第2話

 モーセ(仮)は動物で例えるなら間違いなく犬だと思う。

 それもゴールデンレトリバー。

 豊かで柔らかそうな髪と、優しげなタレ目。


 でも彼の様子を見ていると、おじいちゃんの家にいるヒースがダブって見える。

 ヒースはシベリアンハスキーである。ハスキー犬と言えば、なによりもまず迫力ある見た目が思い浮かぶれど、実はとんでもなく好奇心旺盛で、褒めてもらいたがりで、とにかくすごく人懐っこい。興奮している時の目のきらめきは、例えようがないほど魅力的。

 つまりモーセ(仮)は、ヒースと同じきらめき120%増の目で、私たちに「正解!」と褒めてもらえるのを今かいまかと待っているのだ。ぶんぶんと振り回される尻尾が見える……気がする。


 どうしようおじいちゃん、ヒースには強く出られないよ……。さっきまでの勢いはもうしおしおである。


 助けを求めたおじいちゃんの代わりに、救いの声は男子くんからもたらされた。


「あのー、どっちも聖女じゃないです。オレ達の話、ちゃんと聞いてますか?」


「だが、あなた達は召喚に応じたのだろう?我らが請願は聖女来臨。この場に現れたあなた達が聖女でないのなら、聖女はどこに行ったのかな」

「そもそも応じてないです」

「しかし召喚は成功している。ならば、聖女はどこだろうか?」

「ここに居なければないですね」

「居ないのか……」

「そうですね」


 100均で在庫を尋ねられた時の店員か?ひょっとすると男子くんのバ先、100均かもしれない。


 ドライな店員と、褒められるどころか在庫切れを宣告された大型犬の様子をファンタジー民と一緒に見守っていると、バタバタとたくさんの靴音が聞こえてきた。

 なんと剣を携えた甲冑達がこっちに向かって来ている。待って待って怖い怖い!すごい速さで近づいてくる!

 100均の店員の顔をしていた男子くんも顔色を変えて、今度は私を背に庇う。これは聖女じゃないなら誰やねん捕まえろ!パターンなのでは?!


「ウソでしょどう見ても不審者しばき隊じゃん!無理無理無理、あんなのにしばかれたら死ぬって!」

「いや、でも、聖女ですー!って嘘ついてもしばかれるだろ!」

「無理ーー!!」


 ついにしばき隊はモーセ(仮)を守るように、四方八方から私達に剣を向けた。かよわい未成年になんて物を突きつけるのだ。誰か大人の人呼んでください!


「恐れながら申し上げます、殿下。いますぐにお下がりください」

「なぜだい」

「御身の安全が第一です。召喚されたモノがなんであれ、討伐いたします」


 甲冑の言葉に私も男子くんも震え上がる。やっぱりしばき隊でした。


「正直に否定して死ぬか、聖女だって嘘ついて命をとるか……究極の選択すぎる……」

「しかも嘘がバレても死ぬ……」

「ほんと無理ゲー……」


 平凡に生きてきた私に、まさかこんな選択を迫られる日が来るとは思ってもみなかった。正直、義務教育で教えてほしかった。それならこんなデッドオアデスみたいな局面も、なんとかなったかもしれないのに。知らんけど。


 命の危機に、すごく下らないことを考えているなあって自分でもわかる。横で遠い目をしている男子くんも、きっと似たようなことを考えてるに違いない。だってさっきほとんど同じやりとりをしたもんね。

 そんな限界の私達に、高いところから朗々とした声が降ってきた。


「自覚のない聖女もおりますよ。まずは調べてはいかがでしょう」

「聖女よ、なぜここに!」

「「聖女ぉ?!」」


 思わず男子くんとハモってしまった。いやいるんかい聖女!

