第4話 初日

       ◆


 ようこそ、と私を迎えてくれた老婆は、どことなく私の祖母に似ていた。

「初めまして、ウルハさん。私はオウカです」

「顔を見ればわかるわ」老婆、ウルハの顔に穏やかな笑みが浮かぶ。「あなたのお祖母さんの若い頃にそっくりだもの」

 お互いに笑いあい、私は自然と室内に招き入れられた。

 私が旧都へ出るにあたって、祖母が紹介してくれたのがウルハだった。祖母の幼馴染で、今は旧都で一人きりで生活するウルハは、祖母の頼みを聞き入れて私を受け入れてくれた。

「あら、服が汚れているわね。どうかしたのかしら」

 荷物をおろしたばかりの私を見て、ウルハが首を傾げる。すっかり意識から外れていたけれど、地面を転がったりしたのだから、服が汚れて当然だ。

「ちょっと、いろいろとありまして」

「そうなの。転んだのかしら? あなたのお祖母さんもお転婆だったけれど、あなたもそういうこと?」

 思わず笑うしかないけれど、愛想笑いになってしまうのは避けられなかった。

 ウルハの視線が私の荷物にちらりと向けられ、間違いなく、その視線は私の剣を見ていた。彼女がこちらに向き直った時には、ちょっとだけ険のある視線に変わっていた。

「険を持っているとは聞いているけれど、危ないことはしないようにね、オウカ。この街は意外と物騒だから」

「ええ、はい、わかっています、ウルハさん」

 にこりと人のいい笑みに表情を変えると、「もう夕食よ。支度するわね」と台所の方へ離れていった。私は思わず窓の外を見た。

 旧都では珍しくない集合住宅の一室で、三階と高い位置にあるので見晴らしが良さそうなものだけど、見えるのは隣接する集合住宅の壁がほとんどで、その隙間からかすかに赤く色づいた空が見えた。

 台所から「奥の部屋があなたの部屋よ」とウルハの声がしたので、突き当たりにあるドアを開けてみた。中は広くも狭くもない部屋で、最低限の家具がある。寝台があるのはありがたい。旅の間、ずっと窮屈な姿勢で眠っていたのだ。

 荷物を運び終わり、台所へ行ってみると機能的で広いそこにはいい匂いが立ち込めている。トマトか何かを煮込んでいる匂いだ。ウルハはテキパキと右へ行ったり左へ行ったり、忙しそうだ。

「オウカ、故郷に手紙でも書いてあげなさいね。無事に着いたかどうか、気にしているでしょうからね。便箋は用意してある?」

「ええ、はい、ウルハさん、手紙はすぐに書くつもりです」

「料金はかなり高いけれど、郵便公社に依頼すれば確実よ。今夜のうちに書いて明日にでも投函すれば、そうね、半月もせずに届くでしょう。まったく便利になったわね」

 ええ、はい、などと曖昧な返事を繰り返しているうちに、ウルハは料理を皿に盛り、その皿を並べたお盆を全く自然に私に手渡した。

「居間に運んでちょうだい、オウカ。あなたの口に合えばいいのだけど。こんなに料理に張り切ったのは久しぶりだわ。食事が終わったら、一階に共用のお風呂があるから、そこへ行きなさいね。列車の移動の間はお風呂にも入れなかったんでしょう? 洗濯は私が明日、やってあげるわ」

 変にウルハが嬉しそうなのが気になる。一人暮らしの所に同居人ができたことが理由だろうか。それだけとも思えないけど、他に理由が思い浮かばない。

 結局、私は初日ということもあり、疲れてもいたのでウルハの言うがままにした。食事は美味しかったし、与えられた部屋は静かで落ち着けそうだった。お風呂も気に入った。他の住民と顔を合わせたけど、決して悪い人ではない。

 部屋に戻って、便箋は自前のものを使い、ペンはウルハの厚意を受ける形で借りて、素早く故郷に宛てた手紙を書いた。夜も更けてから、やっと封筒に封をして、この日のやるべきことは終わったようだった。

 部屋の明かりを消す前に、入った時から閉め切ったままにしていたカーテンを開いてみた。

 見えるのは、やっぱり隣の集合住宅の壁。

 でもその横に、旧都の市街がわずかに覗いていた。

 もう日付も変わろうかという時間なのに、街は明かりに包まれている。

 それが、ここが故郷とはまるで違うことを明示している。

 夜がない都市。

 こうしている時にも、眠ることなく、生きている人がいる。

 それは一体、どういう人たちだろう、と考えている自分がいる。

 まったくわからないのは、私がまだ異邦人だからだ。

 あの黒い羽織の男。東方の風貌の人物は、もうこの都の一員なんだろう。

 旧都。

 皇族がおわす、特別な都。

 それでいて、剣士たちが暗躍するとされる、静かな狂騒に包まれていると噂される都。

 初日でその一面とその現実に触れた、ということか。

 私もあの黒羽織の剣士のようになれるだろうか、と考えてしまうのは、なぜだろう。

 私はこの都に馴染みたいのか。

 それとも一流の剣士となりたいのか。

 両方、か。

 ベッドに入る前、クローゼットの横に立てかけてある剣を見た。

 今日は触る気にはなれない。

 でも明日には触れることができるだろう。

 そんな気がした。



(続く)

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