第2話 死の実感
◆
「待ちなさい!」
私が叫んで飛び出すと、二人の男性がこちらを見たどころか、自由を奪われている女性も、地面に這いつくばっている男性も、信じられないものを見たような目をこちらに向けた。
私はまだ鞘に収まっている剣を左手に、しかし右手を柄においていつでも抜ける姿勢をとると、声を張り上げた。ちょっと、というか、かなり裏返ったけど。
「そのような乱暴なことはおやめなさい!」
剣を抜いている二人の男性が視線を交わし、女性の首に腕を回している方がこちらに背中を向けた。それを追いたいが、もう一人が私の前に進み出てくる。
「どこの娘か知らんが、自分が何をしているか、理解しているか?」
男の落ち着き払った声を聞いた瞬間、私は背筋が冷えた。
先ほどまでの乱暴な様子と、その声はまるで違っていた。
相手は酒に酔っているわけでも、暴力に酔っているわけでもないと、はっきり理解できた。
全く冷静に、全く正気のまま、他人を傷つける人種なのだ。
何より、剣を構え直した男に隙はなく、私は打ち込むどころか、剣を抜く間さえなさそうだった。
しまった、と思った。
思ったけど、遅い。遅すぎた。
こうしている間にも女性は男に連れ去られていく。見守っている人々が道を作り、止めようとしない。
それに構っていられないのは、今にも私が斬り殺されそうだからというのが恨めしい。
せめて、剣さえ抜ければ。
視線を男から外さずに、視野に入るものを確認する。
咄嗟の判断だった。
熟考する余地はなかった。
足元の土を蹴り上げて、男に飛ばす。
うまく、男の顔に飛んだ。飛んだが、目潰しにはならなかった。男の剣が払われ、砂は防がれている。
それだけの間で、私は剣を抜くことができた。
できたけれど、男は間合いを詰めている。
速い!
剣を抜いたままで横へ逃れる私の、伸ばした髪の毛の先が男の剣に切り払われ、風に舞う。
地面に転がり、間合いを取ろうとするけど、その時には男はもう私を剣の間合いに取り込んでいた。
斬撃が頭に落ちてくる。
しくじった。
いきなり失敗して、これで終わりだ。
死を覚悟するべき場面のはずだけど、私は死というものを理解できなかった。
死とはこんなに簡単なことなのか。
ゆっくりゆっくりと落ちてくる刃に自分が映っていることさえ、見て取れた。
死ぬって、痛いのかな。苦しいのかな。
いっそ、一瞬で死なせて欲しい。
じわじわと諦めが私を侵食する間に、もう目と鼻の先に男の剣があり。
もう終わりだった。
目の前で激しい火花が爆ぜるまで、終わりは確定していた。
低いうめき声の後、男がパッと距離を取った。
時間の流れはそれと同時に本来の速度に戻っている。
「何をしていやがる、小娘が」
その低い声の持ち主は、私の横に立ち、立ち上がれない私を見下ろしていた。
簡素な着物を着ているが、真っ黒い羽織を羽織っている。
見物している誰かが、テンジントウだ、と言ったのがよく聞こえた。
私を殺そうといた男は、油断なく剣を構えているが、攻めてこようとはしない。
私を助けた男は、悠然と立っている。片手には抜き身の剣がある。片刃の剣で、わずかに反っている。皇国東部でそのような剣があると聞いたことがある。刀というはずだ。
そう思えば、確かにそこにいる男性は東方の人間の顔立ちをしている。
「その黒い羽織、天刃党か」
そう問いかけられた私の命の恩人は、鼻で笑ってから堂々と答えた。
「確かに天刃党だが、まさかそれだけのことで臆したのか? 娘には剣を向けられるのが、俺には向けられんか?」
バカを言うな、と相手は狼狽えたようだった。私には理解できないけれど、黒羽織の人物は有名人らしい。
「天刃党に手出しするほどバカじゃねぇ」
「だったら、最初からバカな真似をするな。さもねえと」
パッと、羽織が翻ったのが視界を遮る。
次に、甲高い音がいつの間にか周囲を包んでいた沈黙を破った。
そして軽い音を立てて、地面に折れた剣が転がっていった。
そしてまた沈黙。
私を切るはずだった男は、今は、黒い羽織の男に切っ先を突きつけられ、生殺与奪の権を握られていた。
顔面蒼白の男がよろめいた時には、人垣が割れ、やはり黒い羽織の男が数人現れていた。
その男たちに囲まれて、逃げたばかりの男が連れ去った女性とともに連れてこられていた。
どうにもおかしな空気になったが、私にはやっぱり理解できなかった。
ただ、二人の乱暴を働いた男は、拘束されたようだった。
私が何もできないうちに。
あるいは、私が何もしないでも。
(続く)
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