第十三話、秋虫の鳴く頃二
薄めの鈍色に染め上げた衣を着て、部屋で寝る。
女房達の中でも、姫に仕えていた者たちは一段と濃い鈍色の唐衣や小圭を着て、喪中であることを示している。
内裏にも出ず、一条宮にも行かなかった。
弔問(いもん)に、弟がやってきた。
ちょうど、半月が過ぎて、九月の上旬になっていた。
「…兄上。この度のこと、本当にお悔やみ申し上げます。もっと、早くこちらへ参りたかったのですが。何分、胸中のお気持ちを考えますと、少し、間を置いた方がよいかとも思いましたので」
内に入った後、沈痛な面もちで述べてくる。
あまり、派手にはせず、ごく薄い青鈍色の下襲を身にまとい、上に標を重ねている。
「妹の久子(ながこ)の入内の準備で忙しいだろうに。すまない、手伝うこともせずに。もしかしたら、ばちが当たったのかもしれない。家の事もかえりみずに、女人のことで夢中になって。浮かれ遊んでいたから、御仏がわからせようとなさったのかもしれない」
「それはないと思います。葛姫はもともと、気性の激しい方だったのかもしれません。だから、自ら、命を絶つなどという行いをなさったのでしょう。見かけはいくら、大人しやかに見えても、芯の激しい女人はいるものです。けれど、兄上が止めようとなさったのに、残念です」
袖で目元を拭いながら、弟はあくまで、冷静に分析する。
ある程度、私も文で友成にだけは知らせておいたので、状況を把握しているようだ。
「…おまえの言うことも一理ある。だが、あれは葛姫ではなかった。私に斬りかかってきたからな。相当、恨まれていたのだろうか」
「そうやもしれません。女房の話によれば、兄上の衣も破れたり、腕にも斬られた傷があったそうですね。その後、大丈夫なのでしょうか」
「ああ、左腕の傷は、もう治った。薬師も呼ばず、放っておいたがね」
それだけ、答えた。 友成はひどく、疑いのこもった目で考え込んだ。
「…そうでしたか。葛姫には、ここ、一、二年前から、変な噂があったらしいのです。姫は物狂いだとか、後はあれは狐が化けているとも。そのような話が出やすいというのも、何でも、あの方はお生まれになった説時、もう一人、妹君もおられたとか。いわゆる、世間でよくいう、双子のことだと思うのですが。たぶん、亡くなられた方は双子の妹君でしょう。姉君は内の大臣の養女になられたとも聞いたのですが」
それをきいて、私は八重姫の言葉を思い出した。
『わたくしは、葛姫の妹です。姉上は六条のお邸にいます』と。
頭が混乱してきて、気づけば、口を開いていた。
「…一体、どういう事なのだろう。姉君はどこに行ったのだろうな」
「詳しい事は、私にもわかりません。ですが、五条にいられて、兄上と会われていたのは姉君であったと、申す者がおります。また、西三条院に移られる時に、姫を慕っていた男が急いで、自身で引き取ろう、盗みだそうとしたそうで。それを警戒して、葛姫を内の大臣のお邸に、妹君を兄上のもとに送り込ませたのだ、とある家人の男から、あの隼人が聞き出したのです。後の事は、相模という女房が事情を知っていると 、その男は言っていました。一度、問いただしてみてはいかがでしょうか」
友成はいつになく、真剣な調子で説明した。
だから、これだけの事を知っていたのか。
はっきりいって、少し、目の覚めるような気さえした。
「そうだな。あの相模であれば、何かそういったことに絡んでいそうだ。調べてみる価値はある。やってみるとしようか」
弟はゆったりと笑みを浮かべて、一礼をした。
そのまま、立ち上がると、部屋を去っていった。
大人になったのだな、と柄にもなく思う。
また、雨が降り出している。
色づきかけた葉がしおれているのを見て、秋が来たのを実感した。
盛りの時も、もうすぐだろう。
友成が帰って行った後、相模に来るよう伝えた。
小半刻ほどして、相模は来た。
気まずそうな顔をしている。
「…今から、簡単に説明をする。唐突だが、聞いてくれ」
そういうと、顔色が悪くなった。
けれど、このままではどうしようもない。
友成は不可解な事をいって、そのまま、帰ってしまうし。
亡くなった妹君は本当は生きているのでは、という気さえする。
一通りの事を話すと、ただ、かしこまって、黙ったきりだ。 こちらも促すような事をしないから、時間がものすごく長く感じられる。
半刻もしなかったが、相模が口を開いたのは、夕刻も近い頃になってからだった。
「中将様にこのことは、知られたくなかったのですけど。とうとう、突き止められてしまいましたわね。お話致しますけれど、内密になさってくださいませ。それが条件です」
「わかった。では、聞かせてくれ」
挑戦的なまなざしを私に向けたまま、話し始めた。
「葛姫様が内の大臣の邸にいられるのは本当です。そもそものきっかけとなったのは、姫君がお母上、満子様のお腹から、お生まれになった時です。一刻ほどして、またもうお一人、女の御子が生まれてこられた事でした。けれど、当世では一時に二人や三人の子ができる、というのは忌まれることです。父君の中納言様はそのお話を聞かれて、五十日(いか)の祝いを終えられた後、首も座らぬ赤子の妹君をどうしようか、と処遇について、お悩みになった、と伝え聞いております」
相模に私は、尋ね返した。
「その後、どうなったのだ?」
「妹君を乳母であった、わたくしの母に託したのです。お父上様はご自身ね子として、認めてくださらなかった。そこで、 満子様はごく密かに、母の子として育てるように、お頼みになりました。民部の乳母と呼ばれていましたけど。母は姫君を実家に預け、自身はそのまま、仕えようといたしました。中納言様はそんな不吉な子に関わり、お産の時にも立ち会った者などに用はない、早々にこの邸から出るがいい、とおっしゃったのです。仕方がなく、わたくしを姉君の側仕えとして残らせ、母は一人で戻りました。わたくしが十四の年の出来事です」
沈痛な面もちで、口をつぐんだ。
「…葛姫に、双子の妹君がおられたのはわかった。だが、今回の事にどう、関わってくるのだ?」
「妹君を身代わりにさせた件ですね。権少将は、葛様の邸に乗り込んできて、自分の言うことを聞こうとせず、拒絶を繰り返すのだったら、太刀を抜いて、あなたを斬ると脅してきたのです。双子であるという事を世間に言いふらすぞとも。わたくしは、母に相談致しました」
泣きそうになりながらも、話を続ける。 「乳母は、どう言ったのだ?」
「文で急ぎ知らせました。すると、母はこう返事をしてきたのです。『葛様の身代わりを立てるのだ』と。訳がわからずにいましたら、弟が翌日、参りました。そして、権少将の目をごまかすために、双子の妹君に姉君の代役を頼むのだと」
私は驚きのあまり、声が出なかった。
「…妹君は母の実家、わたくしの実家でもありますけど。そちらで、受領の娘としてお育ちになりました。八重姫とお呼びしていましたけど。その八重姫様に、姉君をお守りする為にも、協力してほしいと頼んでみた、と弟は申しておりました」私はそれで、辻褄が合うと思った。
「…相模。八重姫は、『姉上をあなたにも渡さない』と言っていた。権少将にも、と」
呟けば、相模は泣き出した。
「八重様がそのような事を。わたくしも、反対はしました。けれど、八重様は承諾なさったと弟は言ってきて…」
衣を血で濡らしながら、懇願してきた八重姫が私の脳裏に蘇る。
何故、乳母は妹君を替え玉にしようとしたのだろうか。
民部の乳母にも、話を聞く必要があるかもしれない、とそう思ったのであった。相模の話は、母君である満子殿にまで及んだ。
「内大臣様の北の方は、亡き小野宮様の二の姫で、満子様のご同腹の妹君でいらっしゃいます。満子様は姫君方がお生まれになって、七年後にはかなくなられましたけど。姉君である葛様とは、北の方様と親戚としてのおつきあいがありました」
その後、まとめて言ってみると、こうであった。
叔母君こと北の方は、姉姫だけでも、引き取らせてくれとしきりに言っていた。 それを逆手に取って、八重姫を西三条に行かせて、葛姫は内大臣のもとへと行かせたらしい。
「…だが。何故、私まで騙して、こんな手の込んだ事をしようと思ったのだ。権少将がそんなに恐ろしかったのか?」
