私が本当にやりたいこと④

 女の人は歌っていた。

 とてもきれいな歌声。どこの世界の、どこの国の歌なのか知らないけど、とてもフシギなメロディ。民族調ってやつだろうか。僕は、胸がドキドキするのを感じた。

 

 そういえば、魔女さんが言ってた。


『彼女らは歌が上手だからね』


 マーメイドは歌が上手。そして、僕をさそう女の人も、歌が上手。

 もしかして……


「あなたは、マーメイド?」


 僕はたずねる。

 女の人はイタズラっぽくほほえんだ。


「正解」


 そして、僕を池の中に引きずり込んだ。


 すでに、池は池じゃなくなってた。

 僕の足が底につかない。池じゃなくて湖だ。

 僕は、息を吸わずに引きずり込まれたものだから、しょっぱい水を飲み込んでしまって、せき込みたいのにせき込めない。息ができない!


「ここは地底湖。海の満ち干きに合わせて、湖が消えたり現れたりするの」


 女の人は無邪気に笑っている。

 その時、僕は気付いた。女の人の足が、魚のようなヒレに変わっていることに。

 本当にこの人はマーメイドだったんだ。


 でも、今更気付いたところでおそい。僕は、マーメイドにおぼれさせられる。

 しょっぱくって、苦しい。誰か。助けて。


『全く。だから気をつけろと言ったじゃないか』


 急に、頭の中に声が聞こえた。


『私が言う通りに呪文を唱えて。そして、海の生き物を想像するんだ。いいね』


 魔女さんの声だ。魔女さんは、僕を見守ってくれているんだ。

 僕は、ニワトコの杖を取り出す。僕は魔法使いだ。だからこんなイタズラ、へっちゃらだ!


 想像する。お母さんとお父さんと一緒に行った水族館。そこで見た、とてもかしこくて、かわいくて、ちょっぴり怖い大きな動物。


紺碧こんぺきの海よ、光りかがや泡沫うたかたよ」


「コンペキの海よ、光りかがやくウタカタよ」


 僕の口から泡があふれる。泡は弾けて、光の粒を辺りに散りばめる。


「わだつみの暴君ぼうくんとなり、具現ぐげんせよ」


「わだつみの暴君ぼうくんとなり、具現ぐげんせよ!」


 杖の先っぽが光りかがやいた。その光は水の中に巨大な姿を作り出す。おなかと背中にヒレがついた、パンダもようのそれは、人魚に向かって歯を見せながら吠えた。

 全身がすき通った青色だったけど、間違いない。あれはシャチだ!