 声は大きな劇場にあるバルコニー席のようなところから降ってきたようだ。目を凝らすと、柔らかく微笑むおばあさんが私達に手を振っている。


「ディカ殿下、ここはわたくしにお任せくださいな」

「聖女よ……いや、だめだ!!」


 空気がビリビリするほどの大音声。おばあさんにそんなでかい声出したらだめでしょ!

 ……待って、おばあさんいまモーセ(仮)のこと殿下って言った?


「ねえ、いまの聞いた?!殿下って言ってたよ」

「さっきあの鎧着たやつも言ってたね」

「えっ、ほんと?聞いてなかった」

「限界すぎるでしょ」


 男子くんが呆れたようにちょっと笑って、そしてスン……となってしまった。やっぱり私達いろいろ限界なんだわ。


「殿下って、王子とかそういう立場の人の呼び方だよな……」

「うそ」

「確か……多分……」


 違った、限界だったのは私だけだった。男子くんはちゃんと聞いてたし、そのうえで驚いてた。

 私が自分のポンコツ具合にげんなりしている間、モーセ(仮)は甲冑の囲みを抜けたようだ。バルコニーの下からおばあさんを見上げている。


「あなたがいますべき仕事は、その身を安らがせ、身体を癒すことです。誰が聖女をここに連れ出した!」


 おばあさん、身体を壊して療養してたってことかな。殿下の言葉には、怒りとも焦りともつかない響きがあった。


「それはわたくしです。ディカ様」

「アダン!お前か……」


 おばあさんの後ろから、新たな人影。

 黒い髪のその人は、甲冑は着ていない。どういう立場の人だろう。殿下と呼ばれたモーセ(仮)に臆する様子がない。

 それどころか、ものすごく険しい顔をしている。犬で言うと鼻の付け根に皺を寄せて、いまにも歯をむき出しにして吠えかかりそうな感じ。


「魔術院からの報告には、此度の召喚に殿下が臨席なさるとは一文字たりとも書かれておりません。それがなぜ、貴方様のような立場の御方が、この場で供の一人も連れず、喚び出した正体の知れぬモノと……」

「あーっ!ああーっ!うん、すまなかった!心配させた。私が悪かった!アダン、すまなかったね!」

「まずは安全の確保と危険の排除として手勢を先行、召喚の成否を判ずるために今代の聖女を迎え……」

「ああ!余計な手間をかけさせてしまって本当にすまなかった!うん、私はご覧の通り無事だ!ね!」

「ええ、ええ、殿下の仰る通りです。貴方様に傷の一つもついたならば、この場に居る者みな縛り首でございましょう。怪我などあってはならないことでしょうとも。それをお分かりでなぜ……」

「アダン!アダーーン!すまなかった!」


 アダンさん激おこじゃん。

 そんでもって殿下、相当やらかしてきてるやつだこれ。


 淡々とよどみなく、大いに恨みのこもった苦言……というより、ここぞとばかりに文句をぶつけるアダンさんと、けちょんけちょんに言われても言い返せないモーセ(仮)。

 なんだこれ、って顔して男子くんを見たら、男子くんも(なんだこれ)って顔をしていた。おばあさんは(ごめんなさいねえ)とでも言うように、眉を下げて苦笑いを浮かべている。


「アダン様、そのくらいにしてあげてくださいな。殿下がすっかりしおしおになっていますよ」

「……っ、失礼いたしました」

「殿下、おわかりですね。次からは決して、アダン様をのけものにしてはなりませんよ」

「のけっ……?!」

「ああ、ああ!もちろんだとも!」


 びっしょり汗をかいたモーセ(仮)がよれよれの笑顔で胸をなでおろす。

 さっきまでの緊迫感が一気に消えて、いまやちょっとしたコントを見ているような気分だ。甲冑の人達もファンタジー民も、どこか生温かい感じになっている。

 絶妙なフォローで場を収めたおばあさんは、晴れやかな笑顔で手を打ち鳴らす。


「それじゃ、その二人が聖女かどうか確認しましょうね」

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