第十一話、夏の宵三
それを見て、何故か、ひどく驚いてしまった。
「本気ですか。女人の方から、このように誘われたのは、初めてだ…」
姫は少しだけ、目元に笑みを浮かべた。渡殿を通って、寝殿へと帰ってきた。
ふと、思いついて、文を送ることにした。
自ら、用意をして、白い紙にこう、書き付けた。
〈父宮にお願いしたき事があります。今内大臣様に、打診していただきたいのです。私が西三条院にお引き取りしている方の事で。猶子としてでも、迎えてほしいと。そのことをお頼みするために、文を書きました〉
細く、折り畳んで、結び文にした。
そして、隼人を呼んだ。
「これを一条宮に。父上にお渡しするのだ」
「弟君に、ではなくですか?」
「そうだ。頼むぞ」
言うが早いか、隼人はすぐに門へと向かっていった。
文を持って。
翌朝、まだ、夜が明けきらぬ内に起き出した。
傍らの姫は隣の寝具で、ぐっすりと寝入っている。
昨夜、同室でやすんだはいいものの、どうもまんじりとせず、手は出さずじまいだった。
まあ、姫を内大臣殿が引き取ってくださるまでは、このままの清い関係でいよう。
直衣を肩に引っかけて、烏帽子を被りながら、居室から、庇の間へと出る。
「まあ、中将様。姫様はまだ、お寝みですか?」
上総が尋ねてきた。 「よく、やすまれているよ。このまま、寝殿へと戻る」
「姫様とその。いえ、何でもありません」
言いよどみながらも、そろそろと案内をする。
二日待っても。三日経っても、返事は来ない。
父宮は相当、怒っていられるようである。
それに、このことは内大臣殿の意向を聞いてから、進めた方がいい。
隼人を呼びつけて、聞いてみても、「お返事は考えさせてほしい、とのことです」としか、答えない。
葛姫は毎日を、最初はためらいがちに、部屋の飾り付けなどはなさらず、割と質素な暮らしをしていた。
今となっては、季節に応じた襲の色目などを着るし、家政を取り仕切ったりして、のびやかに過ごしている。
八月の中旬になっていて、初秋といってもいい頃なのだが。 それでも、暑い日が続いている。
姫に話しかけたら、忙しそうにしていた。
「少し、手間を取られているので、後にしてください。それでは」
一言、返しただけで、部屋を出て行ってしまった。
すっかり、所帯じみてきたなあと、しみじみとなってしまった。
女房たちも、ろくに相手をしてくれないため、暇を持て余す時もしばしばだ。
庭には涼しげな蓮がまだ、小さいけれど、植えられている。 卯の柳も青々とした葉を垂らしながら、風に揺られている。 香子姫は大して美人ではなかったが、山桜の白い花にたとえることができるだろうか。
朝方のだいぶん、高く昇った日に照らされて、霞のように咲いているように、遠くから見れば、美しいものだ。
近くで見ると、そうでもないが。
白は清らかさでもあり、無、つまり、何者にも染まっていない事を示す色でもある。
桜の命は短いが、けれども、翌年にはまた、花を咲かす。
葛姫は夏場に真っ盛りに咲く梔子の花だろうか。
花自体は目立たないが、その分、とても強い香りを放つ。
見かけはすごい美人ではなくとも、たしなみや教養は確かなものがある。
そこに惹かれた、といったらいいのだろうか。
のろけ話のようになってしまったが、そう思えてしまった。
お返事が来たのは、それから、四日経った後だった。
それによると、こう書いてあった。
〈友成と二人で、内大臣には頼んでおこう。だが、七日もの間、実家に帰らぬとはどういうことか。すぐにでも、帰ってきなさい。三人でこのことについては、話し合わねばなるまい。姫君にも、よく、話しておくのだ。それと、久子の入内の準備もあるから、覚悟しておくように〉
とあり、私は手が震えた。
隼人の話によると、父宮が返事をなかなか、くださらなかった理由はこうだった。
「兵部卿様は大変怒っていらして、とてもの事に、お文を渡しても、読んでくださるどころではなかったそうです。そのせいで、こんなに遅れてしまいまして」
とのことらしかったのだ。
けれど、どうも、女房の代筆らしい。
見れば、確かに女手のようである。
文を片づけた後、一条へ行く準備をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます