第37話 ファザーズ・アクシデント


「それ以上の関係を望むなら、キミのクビを切らねばならない」



 オヤジさんは声色を変えて、冷たい岩肌のような険しい表情で俺を突き放した。



「それ以上の関係って……」


「私は瑠璃の通う学校の後援会を取りまとめていてね。学内に流れる噂は私の元に集まってくるのだ」



 オヤジさんは傍らに佇む千鶴さんに目配せする。

 千鶴さんは静かに頷いたあと、懐からスマホを取り出して画面に表示された内容を読み上げた。



「風馬様が上級生と乱闘を行った、という匿名のタレコミがありました。他にもお嬢様を連れ回した挙げ句、マンションに連れ込んで連日わいせつな行為を働いている……という噂もあるようです」


「デタラメです! 颯人くんはそんなこと……!」


「わかっている。落ち着きなさい」



 瑠璃が席を立って声をあげる。オヤジさんは娘を手で制して、首を横に振った。



「千駄木くんに頼んで二人の関係を監視させていた。噂にあるような事実はなかった。颯人くんが信用に値する人間なのは話をしてわかった」


「なら、どうして噂を信じるんですか。お父様は誰の味方なのですか?」


「もちろん瑠璃の味方だ。私も噂を信じているわけではない。だが世間はそうではない」


「……俺は元々、不良だなんだって怖がられていましたからね」


「そういうことだ。後援会を構成する保護者の間でも問題になってね。会長である私の娘には、風馬くんはふさわしくないと」


「そんな……」



 瑠璃は信じられない、とばかりに絶句して立ち上がる。

 それからオヤジさんに詰め寄り、無実を訴えた。



「どうして見た目だけで判断するんですか。噂に踊らされてバカみたいです!」


「私もそう思う。しかし、火のない所に煙は立たない。風馬くんも身に覚えがあるのではないかな」


「……仰る通りです。先日も、このマンションに入るところをクラスメイトに目撃されて」



 それだけではない。乱闘にはならなかったが完禪院かんぜんいん先輩と口論になった。

 ショッピングモールのデートも誰かに見られていたのかもしれない。それで連れ回している、なんておかしな噂が広まったのだろう。



「ウチの娘がただの学生だったなら誰も問題にしなかっただろう。だが、瑠璃は天城の人間だ。たとえ嘘でも醜聞しゅうぶんが広がればグループ全体の不利益に繋がる」


「お父様……!」


「おまえは黙っていなさい。これはビジネスの話だ」



 今にも掴みかかろうとする瑠璃を、オヤジさんは眼光だけでねじ伏せる。

 それから千鶴さんに指示を送り、テーブルの上に小切手と万年筆を置かせた。



「風馬颯人くん。キミには大変な迷惑をかけた。お詫びになるかわからないが、ここに好きな額を書きたまえ」


「手切れ金ですか。これ以上おかしな噂がたつ前に身を退け、と」


「やはりキミは優秀だな」



 オヤジさんは両手を広げて、七福神の恵比寿のような優しい笑顔を浮かべる。

 顔は笑っているが、有無を言わさない迫力があった。



「これは正当な報酬だ。今まで娘の世話を焼いてくれてありがとう。これでキミの”仕事”は終わりだ」



 オヤジさんの提案は魅力的だった。

 相手は大企業のトップだ。娘さんを大事にしているのも伝わる。

 こちらを騙す意図はなく、小切手に好きな数字を書けば額面通りの金額を貰えるだろう。


 俺は母さんを楽させるためにアルバイトを探していた。

 ここで金を受け取れば、一生遊んで暮らせる金が手に入る。母さんも喜ぶだろう。


 だけど……。



「お断りします」



 俺は首を横に振ると、万年筆と小切手をオヤジさんに返した。





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