【BL】あなたはどっち派?

 扉を開けると、そこには異世界が広がっていた。

 赤、青、緑、金に銀。ありとあらゆる色のドレスと、それに対を成す靴が所狭しと並べられている。一見すると写真館の衣装部屋のようだが、その一つ一つが持ち主の体型に合わせたオーダーメイドの品であった。


 師も走るほど忙しい、言わずもがなの年末に、本当なら真帆と陽夏この母子に関わっている暇などないはずの高槻創平だったが、何故か弁当を持って野宮家を訪れていた。

 彼らが大掃除をしていることは一目瞭然。創平はこの家の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間にそれを察知した。野宮家の生活スペースが荒れ放題であることは、一年数か月の付き合いで容易に想像できたが、同じく一年数か月の付き合いで『この母子おやこに関わるとろくなことがない』ことも理解していたので、余計な詮索はせず弁当だけ渡したらすぐに帰ろうと心に決めて玄関の前に立った。

 そもそも調律師をピアノ以外の用件で呼び出すことが間違っている。弁当調達だって、大城香奈子の依頼でなければ引き受けることはなかった。


「創平っっっ‼︎」


 インターフォンを鳴らすと、その音の余韻もなくならないうちに陽夏が顔を出した。まるで餌待ちの犬のように……或いは主人の帰りを心待ちにしていた留守番犬のように、キラッキラッの茶色い瞳と満面の笑顔でこちらへやって来る。

 弁当を受け取った陽夏は、そのままピアノ室へと向かおうとしてふと足を止めた。


「三個だけ?」


「三人だろ? 他にも誰かいるのか?」


「創平の分は?」


「家で食べてきた」


「ええーっ! 創平も一緒に食べるんじゃないの?」


「香奈子さんから電話があった時にちょうど食べてたんだよ」


 午後から掃除をしようと思って。

 というわけで……


「じゃ、俺はこれで……」


「高槻くーん! 精算するから、中に入って待ってて。今手が離せないの!」


 引き留めようとする陽夏の背後から、香奈子の声がした。

 弁当三つで二千円もかかっていない。領収書は袋の中に入れているので、陽夏に渡してくれれば、後日受け取ることはできるのだが……。

 それを説明しようにも、玄関から香奈子の姿は全く見えなかった。


「……わかりましたー」


 頷く創平を確認した陽夏は嬉々としてピアノ室へと入っていく。廊下に置いてあるドレスを踏まないよう注意しながら、創平も勝手知ったるピアノ室へと向かった。


 高槻創平は、市内の楽器店で働く調律師だ。昨年四月にこの家を訪れ、その後いくつかの事件を経て陽夏を担当することになった。

 この家のピアノはドイツ製で、日本ではあまり見かけないメーカーのものだった。使われている部品も自社製品であるため、調律にはすこぶる気を使うが、その音色は独特の温かみがあって筆舌しがたいほどに美しい。

 陽夏のピアノはもともとのポテンシャルに加え、創平の師である近藤隆志がメンテナンスしてきたこともあって、小型でありながらフルコンサートピアノにも引けを取らないほどよく鳴る。創平が担当する顧客の中でも、これほどのピアノを所有している人間はそうそういない。

 そして、この素晴らしいピアノの持ち主である野宮陽夏は、天才ヴァイオリニストとして一世を風靡した青柳真帆の一粒種にして、ドイツ生まれドイツ育ちの帰国子女である。諸々の事情により現在日本で生活をしているが、ドイツ時代、真帆の恩師であるレナ・ルプレヒトに孫同然に育てられたこともあって、高校一年生にしてピアノの腕はプロ級ときているから、これ以上の取り合わせはないだろう。

