「認識票がある限り、旧都における帯剣は無条件に保障されます。認識票の再発行は可能ですが、それなりの罰則金が発生するので無くさないように。また、第三者があなたの認識票を所有した状態で犯罪に加担したことが発覚した場合は、あなたにも事情を伺うことになります。つまり、決して無くしたり、奪われたりしないように」
一方的に係員が言った言葉に、私はただ頷き、そして認識票を手渡された次には逃げ出すように窓口を離れていた。
建物の外へ出てちょっとだけ安心する。
でも手が握りしめている認識票のことを意識すると、その気持ちにも硬いものが混ざる。
私はこうして旧都で正式に剣を帯びる立場になった。逆に言えば、これからは切られても文句は言えないのだ。
憧れは現実になったのに、高揚はない。
ただ静かな緊張だけがあった。通りを行く大勢の人の喧騒の片隅で、私はただ、立ち尽くし、なかなか一歩を踏み出せなかった。
(続く)
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