第38話 娘さんをください


「お断りします」



 俺は首を横に振ると、万年筆と小切手をオヤジさんに返した。

 オヤジさんは眉をピクリとも動かさずに、腕を組んで大げさにため息をつく。



「キミはもっと利口だと思ったのだがね。断ったところで状況は変わらない。いますぐキミの首を切ることも可能なのだ」


「わかっています。どう転んでも傍にいられないことくらい」


「ならば素直に金を受け取れ。キミの働きを私は評価しているんだ」


「ありがとうございます。でも、やっぱりお金は受け取れません」



 俺は再度頭を横に振ると、隣に座る瑠璃の手を取った。

 微動だにしなかったオヤジさんの眉がつり上がり、組んでいた腕を解いて俺を睨んできた。



「何をしている。瑠璃から手を離したまえ」


「いいえ、離しません。自分の気持ちから逃げたくないんです。だから……」



 瑠璃の世話を焼いたのは、母さんを楽にさせたかったためだ。

 けれど、もうひとつ。より大きくて単純な理由があって――。



「お付き合いを前提にお嬢さんの傍にいさせてください!」



 俺はソファーから下りて、その場で土下座した。

 隣で成り行きを見守っていた瑠璃は、慌てたように俺のそばに駆け寄ってきた。



「颯人くん。お付き合いって……」


「何も勢いや思いつきで言ったんじゃない。俺は付き人になったことで瑠璃と仲良くなれた。けれど、その契約が枷になっていた。仕事だからって気持ちを抑え込んでいた」


「気持ちを抑え込む……」


「追い詰められるまで答えが出せなかったのは情けない話だ。けれど、もう逃げない」



 俺は顔を上げると、再び瑠璃の手を取って想いを告げる。



「付き人はもうヤメだ。俺は瑠璃と友達以上の関係になりたいんだ!」


「颯人くん……」



 俺の告白を瑠璃は逃げずに正面から受け止めてくれた。

 いきなりで驚かせてしまっただろう。だが、これが俺の本心だった。

 ここで想いを告げないと、きっと一生後悔する。

 俺はもう自分の気持ちから逃げたくなかった。

 瑠璃は一瞬だけ目を開いたあと、すぐに俺の手を握り返して微笑む。



「わたしもです。ただのお友達としてではなく、お付き合いを前提に颯人くんとお付き合いしたいです」


「ややこしいな。そこは素直に恋人でいいんじゃないか?」


「こ、恋人だなんてまだ早いですっ。まずはゆっくりとお互いを知って、それから正式にお付き合いを始める感じでいかがでしょう」


「瑠璃がそれでいいなら」



 瑠璃は耳まで真っ赤にしながら慌てたように言葉を並べる。

 言葉の内容にあまり意味はなかった。だって俺たちは同じ気持ちでいるから。

 その証拠に互いの指は絡み合い、相手の顔を映す瞳は熱情に揺れていて――



「ええい! いつまで手を握っているのだ。離れたまえっ!」



 俺と瑠璃が見つめ合っていると、対面に座っていたオヤジさんが席を立った。

 優しい恵比寿顔はどこへやら。眉間に皺を寄せて鬼のような形相で俺を睨む。



「私の話を聞いていなかったのか。瑠璃と仲良くするなと言っているのだ」


「聞こえてましたけど聞く耳を持ちません」


「なんだと!?」



 床に膝をついていた俺は立ち上がり、正面からオヤジさんを見つめる。

 相手の職業なんて関係ない。今は瑠璃のお父さんと話をしているのだから。



「オヤジさんこそ話を聞いてましたか? 俺は瑠璃と仲良くしたいと言ってるんです」


「だからそれを認めないと言っている!」


「俺が片親の貧乏学生だからですか?」


「生まれも育ちも関係ない!」


「俺が”だいだらぼっち”と呼ばれているからですか?」


「あんなものはただの噂だろう。キミの人柄の良さは理解しているつもりだ」


「だったら何も問題ないんじゃないですか? 俺の何が不満なんですか?」


「そっ、それは……」



 俺が矢継ぎ早に質問をすると、オヤジさんは反論の余地を失ってたじろいだ。

 その反論もすべて俺を認めるもので、語れば語るほど自分の首を絞めていた。



(やっぱり親子だな……)



 オヤジさんも瑠璃と同じだ。

 口から出る言葉に嘘はなく、人の良さを素直に認めて心から褒めてくれる。

 そんな瑠璃だからこそ俺は……。



「俺は今まで自分に自信がありませんでした。けど、瑠璃が褒めてくれる俺のことは信じられます。天城家のお嬢さんが認めてくれたんだ。その名に恥じない立派なパートナーになってみせます」



 俺は胸を張り、ここぞとばかりに自画自賛した。

 この場で引いたら負けだ。瑠璃の傍にいるためには恥ずかしがっている場合ではない。



「その通りです!」



 俺の態度に感化されたのか、隣にいた瑠璃もオヤジさんに俺の良さをアピールする。



「颯人くんは誠実で気配り上手な、正義感に溢れる素敵な男性です。外の世界を知らず不安に思っていたわたしにも、颯人くんは気さくに声をかけてくださって」



 瑠璃は俺の手を握ってくる。俺も瑠璃の手を握り返した。

 俺の手を握る瑠璃の手はわずかに震えていた。

 愚痴を言うことはあっても、正面切って親に反発するのは初めてなのかもしれない。



「彼の存在がどれだけ助けになったか、お父様はご存じなのですか? 知らないですよね。実家にいたときもお義母様との惚気話ばかりしてますもんね」


「家内の話は関係ないだろう!」


「関係あります! お父様は一人で物事を進めすぎなんです。少しは娘の声に耳を傾けたらどうなんですか。どうして実家に帰らないと思ってるんですか。誰がいつ颯人くんと離れたいと言いましたか!?」


「そ、それは……」



 俺とおふくろさんの話をごちゃ混ぜにされて、オヤジさんは混乱したように瞬きを繰り返す。

 感情にまかせた嵐のような文句の連続に、貫禄のあった大物ビジネスマンの背中が見る見るうちに小さくなっていく。



「世間の噂なんてどうでもいいです。家のことも知りません! わたしはこれからも颯人くんにお世話されたい。ずっとずっと一緒にいたいんです!」


「ぐぬ、ぐぬぬぬぬ……っ!」



 瑠璃の感情ストレートパンチが炸裂した。オヤジさんは頭に血を上らせて顔を真っ赤にさせる。

 その顔は鬼の形相と言うよりかは、殴られ続けてK.O寸前の負け確ボクサーのようだった。



「ブレイク! 両者そこまで」



 今にも暴れ出しそうな瑠璃と、泡を吹いて倒れそうなオヤジさん。その両者の間に入ったのは千鶴さんだった。

 千鶴さんは場の空気を変えるように手を二回鳴らすと、澄まし顔で俺にウインクを浮かべる。



「風馬さま。イチゴオレを淹れてくださいますか?」

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