 ここは、世界レベルの人間がわんさか集まるような場所で、住んでいる人間も桁違いの超人ばかりだ。

 創平だって理解はしている。

 理解はしているのだが…………。


「おい、これどういうことだよ?」


 ピアノ室に一歩入るなり、ドスの効いた声が出てしまった。

 今日はオフということもあって、無造作に下ろされた前髪の向こうから、怒気を孕んだ眼光が覗く。

 本来ならクライアントにこんな態度を取ったりはしない創平だが、この親子に関しては別である。


 創平が陽夏を担当することになった理由は、偏に調律の腕を見込まれてのことだが、元来の面倒見の良さとお人よし精神が災いしたことも大きな要因の一つであった。

 陽夏の中学卒業を機に表舞台へ復帰した真帆は、一度家を空けると数か月戻って来ないなんてこともザラで、その間、放置された陽夏の面倒を見ているのが創平だった。週に二回、家庭教師と夕食の提供。それこそ調律師の本分を逸脱しているのだが、この習慣だけは創平が陽夏のピアノを担当する前から続いていたこともあって、廃止できなかった。

 調律以外でも創平は幾度となくこの家を訪れている。家庭教師と食事の提供だけではなく、時にはピアノ部屋や台所の掃除をすることもある——のだが。


「え?」


 陽夏がきょとんとした顔で、弁当を窓際のローテーブルの上に置いた。


「え、じゃないだろ。どこから出て来たんだよ、この荷物」


 この家で唯一片付いているはずのピアノ部屋が、足の踏み場もないほどに荒れている。この散らかり様は、ドレスが広げられていた廊下の比ではない。何も知らない人間が来たら、引っ越し準備か泥棒に押し入られた後かと勘違いするほどだ。


「だって、荷物置くとこなかったから……」


 一時避難、と陽夏はどこ吹く風でソファーの上にあった荷物をまた床の上に落とした。


 おい、今すぐやめろ。

 その、考えなしに荷物を脇に退ける行為。


 喉元までせりあがってきた言葉を飲み込んだ創平だったが、その我慢も数秒と持たなかった。


「ああっ‼︎ 誰がこんなことしたんだよ……!」


 あろうことかピアノの上に段ボール箱が乗せられていた。

 調律師である創平にとってピアノは何よりも大切な商売道具である。こんなものを乗せられてピアノに傷が付いてしまったら目も当てられない。


「それ俺じゃないよ。母さんかな……」


「気付いているなら、退けろ。お前のピアノだろ」


 ソファーの荷物よりも先に、こっちを気にしろ。

 イライラをぶつける様に段ボール箱を床に下ろし、創平は部屋の中をゆっくりと見渡す。陽夏のピアノも然ることながら、この家にはもう一つ、それこそ桁違いの楽器が存在する。

 背後を振り返るとキャビネットの上にヴァイオリンケースが鎮座していた。その周辺は荷物どころか塵一つないほど綺麗に片づけられている。まるで結界を張られた聖域に佇む神のようだ。ヴァイオリンが安全な場所にあることに安心し、創平が視線を戻すと、陽夏が先ほどの箱の中身を確認していた。


「うわー……懐かしい」


 爪の隅々まで手入れが行き届いた美しい指が箱の中から数枚の写真を取り出した。ハラリとその手に広げられた写真に、剣呑としていた創平の表情も綻ぶ。

  ピアノ椅子にちょこんと座る陽夏と、その隣で話をしている女性が写っていた。ピアノはスタインウェイのグランドピアノだ。陽夏のものではない。そして写っている陽夏は女性より頭二つ背が低く、横幅も半分程度で、今よりパーマっ気が強かった。無垢な視線の先には笑顔のダークブロンドの女性がいる。随分前の写真らしい。陽夏の姿から察するに、十年ぐらい前のものだと思われた。着ている服も周囲の家具も一目でそこが外国だと分かるものであったが、少年の面立ちや表情は現在の陽夏そのままだ。

 創平は陽夏の隣に腰を下ろして写真を覗き込んだ。


「お前、子供の頃から変わらないな」


 ピアノ以外にも色々な写真がある。季節も場所も様々であったが、そのうちの数枚にはピアノの写真と同じ、年配の女性が写っていた。


「レナだ……」


 黄色のカーディガンを着たその女性を見て陽夏が目を細めた。

 創平は陽夏の口からレナ・ルプレヒトの話は何度も聞いていたが、実際に彼女と陽夏の交流を見るのは初めてだった。

 ピアノに全身全霊を捧げ、自分の音楽道を貫いて生涯を終えたレナ・ルプレヒトは、世間的には気難しいピアニストというイメージが定着している。晩年は、ドイツの音楽大学で教鞭をとり、後進たちの指導も行っていたらしいが、音楽は自由な物でなければならないという強い信念から、個人的に誰かと師弟関係を結ぶことはないまま一生を終えた。

 彼女の音楽は、彼女の死と共に永遠に失われてしまった……というのが、世間一般に知られているレナ・ルプレヒトの生涯だが、ここにいるのだ。この世でたった一人、彼女の音楽の全てを受け継いだ人間が。

 家族以外で真帆と陽夏ほどレナのプライベートに深く関わった人間はいないだろう。

 創平は陽夏の口からレナの話を聞いているので、世間一般に浸透している「気難しい女性」とはかなり異なる女性像をレナに対して持っていた。


「これ、ベルリン動物園だ」


 笑いながら陽夏が一枚の写真を取り出す。

 動物園の写真だった。パンダの放飼場の前で陽夏より少し大きい子供たちと一緒に写っている。


「……ドイツにもパンダいるんだな」


「いるいる。日本みたいにワーワー騒がれているわけじゃないけど」


「隣にいるのは?」


「レナの甥っ子と姪っ子。皆で一緒に遊びに行ったんだよ」

 

 陽夏が写真をめくると、今度はネコのぬいぐるみを抱いた仏頂面の写真があった。

 恨みがましい視線をカメラに向け不機嫌さを隠そうともしない少年の姿に創平は思わず吹き出した。今の陽夏そのものだ。一体何歳ぐらいの時の写真だろう。


「あはは。本当、成長してないな。真帆さんと喧嘩してる時と全く同じ顔してる」


「えぇー……」


 見れば見るほど面白い。写真を撮っている人物もきっとケラケラ笑いながらシャッターのボタンを押したに違いない。


「これ、騙されたんだよ。皆に」


 創平が声を出して笑ったせいか、陽夏もつられるようにクスクス笑いながら反論してきた。


「クリスマスに、猫買ってあげるって言うから、喜んでついて行ったらぬいぐるみ渡されて……」


「ははは。でも、さすがに猫は厳しいだろ。可愛いのはわかるけど」


 楽器を守るという観点から野宮家で動物飼育は難しいし、そもそも誰が面倒を見るのだという問題が発生する。


「そうなんだけどさ……。創平はペット飼ったことある?」


「実家にいた時? ないない。兄夫婦が猫飼ってるけど、俺には全く懐いてない」


「兄弟いるんだ?」


「兄と姉が一人ずつ。兄は結婚して子供もいる」


「ふぅーん」


 創平は頷く陽夏の手元に視線を落とす。写真の中にあるのはツンと澄ました黒猫のぬいぐるみだが、兄夫婦が飼っているのはアメリカンショートヘアの雌猫だ。兄夫婦が暮らすマンションには数回しか訪問したことがないせいか、創平を見ると猫は一目散に逃げてしまう。やわらかい毛並みを撫でようにも、警戒されまくって未だに創平は目的を完遂することができずにいた。


「創平もペット飼ってみたい?」


「まぁ、ウチにもピアノあるし、賃貸じゃそもそも無理だよ」


「じゃぁさ、もし飼えるとしたらどっちがいい? 犬? 猫?」


「それは……」


 現実的に考えるなら猫だろう。

 創平は咄嗟にそう思った。楽器問題を除外すると、どちらもホワホワしていて癒されそうな存在ではあるが、犬は散歩という日課が待っている。終始手がかかる犬と違って、猫は基本放置で、気ままにやって来た時だけ構ってやればいい。犬派、猫派で言えば圧倒的に猫派なのだが——もし、犬がいたらどうだろう。

 創平は頭の中で犬がいる生活をシミュレーションしてみた。

 帰宅した時、餌を準備した時、一緒に散歩に行って遊ぶ時……いついかなる時でもご主人様好き好きオーラを発揮して、ワンワンキャンキャン纏わりつかれるのだろう。こちらが挫けていようが、落ち込んでいようがそんなことはお構いなしに、尻尾をブンブン振りながら近づいてきて、自分を構えと訴えてくる。それでも無視しようものなら、途端にシュンとして自分に何か非があったのではないかと悩んで、どうしたのか、何かあったのかと心配しながら主人の様子を伺ってくるのかもしれない。