「ひっ……!」


 マーメイドは、ぶるりとふるえた。


「さあ、くらいな」


 魔女さんの言葉と同時に、シャチがマーメイドを飲み込んだ。マーメイドはぎゅっと目を閉じて、体を丸めておびえた。

 けど、マーメイドを飲み込んだシャチは、あっという間に姿を消した。マーメイドは食べられた感覚がなかったらしい。きょとんとした顔で僕を見る。


 僕はというと、息を止めているのも限界で、両足をバタバタさせながら水面に向かっていった。水面から顔を出して、ぜえぜえ呼吸する。


「上出来じゃないか」


 僕の頭の上には、箒にまたがって浮いている魔女さんがいた。僕はびっくりして魔女さんにたずねる。


「来てくれたんですか!」


「くひゅひゅ。ゆめわたりのとびらをのぞいていたら、君がおぼれ始めたから、からかってやろうと思ってさ。君は泳ぎが下手なのかい?」


 僕はカチンときて、魔女さんにつかみかかろうと手を伸ばす。だけど魔女さんは、箒を上手く乗りこなして、僕の手をかわしてみせた。


「ひどいじゃないの!」


 僕は、声が聞こえた方へ顔を向ける。

 マーメイドが、ぼろぼろ涙を流しながら僕を責めていた。


「ちょっとからかっただけじゃない。なのに、あんなにおどろかせるなんて、ひどいわ!」


 全く、ひどいのはどっちだよ。


「僕はおぼれかけたんだよ。君のイタズラのせいで」


「魔法使いなら、息つぎの魔法くらい使えるでしょ」


 マーメイドは言う。

 僕は魔女さんを見上げた。そんな魔法があるだなんて、教えてもらってない。

 魔女さんは相変わらず、袖で口をかくして引き笑いをしてる。


「まぁまぁ。私が具現ぐげんの術を教えたのは、わけあってのことだよ。ほら」


 魔女さんがマーメイドを指さす。

 マーメイドは泣いている。さっきのシャチが、かなり怖かったみたいだ。


「マーメイド、君はうちの弟子を溺死できしさせようとした。わびの品くらい、くれるんだろうね?」


 マーメイドはほっぺたをふくらませている。

 魔女さんが見返りに求めているのは、マーメイドの涙。僕がシャチを呼び出すように仕向けたのは、マーメイドを泣かせるためでもあったんだ。


「魔女さん、それはひどいと思います」


 だから、僕はそう言った。魔女さんは目を細める。


「なぜ?」


「怖がらせて泣かせるなんて、さっきのイタズラとおんなじです。あと、それ、僕の世界では恐喝きょうかつっていうんですよ」


 僕は、昔お父さんから教えてもらったむずかしい言葉を思い出して、そう言った。


「おや、私より弟子の方がよほど分別ぶんべつついてるじゃないか」


 魔女さんはうれしそうにほほえんだ。

 やっぱり魔女さんは食えない人ってやつだ。どこからどこまでが本心なのか、全くわからない。


 僕は両手で水をかいて、マーメイドまで近付いた。マーメイドはびくりと肩をふるわせる。

 きっと責められると思ったんだろうけど、僕はそんなつもり全くなかった。


「さっきはごめんなさい。怖かったでしょ」


 僕はマーメイドを気にかける言葉を言った。

 マーメイドはきょとんとして、次に顔を真っ赤にした。ほっぺたをふくらませて、水の中に顔を半分沈める。

 何か気にさわることを言っちゃった?


「気づかいなんて、けっこうよ!」


 マーメイドはそう言って、湖の中へと真っ直ぐにもぐって行ってしまった。

 僕は、なんでマーメイドが怒ったかわからなくて、あと、マーメイドの涙を手に入れられなくて、おろおろと湖の中をのぞき込む。

 そんな僕のおでこに、かたいものが飛んできてぶつかった。


「いったい!」


 僕は片手でおでこをおさえて、片手でぶつかったものを拾う。

 コルクで栓をした、ガラスの小ビンだった。中には、水より青くてすき通った、キラキラした液体が入ってる。


「空、お手柄だよ。それこそマーメイドの涙だ」


 魔女さんに言われて、僕はびっくりした。

 これがマーメイドの涙……もしかして、さっきのマーメイドが投げてよこしたんだろうか。


「さっきのマーメイド、何であんな顔してたんだろ」


 僕はつぶやく。

 すると、魔女さんはめずらしく声をあげて大笑いした。


「あっはははっ! それはね、空が思った以上に大人だったから、マーメイドは、はずかしくなっちゃったのさ」


 僕が大人だって? まだ小学五年生なのに?

 びっくりしすぎて何も言えない僕。魔女さんは、僕の思ったことを見すかして、こう言った。


「大人であることに、年齢ねんれいなんて関係ない。他人のイタズラを許したり、他人を気づかったりする心の余裕。それが大人であるための条件なのさ」


 僕にはよくわからない。でも、魔女さんがそう言うならそうなんだろう。


「マーメイドの涙も手に入ったし、そろそろ帰ろうか」


「はい。へ、へくしっ」


 水の冷たさに、僕はたまらずくしゃみする。

 魔女さんはそれを笑って、湖から僕を引き上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る