ニエ(5)
「あなたのせいよ!!」
少女の部屋を訪れたメイド長は、ひどく取り乱していた。
「あなたのせいよ……!何なのよ、いい加減にしてよ!!」
メイド長は腕を大きく振り上げ、少女の頬を平手で張り飛ばした。
「アニーが、私が、何をしたっていうのよ!どうしてこんな目に合わなきゃいけないのよ……!」
「アニーが……?」
それは聞き捨てにできない言葉だった。少女は床に手をついたまま、答えを知ろうとメイド長の顔を見上げた。
「……アニーがどこにいるのか知りたかったら、着いてくるといいわ」
メイド長は引きつった笑みを浮かべて、踵を返して歩き始めた。
「もうずっと限界だったのよ」
メイド長は歩きながら、ぽつりと言葉を落とした。
「誰にも心を許さないと決めていたわ。この屋敷がおかしいことくらい、ずっとわかってた」
それは、少女に聞かせるための言葉ではなかった。ただ胸の内を絞り出すように漏らされた悲痛な独語だった。
「……アニーはかわいかったわ」
メイド長の声は、少し温かな温度を帯びた。
「素直で、人懐こくて、慕われると無下にできなかった……」
それは、追い詰められ疲れ切った女が抱いてしまった情だった。その声は、諦めを含んで重く沈んだ。
「気付いたら心を許していたわ。もう、限界だったのよ。人がいなくなるのを見なかったことにするのも、それにひとりで耐えることにも」
メイド長の独語は、ぽつりぽつりと長い廊下に落とされ続けた。
「薄々わかっていたわ。どの場所が怪しいのかくらい、見当がついてた」
いつしかふたりは地下への階段の前に立っていた。メイド長の足は、そのまま階段に進んでいった。
「貴族の屋敷の地下室なんて、どこも後ろ暗いものなのかしらね。でも近寄るつもりなんてなかったわ。知るつもりもなかった」
かつんかつんと冷たい音を反響させながら、メイド長は階段を降りていく。少女もメイド長が話すのを聞きながら、黙って後ろをついていった。
ふたりは、階段を降りきった底に着いた。目の前には、びったりと閉じられた重そうな扉が塞がっていた。メイド長は、その扉に手をかけた。
「でもアニーがいなくなったのよ、もう見ないふりなんて、限界だったのよ……!」
メイド長は両手を握りしめ、叩きつけるように、その扉を、開いてしまった。
「ねえ、知っていた?アニーは近くの村の出身なの。家族のために仕送りしていたのよ。いい子だったわ。優しかった。手にあかぎれをこしらえて、それでもにこにこと笑って懸命に働いてた。それで、それで、あの子の手の甲にはふたつ並んだ黒子があった」
なぜか、メイド長はアニーのことを過去形で話した。
扉を開いた先はどん詰まりの部屋で、部屋の中央には何か床に書かれた陣の上に、どこにも繋がっていないはずの両開きの扉がぽつんと立っていた。
少女が両腕を広げたより少し幅広い、背の高いその扉は、骨と肉と臓物でできていた。
人間を雑に解体して、捏ねて貼り合わせてできていた。扉は肋骨でできていた。脚や腕や腹から引き千切ぎられた肉が詰め込まれてできていた。装飾ははらわたでできていた。扉枠は、幾人もの手が組み合わされ繋ぎ合わされ圧着されてできていた。
その手のうちの一本に、ふたつ並んだ黒子があった。
「ねえ、どうしてあんなところにあの子の手があるのよ……!!」
女は、
「『贄』だというならあなたがああなりなさいよ!!」
女の叫びは堰を切ったように止まらなかった。
「ろくでもないことが起こってることくらいわかっていたわ!!でもあんなものだとは思ってなかった!ねえ今まで消えた人たちはどこへ行ったの、どうなったのよ!!あなたが早く贄になって、早く、早く終わらせてよ……!!」
女にはもう何もかもが耐えられなかった。少女をあそこに突っ込んで、なんでもいいから何かを終わらせたかった。女は少女の腕を掴み、陣の中に叩き込もうとした。
「ああ、これはいけない。君はもっと利口だと思っていたのに」
後ろから、静かに響く男の声がした。
「ア」
女は突然崩れ落ちた。掴まれた腕が引かれ、少女も共に床に倒れ込んだ。
「まあ、そろそろ限界ではあったかもしれないな。使い勝手がよくて便利だったが、仕方のないことだ」
男は無造作に女の足を掴んで引きずり、陣の中へと放り込んだ。女の手は、少女の腕からするりと離れていった。
「アア゛ッア゛ッ」
女の体がびくんびくんと大きく痙攣し、喉からはけたたましい絶叫がひっきりなしに絞り出された。
女の体は跳ねて、ぼこんと大きく膨れ上がって、そのままぼこぼことぶくぶくと膨張し、満々と血を湛え、そして内側から押し開かれるようにばちんとはぜた。
女のすべては陣の上に広がり、ぐじゅぐじゅと溶け、そして扉に喰らいつくされた。
扉枠には、手が一本増えていた。
「あれを材料にするのは予定通りだが、贄がここにいるのは予定外だな」
男は振り返り、女の命を無惨に奪ったとは思えない、静かな瞳で少女に話しかけた。
その男は、少女をここに連れてきた男だった。
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