 考えただけで疲れそうだ。

 しかし、それほどまでに自分のことを想ってくれる存在がいるというだけで、心が温かくなる。どんなことがあっても前に進もうという勇気が湧いてきそうだ。


「……前は猫がいいと思っていたけど、最近は犬もいいかなって……」


 第一印象とは全く異なる見解が口を突いて出てしまった。

 何故そんなことになったのか、創平自身不思議だった。それほどまでに疲れているのか、年齢を重ねたせいで昔とは違う感性が生まれたのか……或いは……。


 創平は隣を見て——

 陽夏と目が合って、「あ」と思った。


 アーモンド形の優しい茶色の瞳が微笑みながらこちらを見ている。じっと、創平の心の内を観察するように。

 

 おい、絶対に変なことするなよ。


 創平が警告する前に、陽夏の顔が近づいてきて、目を閉じる間もなく唇が重ねられた。


「陽夏っっ!」


 創平は一瞬で真っ赤になり、目の前のフワフワ頭を叩こうとした。

 陽夏は創平の攻撃を回避するようにひらりと身を翻し、持っていた写真を床の上に放る。


「母さんたち呼んでくるね」


 ニンマリと笑って、器用に段ボールを避けつつ最短ルートで出口に向かった陽夏が手を振った。


 油断も隙もあったものじゃない……!


 一瞬の気の緩みに漬け込まれた創平は、恥ずかしいやら悔しいやら、ドキドキしているやらでどうやって気持ちを鎮めたら良いのかもいまいちよく分からなかった。


「こんなところに置くな、っつーの!」

 

 ドギマギしてしまう自分を叱咤するように、陽夏が放った写真を段ボールの中に戻して蓋を閉じる。

 陽夏が自分に想いを寄せていることは創平にとっても既知の事実だ。

 未成年との恋愛など論外とは言え、自身の存在が陽夏のモチベーションに直結していることもあって、創平は現状維持を貫いている。陽夏がソリストとして一人前に成長するか、一時の気の迷いだと、今の気持ちが収まるまでの辛抱だと割り切りながら接しているのだが、最近、どうにも陽夏に主導権を握られつつあるのではないかという気がしてならない。

 先ほどのように一瞬の隙にキスをされることもあるし、時々陽夏の言動や視線にドキっとすることがある。

 これ以上ややこしいことにならないうちに、主従関係をはっきりとさせておく必要がある。それこそ、犬の躾のように。


「犬…………?」


 自分の思考を反芻した創平は、何か深い負のループに嵌りつつあることをやっと自覚した。

 猫派の自分が何故犬を可愛いと思ったのか。

 自由気ままな猫の方が飼育が楽だと知りながら、自分を慕い、想ってくれる存在に心が揺らいでしまったのか。

 全ては——


「全部、この荷物が悪いんだ!」


 創平は雑念を振り払うように立ち上がって、部屋の中の惨状を見渡した。陽夏のもの、真帆のものありとあらゆるものがそこら中に散らかっている、こんな状況だからこそ自分の心の中もフワフワ浮き足だってろくでもないことを考えてしまうのだ。

 片づけてやる。こんなもの、全部、ぜぇぇぇーんぶ、あるべき場所に、然るべき方法で完璧に片づけてやるっっっ!


***


「ねー、ご飯食べよう」


 陽夏の声に、台所の勝手口の外でレンジフードを洗っていた真帆と香奈子は顔を上げた。

 朝より明らかにテンションが高くなった陽夏の声に、香奈子は自分の作戦が成功したことを悟った。

 青柳真帆に初めて出会った時から、かれこれ二十年。陽夏に至っては生まれた時からの付き合いというだけあって、香奈子は二人の特性を誰よりも熟知していた。

 明後日には再びヨーロッパへと飛び立つ真帆の貴重な休日を使って、今年は何としてでもこの家の大掃除をさせる必要があった。業者に一任する方法も考えはしたのだが、億単位の楽器を保管しているこの家に他人が入ることを真帆が嫌がることは目に見えていたし、香奈子自身もそれは最終手段と思っていた。