「その事については、本当に申し訳なく思っています。何でも、昔、葛姫様の父君である堀河の中納言様が権少将の父君、右大将殿とは政敵として、対立していたそうです。女の身ながら、伝え聞いたことによりますと、ある時、右大将様は謀反を企んでいるとの密告がありまして。そのせいで、当時の今上様のお怒りを買い、流罪にさせられたそうです」
相模の話により、権少将が葛姫達を恨んでいるらしいことはわかったのであった。
「…では、密告をしたのは、父君である中納言殿であるということか。そして、右大将の子である権少将は、父君の仇として、中納言殿を憎んでいたということになるのだな?」
相模はこくりと小さく、肯いた。
「権少将はそう思っているらしいです。ただ、証拠がありません。姫様方には、罪がありませんのに。弟や母は、八重姫を尼寺に連れて行って、出家させようと考えていたようですが」
おかわいそうな姫様方、といって、泣き崩れた。
私は、八重姫が身代わりになろうとしたのは、権少将を欺くためではないかと考えた。
私の前で、自害をしてみせたのはあくまで演技で、彼女は生きているのではとも思えてしまう。
「八重姫が身代わりになってまでして、姉君を逃がしたのはもっと、他に理由があるのではないか。少将を欺く以外で」
「…世間に、双子として生まれてきた事を広めるぞとまで、言われていましたから。八重姫はそれを一番、気にされていました。葛様だけでも、幸せになってほしい、自分はどうなってもかまわないからといつも、おっしゃっていました」
「八重姫は、生きているのではないか。死んだように見せかけて、私がそう、思いこむようにし向けていたのではないかと思うのだが」
そういうと、相模は顔色をさらに悪くさせた。
「…つき合っていた男や母達とで、八重姫が自害する振りをして、それを噂にさせようと相談して、決めていました。そこまですれば、権少将もあきらめるだろうと。中将様と恋仲であるということを聞いて、少将は我を忘れて、嫉妬していましたから。だから、中将様は騙すことをあえてやり、あの男の目を欺こうとしたのです」
ふるえながら、言った相模に、私は軽く肯いてみせた。
「そなたらがやろうとした事は許される事ではないが。だが、内大臣の邸に葛姫を送り込んでいた事によって、彼女は助かったのだからな。内大臣殿には、私から話しておこう」
そう言うと、相模は深ヶと手をついて、頭を下げた。
翌朝、相模から聞いた話の内容がずっと、頭の中をぐるぐると回っていて、あまり、眠れなかった。八重姫は生きているかもしれない。
だが、確かな証拠がない。
西三条院から出ようにも、ここに居を定めている以上は無理なのだ。
今度は無性に一条宮に帰りたくなった。
季節はもう既に、九月の下旬。
これから、秋が盛りとなる時期である。こちらでも、植えてある楓や他の木々が紅葉し、見事に色づいている。
八重姫が亡くなってから、もう、一月が経っていた。
けれど、後、二月は待たなければいけない。
部屋の隅に控えていた少納言に、目を向けた。
とても、悲しみに打ち沈んでいる様子でもなく、あまり感情はみせず、淡々とした表情をしている。 「もう、すっかり、庭の木々も秋めいてきて、風情がある。そなたもこちらへ来てみなさい。よく、見えるだろうから」
声をかけると、少納言は黙ったまま、こちらへやってきた。 「どうだ。綺麗なものだろう?」
「まことに左様でございますけれど、少し前までは、こんな景色も目に入らぬ有様でしたので。風情があると、おっしゃいましても、わかりかねます」
つれない調子で言ってきたのであった。
「冷たいものだな。もう少し、言いようがあるだろうに」
「…それでも、〈われは秋山ぞ〉という長歌の一節があります。本当に、この歌そのものでございますね。都の中でも、名所でこのように、見事に色づいているところは多いでしょう」
少納言がそう言って、口を閉ざすと、さっと、風が立った。同じように盛りと咲いていた藤袴や女郎花が揺れる。
これを一緒に見ているはずの人はそばにいない。
私はどうも、本気の恋というものには、縁がないようである。
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