 しかし、家事能力皆無の二人に掃除をさせるのは、至難の業だ。

 そこで、香奈子は一計を案じ、事務所にあった高圧洗浄機を持参した。新しいもの好きな真帆のことだから、これを見ればきっと使いたがるに違いない。大掃除の中で一、二を争うほど大変なレンジフードの掃除は真帆に任せてしまおうと、これ見よがしに高圧洗浄機を取り出したら、まんまとその作戦に嵌ってくれた。

 次の問題は陽夏だ。

 陽夏は食事で釣るのが一番だが、その瞬間だけテンションが上がって片づけはおざなりにしかねない。

 香奈子は真帆の部屋を片付けながら何かいい方法はないかと考え、高槻創平を召喚することにした。

 レナ・ルプレヒト亡き今、陽夏が素直に言いつけを守るのは、真帆が第三のバアバと絶賛する調律師だた一人だった。最初に紹介された時は、彼が童顔ということもあって本当に大丈夫か? と懐疑的だった香奈子も、陽夏の前任調律師であった近藤隆志が太鼓判を押す技量を目の当たりにしてその考えを改めた。

 それだけではなく、彼は二十代半ばという若さからか、他の大人たちより陽夏との親和性も抜群な上に、家事そして家庭教師もこなすという想定外の実力を発揮してくれたのだ。その才はピアノの全てを陽夏に叩き込んでくれたレナに勝るとも劣らない。今や高槻創平は野宮家にはなくてはならない存在である。

 香奈子は本気モードで創平に「こちらの業界に来ないか」と口説いたことがあるのだが、創平にはあっさりっとフラれ、更には調律界の重鎮である近藤から「高槻君は絶対に渡さない」と宣言されてしまった。


 本当に惜しい人材だ。

 高槻創平が居れば、一人で五人分ぐらいの仕事をこなしてくれそうなのに。


 とはいえ、近藤からも釘を刺されてしまった以上、創平のことは諦めるより他ない。だから、せめて最大限利用させてもらうことにした。

 昼食の調達を創平にお願いした。創平が来るとなれば否応なしに陽夏のテンションも上がるはずだ。しかし、賢い創平のことである。この騒動に巻き込まれてたまるかと、警戒していることだろう。

 香奈子はそこまで読んで、ある仕掛けを施していた。


「香奈子さん! あの部屋何なんですか?」


 陽夏の背後から、ブリブリ怒りながら創平が顔を出した。


「しょうがないじゃない。荷物を置く場所がなかったのよ」


 高圧洗浄機の電源を切った真帆が香奈子の代わりに答える。


「だからって、ピアノの上に荷物置かないでくださいよ! 午後からあの部屋片づけますからね! 片付かないものがあったら容赦なくゴミ箱に叩き込みますから」


「え!? 創平も手伝ってくれるの!?」

 

 キッチンでお茶の準備を始めた創平に抱き付かんばかりの勢いで陽夏が振り返る。香奈子はジーンズのその尻にブンブン振れて千切れそうな尻尾を見たような気がした。

 本当に、飼い主と飼い主大好きな犬を見ているようである。


「こんな調子でダラダラやってたら、日が暮れる。ってか、どれだけ荷物しまい込んでんだよ、この家」


「本当、不思議だよね。あの写真どこにあったんだろ? あれって母さんの?」


「写真? そんなものあったかしら?」


「すっごい昔の。レナも写ってたよ」


「えー、見たい見たい」


 真帆はホースを放って、キッチンの勝手口で靴を脱ぐ。


「ちょっと、掃除の途中で昔の写真とか、完全に結局片付きませんでしたフラグじゃないですか! きちんと片付けしてくださいよ!」


 創平は仏頂面で注意するが、もちろん、そんな忠告に耳を傾ける二人ではない。


 ごめんね、高槻君。

 でも、一人じゃ無理なのよ。この親子は。

 こちらも考えに考えて、極々軽い段ボールを選んだのだ。もちろん、接地面はきれいに拭きあげてピアノに傷が付かないように細心の注意は払っている。


 弁当代はもちろんのこと、日当代わりの夕飯代はこちらで持つから、よろしく頼む。


 香奈子はそうと気付かれないように、ニンマリほくそ笑みながら、心の中で創平に手を合わせるのであった。


(完)

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